「どこまでって……えーと、さしては……」
「はい、妹の言うように、私どもが、知っているのは、単なる噂話程度のことまで、でしょうか」
常春《つねはる》が、紗奈《さな》を追って言う。
言い訳にも、誤魔化しにも取れる常春の言葉が、どうやら、守孝は、気に入らないようで、ふん、と、鼻であしらった。
「ああ、常春は、昔から、賢かった。今も、あえて、しらぬぞんぜんぬで、通そうとしておるのだろう?私の前、だからかい?」
いえ、と、口ごもりつつ、常春は、守孝へ頭を下げる。
紗奈も、兄の様子のおかしさに気付き、慌てて、頭を下げた。
きっと、兄は、関わりたくないのだ。いや、自分の事を庇っているのかもしれない。また何か厄介なことに巻き込まれてはいけない……と、危惧しているのだと、紗奈は思う。
そもそも、それが、原因で、大納言家を飛び出し、国へ帰るなどと、大仰な話になった。
ここは、兄のように、頭《こうべ》を垂れて、守孝からも、逃げた方が良いのだろう。
何故、唐下がりの香が、出てきたのか、気になるところではあるが、所詮は他家のこと。
と、紗奈も、割りきれた。兄の姿、も、あるが、自分は、かれこれの事に巻き込まれ、そして、それは、今後も続くだろう。
都にいては、その雑音のようなものに、常にまとわりつかれ、時には、危険に晒される。
逃げるが勝ち──。
そんな言葉が、紗奈の頭の中に浮かんでいた。
「まったく、二人して……」
守孝があからさまに感情をぶつけてきた。
何とも言えない、険悪な空気が流れる。
「申し訳ございません!」
正平が、なぜか、詫びてきた。
「私が、いるが為に、お身内での話ができぬ。常春様は、そうお思いなのでしょう。この正平、お邪魔にならぬよう、今すぐ立ち去りまする!」
「ダメですっ!!」
か弱いが、しっかりとした声が、正平を止めた。
タマだった。
「いっぱい、いた方がいいんです。って、一の姫猫が、言ってます!!」
皆は、寄り添い合う、小さな二匹を見た。
その視線に、ニャーニャーと、一の姫猫が、訴える。
「これは、参ったな。姫猫よ、どうされたいのか?」
守孝は、さらに、渋い顔をして、一の姫猫を見た。
「えっと、こちらの、姫様の事を話してくださいって、というか、え?!」
タマは、一の姫猫に向き合って、耳を傾けている。しかし、だんだんと、険しい顔つきになっていった。
「え?!で、でも!信じてもらえないよー!」
タマが、興奮気味の一の姫猫へ、声をかけ、落ち着かせようとしているようにも、見えるが……。
「タマ、猫ちゃんは、どうしたいの?」
何か、また、ごねている。と、いう感じでもなさそうな、一の姫猫の苛立ち具合に、紗奈が、タマへ問いただした。
「自分の見たことを、話すので、確かめて欲しいそうなんです」
タマは、答えながら、困りきっている。
「見たことを?それは、大納言家で、喋ったんじゃないの?」
「えーと、それがー、なんだか、違うようで、一の姫猫も、何が、なんだか、良くわからなくなってきたって。だから、沢山の人、出来れば、この御屋敷と関係のない人に、確かめてもらいたいそうなんです」
それは、腹が腫れた、つまり、実は身籠っている、ということを、なのか?
だが、……信じてもらえない、と、タマが言っていた、ということは……。
もしかして、と、紗奈は、思う。
二匹の様子と、唐下がりの香──。
香を嗅いだ時のタマの様子からして、人よりも、体が小さい一の姫猫も、タマ同様、香の影響を受けやすいのではなかろうか。
そして──。
「……姫猫には、姫君の腹が腫れている、ように、見えていたのですね?そして、姫君は……本当は、いらっしゃらない。違いますか?」
常春が、言ってのけた。
タマと一の姫猫は、皆に向かって、大きく頷いた。
「嘘っ!どうゆうこと?!」
紗奈も、腹が云々、身籠っている云々は、ひょっとして、唐下がりの香が見せる、幻覚のようなものではないかと思った。が、まさか、姫君自体、存在しないとは……。
驚いたのは、紗奈だけではないようで、
「なんと!!そ、それで、小上臈《こじょうろう》様は、執拗に……」
ああっ、と、守孝は、どこか悔しげに呟やき、膝を叩いた。
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