「さてと、今度の方針の変更が決まったはいいが……このままだと『魔王』とやらの元に辿り着くのがいつになるのか、先行きに不安しかないな」
『そうですねぇ。ですが、まだ我々は転移して来てから二日目ですから。ここは焦らずにいきましょう、主人。冒険系のゲームはクリアまで何十時間どころか百時間越えになる作品だってあるらしいですし、そのくらいを覚悟の上で行動せねば』
「此処では通常のゲームとは違い、普通に生活もしながらとなるので、もっとかかると覚悟せねばならないでしょうね」
まるで他人事の様に言いながら、リアンが髪を拭いていた布を取り、軽く畳んでテーブルの上にポンッと置く。指先で触れてみると彼の髪はまだちょっと湿っていた。コレはもう布だけで乾かすのは無理だなと思い、リアンが風の魔法を使って洗った髪をさっと簡単に乾かす。今は潤沢な魔力のおかげでしばらくは色々と出来そうだが、自分の城に居る時と違って魔力に限界がある事が残念なような、焔と深く関われて嬉しいような……複雑な気分だ。
「おい、あんまり無駄に魔力を使うな」
淡々とした声で、テーブルに頬杖をついていた焔がリアンに指摘する。無駄に魔力を消費されてはまたエロい目に遭うのだと思うと、そうも言いたくなるというものだ。
「大丈夫ですよ、このくらいは誤差の範囲なので」
「そんなに髪が長いと乾きづらくて大変そうだな。いっそ短く切ったらどうだ?」
長く美しい髪を指差しながら焔がそう言うと、「それもそうですね」と答えながらリアンが自分の髪をまとめて掴む。そして爪をハサミ並みに一瞬だけシャッと伸ばしたかと思うと、その勢いのままバサリと首から下の後ろ髪を全て切り落としてしまった。
『——リ、リアン様⁉︎』
無造作に切ったせいで毛先が不揃いで酷く不恰好だ。
腰の辺りまであった長めの黒髪がうなじまでもが見える程の短さにまでなったせいで焔が口を開けて絶句している。自分が軽い気持ちでした発言を鵜呑みにされてしまい、驚きを隠せない。
「……馬鹿か?お前は」
唖然としている焔の一言に対し、リアンが笑顔を向けた。
「いやぁ、常々邪魔だなと思っていたので、切るにはいい機会かなと」
バッサバサの状態になった髪を軽く払い、あっけらかんとした様子のリアンに対して焔の顔は渋いままだ。いくら契約主である立場の自分が『切ったらどうだ』と言ったからといって、こうも素直に従われてしまうとは思ってもいなかった。
(コイツ相手には、軽い気持ちで言葉を発しない方がいいな……)
白い布の奥に隠れる瞳に『今後の発言は慎重にせねば』と冷静な色を帯びる。『好感度』とやらが最高値である弊害を、焔は垣間見た気がした。
「さて、では早速——」
『はい!此処にある作業台などを使用してみましょうか、主人』
リアンとソフィアが不自然な程ハイテンションになりながら、部屋の隅に置かれた作業台やら大鍋などの前に立っている。その姿はまるで昼間や深夜のテレビショッピングの様で、何とかして自分達の主人に『クラフト作業』に対して興味を持ってもらおうとそれらの利便性について説明までしだしていて、必死さがかなりヤバイ。 焔に興味を持ってもらえないだろう事は想像の範囲内だが、この先の事を考えると、『主人に興味を持って貰わねば』と思う気持ちは強かった。
拠点となるログハウスが存在し、リアンが真実を全て明かさぬ間は日常の生活をも意識して先に進まねばならぬ状況なので生活環境向上の為にもクラフト作業はこの先必須となる。そうなると、この面子の中ではいわゆる『ゲームの主人公枠』に当たる焔にも少しはやる気を出してもらわねばならない。
『全てを周囲に丸投げのままは良くないだろ』というのが、今のソフィアとリアンの共通見解だ。
作業台など、これらも全て本来ならば焔が自分のスキルを使って作るべきだった物なのだが、御本人に全くやる気が見られないのでソフィアの集めてきた素材を元に、リアンが固有スキルを使って作成してくれた。
最低限は甘えさせた。だがこの先は流石に焔自身にやってもらおうと、二人は思っているのだが——
「おぉ、頑張れよ」
椅子に座り、テーブルに頬杖をついて二人を見ている焔は完全に他人事状態だった。
『駄目ですよ!主人っ。此処から先は御自分でやって頂かないと』
焔の態度は予想の範囲だったので、気落ちする事無く『さあさあ!』と言いながら、ソフィアが焔の背後に回って背中を背表紙部分で押す。仕方なしに焔は立ち上がると、面倒くさそうな雰囲気のまま作業台の前に立った。
『今操作パネルを出しますね。——さて、と……何から作りましょうか』
ハッキリキッパリと、焔が無駄にちょっといい声色で言った。目元が見えていたのならキランッと瞳が輝いていたに違いない。
だがそれに対し『無理です!』とソフィアが即座に返す。 肌着は確かにかなり大事だ。早速それらを作りたい気持ちは十二分に察したが、目の前の作業台で作れるのはレシピを所持している物のみだった為、否定以外の選択肢は無かった。
『お気持ちはお察しします。ですが、西洋風ファンタジーゲームの世界で褌があったら、むしろビックリですよ』
「……無いのか、そうか」
そう言う焔は心底残念そうで、何も悪い事などしていないのに、なんだかソフィアは申し訳ない気持ちになってきた。
「東方まで行けばレシピも売っているでしょうけど……。それでも欲しい言うのなら、私が夜鍋をして手作りするか、昨晩の様にスキルを使って作るかの二択になりますね。ただ、褌の構造を知らないので自信はありませんが、実物を見せて頂ければ問題なく!」
リアンが胸に手を当て、『なんと良いアイディアだろうか!』と思っていそうな顔をする。固有スキルで『拠点』だろうが『褌』だろうが瞬時に用意出来るが、今回は当然手作りする気満々だ。 焔の股間を覆う肌着を作るのかと思うと、好感度の影響もあってか、昨日の寝衣などとは違ってちょっと興奮してしまう。
「……。じゃあ今は諦めるか。レシピを手に入れるまでは西洋風の物で代用するしかないな」
『リアンの作った褌』という響きが何となく嫌で、焔はすぐに綺麗サッパリ褌を入手する事を諦めた。それならば、折角目の前に作業台とやらがあるのだ、自分で今あるレシピを元に衣類を作った方が数段マシに思えてくる。
「な、なぜですか⁉︎」
「……お前が作ったという事実のある褌を着る事に、抵抗しか感じないからだ」
それこそ『コレを作ったのは私なのだから、脱がせる権利が自分にはあるはずだ』などと言いかねない。咄嗟にそう思ってしまうくらい、焔にとって昨夜と午前の出来事は、魔力供給の為もあったとはいえども、かなり衝撃的だった。
『では、ワタクシが手縫い致しましょうか?』
「いや、お前にそんな手間はかけさせたくない。この世界ではそんな姿でも、な」
元の世界へ戻ればソフィアは付喪神だ。今は洋書の姿になっていようが彼も立派に神の端くれである以上褌作りなんぞ気持ち的にやらせたくはない。だがしかし、もう既に洗濯やら外での素材集めなどを散々やっているので、ソフィア的には『主人の中の、ワタクシへ任せられる範囲の境界線がよくわからないや』と思ったが、空気の読める彼は心の中だけに留めた。
主人がやる気になってくれている今のうちにと、ソフィアが洋書である体を開く。するとそれと連動するかの様に裁縫用の作業台の真上に白をベースとしたホログラフィーの様な、薄っぺらい操作パネルが空中に現れた。
「……おい、元の世界よりすごい物が現れたんだが?」
まるで近未来モノかSFの映画にでも出てきそうな物が目の前に現れた事で、焔が呆気にとられている。空中に浮いている画面にはソフィアの集めた焔の所有物の数なども連動して表示されており、どうやらスマートフォンみたいに操作パネルを指先でタップする事で操作可能な様だ。
『ゲーム世界ですからね。このくらいはきっと、多分普通なのではないかと』
「そうです。合成作業などはこういった半透明のパネルを使っておこないます。とっても便利ですが、ソフィア様のようには融通がきかないのが難点ですね」
裁縫用の作業台の前で感嘆の息を吐く焔の隣に立ち、リアンも一緒に画面を覗き込む。 そしてソフィア側のページに書かれているレシピ一覧を見て「何を作るにしても、まずは糸の合成からになりますね」とアドバイスをした。
「……糸」
「はい。綿花などの素材から糸を作り、布を作り、その布と糸とを更に別の素材や宝石などと一緒に合成して、やっと布製防具の完成です。隣には大鍋もありますから、それを使って染料を作れば装備のカラー変更も簡単に出来ますよ。革防具の場合は鞣し台で皮を鞣す所からせねばならないので、また色々と別の素材が必要となります」
「日が暮れそうなくらいの手間だな」
「手間はかかりますが、こればかりは慣れですね。でも、手縫いなどよりは遙かに早く仕上がりますよ?」
「まぁそうな、確かにそうだが……」
なんかもう、焔は『おい。此処は本当に、リアンの言うような恋愛シミュレーションゲームの企画を元にした世界なのか?やっぱり、冒険要素ありのクラフト系ゲームの間違いなのでは⁉︎』と、自分が何のゲーム世界に叩き込まれたのか段々わからなくなってきた。
「では早速やってみましょうか」
「……まぁ、うん、わかった」
疑念を感じつつも、焔が何とか気持ちを切り替える。
「糸はえっと…… “綿花”から糸を作るのか?五個の素材から、糸一個しか出来ないのか。材料はどうしたらいいんだ?作業台の引き出しの中にでも入れるのか?」と言いながら、焔が作業台の下を覗き込んだ。
『いえ、全て操作パネルからの指示で作成出来ますよ。材料を選択して、合成ボタンを押して頂ければ大丈夫です』
「それならいっそ、コレを作りたいと思っている防具の表示アイコンを押せば、勝手にそれらの素材を使って最終的に作りたい物をポンッと合成出来たらいいのにな」
『お気持ちはわかりますが、段階を踏んだ工程をやらねばならないのも、ゲームあるあるですので……』
ソフィアの言葉に対して舌打ちでもしそうな顔をしながらも、焔が数量操作をして、コツコツと糸や布などを何個も、何枚も合成していく。
それらが十分な数揃うと『解放済みのレシピ一覧』に書かれた防具名の色がグレーから黒に変わり、やっと作成選択が出来る様になっていった。
「これで“質素なローブ”と“簡素な肌着”が作れる様になったみたいだな」
『始まりの服などよりは、多少お洒落ですね。これらでしたら不恰好ではありませんし、着物姿よりも行動しやすいかもしれませんよ。そして何よりも、召喚士っぽいですし』
「コレよりも防御力が高い物を作ろうとすると、今度は段階的に、上位素材や宝石が必要なのか」
『そうですね。色々なスキルや能力の封じ込められた宝石が無いと、これよりも高性能な防具の合成は無理そうです。上位素材に関しては、育ち始めたばかりのこの森では、入手困難かもしれませんね』
「ふむ。別の地域か。ところで、宝石はどうやって入手するんだ?店で買うのか?」
一番詳しそうなリアンの方へ顔を向け、焔が訊く。 するとちょっとだけ眉間にシワを寄せながら、「そうですね。あとは……魔物や獣人などといった魔族達からの入手になります」と彼は答えた。
「そうか、なら今は作れないな。じゃあ次はタオルでも作ってみるか」
あっさりと諦め、作業台の操作パネルやソフィアのページに出ているレシピ一覧に焔が視線を戻す。
彼が『じゃあ早速今から狩りに行くか』と、交戦的な態度にはならなかった事にリアンは正直安堵した。今の自分は焔の配下にあるとはいえ、やはり『魔族狩り』は気持ち的に複雑だ。召喚魔として焔に仕えていようとも、出来れば仲間は殺したくない。
幸いにして焔は初期の保有経験値をただ割り振りしただけでレベルが99にまで達してしまったので、あえて魔族狩りをして経験値を稼ぐ必要がまるで無い事が救いだ。でも所持品は初期の冒険者である以上心許ないので、素材集めの為の狩りをこの先もずっと避け続ける事は流石に出来ないだろう。
(さて、その時にどうやって自分が『魔王』である事を隠し通そうか……)
魔王様大好き!な魔族達が、事情を知らずにサラッとバラしかねない。どうにかしてそれを回避せねば『愛情』と『存在意義』を感じられる夢の様な立ち位置を最速で失ってしまう。それだけはどうにかして避けたい。
——現時点で作成可能な生活必需品が焔の手によって着実に揃っていく中、リアンの目下の悩みはその一点となった。
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