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第三話 ②【泣いている来訪者】
詩織はバッグからスマホを取り出し、画面を開いた。 差し出された画面には、メッセージアプリのやりとりが映っている。
秋山
「いた」
「やっぱあいつだった」
「今、駅のほう」
「話つける」
そのあとに、既読のついていないメッセージが続く。
詩織
「やめなよ」
「一人で行かないで」
「秋山?」
「ねえ」
誉の背中に冷たいものが走った。
「……昨日の夜、駅」
「うん」と詩織。
「そのあと、秋山がいなくなった」
「いなくなったって、家に帰ってないんですか」
「帰ってない。電話も出ないし、友達のとこにもいない」
「警察には」
「まだ」
詩織は唇を噛んだ。
「秋山、ちょっと……面倒な人だから。警察行っても、本気で探してくれるか分かんなくて」
「面倒って」
誉が言うと、シオンが代わりに答えた。
「元・箱のスタッフ」
「箱?」
「ライブハウス」
シオンは壁に背をつけたまま続ける。
「秋山圭介。ライブハウスで受付とか雑用とか、いろいろやってた。バンドマンに顔が利くタイプ」
「だったら、あなたの知り合いじゃないですか」
「知り合いっていうか、向こうが勝手に絡んでくるだけ」
詩織が顔をしかめる。
「シオン、そういう言い方」
「事実だろ」
「でも、最初は仲良かったじゃん」
「よくない」
「秋山はそう思ってたよ」
「それが厄介だって言ってんの」
誉は話を整理しようと頭を働かせる。
昨日の終電。
シオンを追っていた男。
頭にけがをして倒れた男。
病院から消えた男。
その男が秋山圭介である可能性。
「……もしかして」
誉は慎重に口を開いた。
「昨日、倒れてた男って」
詩織は固まった。
シオンも誉を見る。
「秋山、なんですか」
数秒の沈黙のあと、シオンが低く言った。
「可能性はある」
「あるって、顔見てないんですか」
「帽子かぶってたし、暗かったし、血出てたし、はっきりは見てない」
「でも駅でシオンを見つけたって言ってたなら」
「……たぶん、そう」
詩織は持っていたコップを強く握りしめた。
指先が白くなる。
「どういうこと……」
「落ち着いてください」と誉は言ったが、自分も全然落ち着いていなかった。
「落ち着けるわけないでしょ」
詩織の声が少し震える。
「秋山がシオンを探してたのは分かる。でもなんで倒れて、なんで消えるの」
「それを今から考えるんだよ」
シオンの声は不思議なくらい冷静だった。
「だから来たんでしょ、詩織」
「……そうだよ」
「秋山が俺を見つけて、そのあと失踪した。だったら俺に何か心当たりがあると思った」
「……うん」
「残念だけど、心当たりはあるようでない」
「何それ」
「俺も困ってる」
誉は額を押さえた。
全員困っている。間違いない。
「シオン」
詩織が静かに言う。
「ちゃんと話して。秋山と何があったの」
シオンはしばらく黙っていたが、やがて長く息を吐いた。
「……去年の秋くらい」
その声はいつもより低い。
「秋山が、うちのバンドにやたら近づいてきた。スタッフ面して、機材手伝ったり、打ち上げついてきたり。最初は便利だったから、みんな適当に相手してた」
「はい」
誉はなぜか相槌を打ってしまった。
シオンにじろりと見られる。
「で、そのうち秋山、俺個人にばっか絡むようになった」
「ファンみたいな感じですか」
「ファンっていうか、執着」
シオンは言葉を選ぶように視線を落とす。
「俺の本名知りたがったり、家どこか探ったり、昔のこと聞いてきたり」
誉は眉をひそめた。
「昔のこと?」
「別に大したことじゃない」
「大したことじゃないなら、なんでそんなに隠すんです」
「北松さ」
「はい」
「人の地雷、踏むのうまいよね」
「嬉しくない評価だな……」
詩織が小さく口を開いた。
「秋山、途中からちょっとおかしくなったの。シオンが自分を避けてるって分かったあたりから、周りにも変なこと言うようになって」
「変なこと?」
「“あいつは人の名前を盗む”とか」
誉は首をかしげた。
「名前を、盗む?」
「意味分かんないでしょ」とシオン。
「俺もそう思う」
「……あんた、本名隠してるから」
詩織が言いにくそうに続ける。
「秋山はそこに変なこだわり持ってた。シオンって名前も偽物だ、本当の名前を捨てたやつはろくでもない、みたいな」
誉は思わずシオンを見る。
シオンはそれを受け止めず、天井を見上げていた。
「めんどくさいでしょ」
「かなり」
「だから距離置いた」
「そしたら」
「逆上した」
誉は胃のあたりが重くなるのを感じた。
現実的で、じっとりしていて、妙に嫌な話だ。
こういうのはファンタジーよりよほど怖い。
「じゃあ昨日、秋山さんはあなたに会いに来た」
「かもしれない」
「話つける、ってメッセージもある」
「でも俺、話す気なかったし」
「そこじゃなくて」
誉は身を乗り出す。
「秋山さんがあなたを追ってたとして、そのあと誰に襲われたんですか」
シオンは答えない。
詩織も黙った。
誉はそこで、別の違和感に気づいた。
「……あの」
「何」とシオン。
「詩織さん。どうしてあなたは、シオンがここにいるって分かったんですか」
詩織の肩がぴくりと揺れた。
シオンの目が細くなる。
「……それ」
「だって、そうですよね」
誉は慎重に言葉を繋ぐ。
「電話に出ない相手の居場所を、どうしてピンポイントで知ってたんですか。シオンさん、自分で住所教えてないって言ってましたよね」
しん、と部屋が静まる。
誉は自分で言ってから、しまった、と思った。
けれどもう遅い。
詩織はコップを置き、両手をぎゅっと握った。
「……秋山のスマホ」
「え」
「見たの。昨日の朝」
「勝手に?」
「だって様子おかしかったから!」
詩織は半ば叫ぶように言った。
その目にまた涙が溜まる。
「最近ずっと、何かに取り憑かれたみたいで。シオンのことばっかり気にして、メモして、写真撮って、行動追って……気持ち悪かった。止めたかったのに、全然やめなくて」
誉は息を呑む。
「写真って」
「駅とか、ライブハウスの前とか。あと」
詩織はそこで誉を見た。
「この人のことも」
誉の背中が総毛立つ。
「……俺?」
「うん。何枚かあった。駅でシオンと話してたから、たぶん昨日じゃなくて、その前にも見かけてたんだと思う」
「その前って、俺、シオンと会ったの昨日が初めて」
「じゃあ、シオンを見てるうちに、たまたま映り込んだとか……分かんない。でも、住所のメモもあった」
「誰の」
「ここの」
誉はしばらく言葉を失った。
自分の部屋の住所。知らない男のスマホの中。
現実感が薄れる。
「……なんで」
「分かんないよ。私だって気持ち悪かった。だから、昨日の夜メッセージ見て、嫌な予感して、今朝また連絡しても返事ないから……秋山の部屋、勝手に入ってスマホ見た」
「不法侵入では」と誉が言いかけて、今それどころではないと口をつぐんだ。
シオンが低い声で聞く。
「詩織。秋山の部屋、荒れてた?」
「少し。何か探したみたいに引き出し開いてた」
「スマホ以外になんかあった」
「ノート」
「持ってきた?」
詩織はこくりと頷いた。
バッグから一冊の小さなリングノートを取り出す。
表紙の角は擦れ、何度も開かれた跡がある。
「……うわ」
誉は思わず漏らした。
「それ、やばいやつでは」
「たぶんやばいやつ」
シオンが手を伸ばすより先に、誉が言った。
「ちょっと待ってください」
「何」
「指紋とか」
「今さら?」
「いや、でも警察案件かもしれないでしょう」
「もう私も触ってるし、秋山本人も触ってるし」
「それはそうか……」
誉は自分の常識がどんどん遅れていくのを感じた。
シオンがノートを受け取り、ぱら、とめくる。
最初の数ページは、ライブの日程や出演者の名前のメモ。
そのあと、字がだんだん荒れていく。
“シオンは嘘をつく”
“本当の名前を隠している”
“北松誉”
“終電”
“渡す前に確認”
「……渡す?」
誉が呟く。
「何を」
シオンはさらにページをめくり、手を止めた。
「これ」
ページの端に、殴り書きのような文字。
『ロッカー 27』
その下に、駅名らしきものが書いてある。
だがペンが擦れて、一部が読めない。
「駅のコインロッカー?」
誉が言うと、シオンは無言で頷いた。
「“渡す前に確認”ってことは、何かをロッカーに預けてた?」
「かもね」
「じゃあ秋山さんは、昨夜それを取りに行ったとか」
「ある」
「そのあとあなたを見つけた」
「で、頭打って倒れて、消えた」
誉はゆっくりノートを見つめた。
線だったものが、少しずつ形になり始めている。
けれど形になったぶん、不気味さも増していた。
「……ねえ」
詩織が不安げに言う。
「秋山、生きてるよね」
誰もすぐには答えられなかった。
その沈黙を破ったのは、シオンだった。
「生きてる可能性は高い」
「ほんと?」
「病院を出たなら少なくともその時点では」
「じゃあ」
「でも、今どうなってるかは分かんない」
「ちょっとは言い方考えて!」
誉が思わず突っ込むと、シオンは少しだけ肩をすくめた。
「嘘ついて安心させるほうが嫌い」
「それは……まあ……」
「北松は優しいね」
「今その評価いる?」
「いる」
誉は頭痛を覚えた。
だが同時に、ここで立ち止まるわけにはいかないとも思っていた。
「……ロッカー、確認しませんか」
自分で言って、自分で驚く。
シオンがにやりとした。
「出た」
「何がですか」
「見て見ぬふりできないタイプ」
「うるさい」
詩織が二人を見比べる。
「行くの?」
「今から?」
誉は時計を見た。もう十時前だ。
それでも、妙な焦りがあった。
もしロッカーの中身が重要なら、誰かが先に回収する可能性もある。
「駅名がちゃんと読めれば」
誉が言うと、シオンはノートを照明の下にかざした。
「……たぶん、三鷹じゃない。違う。高円寺でもない」
「アバウトすぎません?」
「字が汚いんだよ」
「今そこ文句言っても」
詩織が小さく手を挙げた。
「あの」
「はい」
「秋山、昨日、“西口のほう”って言ってた」
「どこの?」
「新宿」
誉とシオンは同時に顔を上げた。
「新宿駅西口」と誉。
「ロッカーめちゃくちゃ多いな」とシオン。
「最悪だ……」
「でも27って番号あるなら、場所しぼれるかも」
シオンはもう立ち上がっていた。
行く気満々である。
「え、ちょっと待ってください、本当に今から?」
「今だからだよ」
「だからって夜に三人でロッカー探しって、字面がだいぶ終わってる」
「コメディっぽくていいじゃん」
「よくない」
詩織も立ち上がる。
「私も行く」
「だめ」
シオンが即答した。
「なんで」
「詩織いたら目立つ」
「じゃあ一人で待ってろってこと?」
「そう」
「無理」
「俺も無理」と誉が反射で言った。
二人が誉を見る。
「……いや、女性一人置いていくのもどうかと思って」
「ほら」と詩織。
「北松がまとも」
「俺がまともじゃないみたいに言うなよ」
「まともじゃないでしょ」
「北松、言うようになったね」
「あなたのせいです」
結局、三人で新宿駅西口へ向かうことになった。
誉は鍵を閉めながら、本気で思った。
昨日までは、ただ家に帰って、風呂に入って、寝て、また会社に行く。それだけの人生だった。
それが今はどうだ。
知らないベーシストと、泣いていた女と一緒に、失踪した男のロッカーを探しに行こうとしている。
「……ほんとに最悪」
すると隣でシオンが、ひどく楽しそうに笑った。
「最高の間違いでしょ」
誉はその横顔を見て、心底腹が立った。
でも少しだけ、否定できなかった。
⸻
新宿駅西口のコインロッカーは、夜でも妙に明るい。
人の流れは昼より少ないのに、空気だけは相変わらず落ち着かなかった。
三人はロッカー群の前に立ち、番号を確認する。
「27……27……」
誉が小声で繰り返す。
「場所によって番号の振り方違う」
シオンが言う。
「そりゃそうでしょうね」
「詩織、秋山ってよくどの辺使ってた?」
「西口の地上出てすぐのとこ。喫煙所近く」
「じゃあこっちか」
シオンが歩き出す。
誉と詩織もそのあとを追う。
深夜のロッカー前は、妙な静けさがあった。
カバンを預ける人も、受け取る人もいない。並んだ金属扉が、どれも無表情に見える。
「あった」
シオンが立ち止まる。
小型ロッカーの列、その下から二段目。
確かに、27。
「使用中……」
誉は扉の表示を見て言った。
ロックはかかったまま。中に何か入っている。
「鍵は?」と詩織。
「今どきだいたい暗証番号じゃないですか」と誉。
「秋山、番号とか書いてなかったの?」
「見てない」
「見てないのか……」
その時だった。
誉のスマホが震えた。
画面を見る。知らない番号。
今日二度目だ。
嫌な予感しかしない。
「……もしもし」
電話の向こうで、低い男の声がした。
『北松誉さん?』
誉は凍りつく。
『そのロッカー、開けないほうがいい』
ぶつり、と通話は切れた。
誉は顔を上げる。
シオンと詩織が、同時にこちらを見ていた。
#ファンタジー