テラーノベル
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──わたしの幻覚か、何かか?
イロハは、起きた出来事を疑った。
もっと言うなら、隣にいるレンの姿そのものを疑った。
白い光が視界を奪い、ようやく見えるようになったと思うと、そこにヒナの創造した真っ白な世界はなかった。
代わりに、侵入者の出現を知らせる警報音と、見覚えのあるタイルの廊下があった。
三人は床に座り込んでいた。冷たい感触が「ここは現実だ」と告げている。
「抜け出した……?」
腕の中にはヒナ。表情は相変わらず無表情で、動く気配もない。
隣には同じく状況を理解していないレンがいる。
困惑して、瞬きも忘れているらしいその顔を、
「あなた……」
イロハは目を見開いて、レンの”それ”を指さした。
「目の色、どうしたのよ」
「……え?」
開口一番。その言葉は、レンの困惑をさらに加速させた。
なぜこんな廊下にいるのか、レンはそのことしか気になっていなかったのに。
ヒナも続けて指摘する。
「お兄さん。目の色、”黄色くなってる”」
すぐさまレンは、タイルに反射する自分の顔を覗き込んだ。
映っていたのは。
いつもの淡い水色の瞳からは想像もつかないような、金色の瞳。
こすってみても、変化はない。
「なにこれ……なんで」
自分の身に起きた異変を理解した途端、ジンジンとこめかみに痛みが走り、耳鳴りが発生した。
さっき泣きすぎたせいか?とも考えたが、そんな生易しい痛さではない。
困惑する彼の肩を、ポンッとイロハが叩いた。
振り向くと、妙に冷静な顔をしたイロハとヒナ。
「前も同じこと、起きてた気がするけど」
イロハはヒナとともに立ち上がると、自然な動作で鞘から剣を抜いた。
そして、レンを見下ろす。
「原因を突き止めるべきかもしれない。でもそれは最優先じゃない」
レンに手を、差し出す。
「今は、この建物から脱出しないと」
差し出された手を、迷うことなくレンは掴んだ。
暖かい感触に触れると、こころなしか耳鳴りも頭痛も和らいだ気がした。
立ち上がった、その時。
「レン!?」
「お兄さん?」
背後からバットで頭を殴られたような衝撃が走り、レンはイロハに倒れかかった。床に顔面ごと倒れ込むことはなかったが、それどころでは無い。
「大丈夫なの!?」
頭蓋骨がかち割れそうなほどの激痛。二人の声がよく聞こえない。細く開けた瞳には、イロハの焦った顔と、強ばった顔をしているヒナが見える。
かろうじて、レンは声を絞り出した。
「頭が、痛くて」
ヒナが今にも泣きそうに、声を震わせる。
「だって、あたま。血……出てるよ」
──は?
イロハがレンの頭に手をかざした。
しかし、
「おかしい、わたしの治癒能力が効かない!」
「さっきまで、なんにもなかったよ」
「ええ、怪我をすることなんてしてないわ」
イロハとヒナが話をする中、レンだけが置いてけぼりになった。
まて。なんで? 血? 痛い。
頬を触ってみると、ドロッとした赤い液体がまとわりつく。
鉄の匂いが、鼻腔をくすぐる。
自分が嫌いな匂い。
驚きすぎたのか、なぜかどんどん意識が鮮明になっていく。
「レン、しっかり!」
「大丈夫、しっかりしてる 」
「お兄さん、死なない?」
「死なないよ……」
頭を抑えながら、一旦廊下の壁にもたれた。ずっと支えてもらっているのも悪い。
「最初はめっちゃ痛かったけど、そんなに……」
それより、どこで怪我をしたのだろうか。
イロハの治癒能力が効かないのもおかしい。
どこで怪我をしたのか、心当たりもない。
「血ぃ、出てるの。どうしよう」
レンの裾を掴んで、大きく腕を振る。
その小さな瞳で彼を見つめるヒナを、イロハが引き離した。
「落ち着きましょう。レン、傷をもっと見せて」
そう言って、レンの額を観察するが、特に切り傷も無い。
頭頂部まで確認してみたが、どこにも怪我などしていなかった。
傷がない。
ただ、血だけが流れている。
──意味がわからないわ。
「……傷はない」
「えっ、じゃあ」
「血が流れているだけ。流れる原因となるものは見当たらない」
イロハは廊下を見渡す。
罠も、人もいない。もちろん、虚霊だって。
唯一の異変は、侵入者を知らせる警報音と、遠くで聞こえる慌ただしい足音たち。
──わたしの治癒能力が効かなかったのは。
「多分、傷がないから」
乱暴に袖で血を拭うレンは、手を止めて、「へ?」と聞き返した。聞き取れなかったのだろう。
「わたしの能力は、”傷”を癒すもの。傷のない今のあなたは、治療は不可能」
「傷がないって、なんで?」
「わたしも聞きたいわよ」
揃ってため息つく二人に、ヒナが言った。
「ねぇ、誰か来てるよ」
言われて気がついた。複数の足音が、こちらに近づいてきている。
慌てて物陰に身を潜めると、銃を持った三人の男が、
「侵入者だ」
「あいつは厄介」
「こんな時に限って」
と会話をしながら通り過ぎて行った。
「侵入者って、俺たちのこと?」
「違うでしょ、わたしたちは勝手にここに連れてこられたんだもの」
「あ、そっか」
レンとイロハは、突然ここに連れてこられた。侵入者というよりも、「被害者」という言葉の方が良く似合う。
「じゃあ、誰?」
ヒナがレンを見て尋ねたが、
「それはいい、とにかく逃げるが勝ちよ」
イロハが即答した。
「出口を探すわよ……あ、ヒナさん。あなたならわかる?」
ヒナは試作体としてだが、この組織にいる。出口くらいは知っているだろう。
知らないと言われたら、長らくこの建物内で鬼ごっこをする羽目になる。
ヒナは、首を振った。しかし、真逆のことを口にした。
「出口はわかるよ」
「ほんと?」
嬉しさで声が裏返るレンとは違って、イロハは冷静だった。
「じゃあ、どうして首を振るのかしら?」
圧をかける発音ではなかったが、その裏には不安があるのがレンには伝わった。
ヒナは、絶望すべきことを平然とした顔で言い放った。
「だって。ここは……この世界は多分、お姉さんたちがいる世界とは違う」
「どういうこと」
イロハの声のトーンが数段下がる。
──まさか。
この後の言葉を覚悟しながら、ヒナの言葉を聞いた。
「ここは、”虚月の異界”だよ」
イロハは唾を飲み込んだ。この場で冷静を保っていないと、この後の非常事態に対応ができなくなる。
──レンの代わりに、わたしがしっかりしていないと。
「虚月?」
「分かりやすく説明する」
──最悪の展開ね。
言い淀む口を、無理やり動かした。
「”虚月の異界”。つまり今、わたしたちがいるのは、死後の世界よ」
風が吹いたような気がした。
イロハのやや焦りの感じる声だけが、響く。
この状況が危険なことくらい、レンも理解したのだろう。
彼は固まっている。理解するのにそれ相応の時間が必要らしい。
ヒナはなんて事ない顔をしているが、空気が重くなったことを察してか、イロハの腕を掴んだ。
「出口はあるもん。だからそこに行けば」
「ええ、そのつもり」
「待ってよ」
今度はレンが、ヒナの肩に手を置いた。
「意味、わかんねぇよ」
振り向かず、説明をする。
「……ここは虚月の」
「それは、わかってるから!」
廊下に、叫び声が広がる。今から大泣きするのかというくらいに震えた、叫び。
向き直って、イロハは頭を抱えた。
「わからないの?ここは死んだ人たちがいる世界。本来、わたしたちはここにいるべきじゃない。……でも、一度、ここにあなたと来た。それは覚えてる?」
──そんなこと。
イロハと出会ったばかりの頃の記憶を遡ってみた。
死後の世界に、踏み出した記憶。
「……あ、門」
レンの気づきに、小さく微笑む。
「一度だけ。月見の森にある門をくぐったでしょう。 門は死と生の境目。今いるのが──」
「あのときの、門の中の世界」
そうとなると、たくさんの疑問が浮かび上がってくる。
死後の世界。
人間はいるべきではない場所。
なら、なぜ?
なぜこんなところに、I.C.O.の建物があるのだろう。
──あれ?
「待って。たしか!」
「どうかしたの?」
こんな時に「どうかしたの? 」と尋ねるイロハにツッコミたい気持ちを抑えて、叫んだ。
「本当に死後の世界なら、俺たち生きてるのか? 前はイロハのお母さんが『これ以上先に進むな』って言ってたから助かったけど、『川の先に行くと生者には戻れない』んだろ?今の俺たちって大丈夫なのか?」
二人の表情がどんどん、曇っていく。イロハもそのことがずっと気がかりだったらしく「それが問題なのよ」と諦めを孕んだ笑みを浮かべた。
それを壊すように、
「大丈夫」
ヒナは続ける。
「この組織の建物は、人がギリギリ人として生きられる場所にあるの。大丈夫、ヒナたち生きてる。
もし死んじゃってるんだったら、ママに会えないし」
「……そうか。それもそうだ」一安心して、こっそりため息をつくレン。
「でもヒナ、その門がどこにあるのか分からないの。お兄さんたちは?」
「俺もわかんない。どうしよう」
その時だった。
後ろから二人の肩を叩き、イロハが前へ出る。
そして、得意げに腕を組んだ。
「それは任せなさい。わたしは多少、わかるわ」
「えっ」
「まじ?」
「元はお母様がここの守護者だったんだもの。それくらいの知識は受け継いだ」
トンっと人差し指で、自分のこめかみを叩くイロハは、声をひそめて言った。
「それに、わからなくなっても侵入者を利用すればいい」
すぐに疑問を口にしようとして、やめた。口にする前にイロハの意図がわかったからだ。
「ここまで来た人は、門までの道のりを知ってる……」
興奮を抑えながら呟く。
「利用できるものは、なんでもするべき」
──悪役が言ってそうなセリフだなぁ。
のんきにそんなことを思えるまで、脱出の道が少しだけ見えてきた。
まだ謎は残っている。
金色の瞳。
傷なしの出血。
こんなところに建物がある理由。
一つ目に関しては、既に解決していた。
床に反射する顔を見ると、見慣れた色に戻っていたから。
それでも疑問は渦巻く。
考え込むレンの顔を見て、イロハはすぐに気づいた。
「今はいいのよ」
いつも通り、イロハは言った。
「脱出が先よ」
そうだ。
ほんのわずかな小さな光。
それを逃すわけにはいかない。
安心が身体を包み込み、徐々に全身の力が抜けていった。
「うん」
第三十六の月夜「侵入者と裏切り者」へ続く。
ruruha
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コメント
3件
更新、お待ちしてました! 『傷のない傷』の発想と表現がすごい。マイペースで次回もお待ちしてます
約一ヶ月ぶりの更新になってしまいました。お待たせしました。