テラーノベル
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客室に戻った俺は大きなベッドでスヤスヤと眠っているアルの姿を目視し、静かに笑った。指示通り素直に寝ている姿をとても愛らしく感じる。カイルは『爬虫類が好きではない』と言っていたが、アルは爬虫類とはまた違うと俺は思う。小さな体でベッドに横たわる姿はきっと、カイルにとっても可愛いと感じるに違いない。クルッと猫のように丸まり眠る姿は充分愛玩対象になり得るだろう。
風呂上がりに着た白いシャツとトラウザーズから夜着へと着替える。ベッド横にあるサイドテーブルの上に用意されていたレモン水をコップへ移してそれを飲むと、早速ベッドに腰掛けた。
神殿を旅立ってからの野営中。ずっとロシェルと二人、狭いテントの中で同衾せざるおえなかったため……一匹先に寝ている者は居るが、それは別として、一人で寝るのは久しい事だ。そのせいかベッドがやけに広く感じてしまう。
端で寝てくれているアルに気遣いながらそっと布団へ入ると、紅い天蓋を見ながら「ふぅ」と息を吐いた。
「……さて、どうしたものか」
魔物戦での圧倒的不利な状況を覆すためにアルと契約した事により、俺は元の世界へ帰還出来なくなった。その事を後悔してはいないが、じわじわと、帰れない事実が心に少しだけ影を落とす。
地位も名誉も得る事が出来た矢先、身一つでこの世界に来てしまった。世の中が平穏になり、やっと自分のささやかな望みに対し前向きに打ち込めると思っていたが、こうなってしまっては、また身を固める所から始めないと、今はまだ嫁探しなんぞ出来ないだろう。でも身を固める手立てが思い浮かばない。
(カイルに頼み、仕事を斡旋してもらうか?)
一瞬そう思ったが、ロシェルの事が心配で他の仕事など考えられない。この世界で自分は彼女の『使い魔』という立場を得てはいるが、はたして『使い魔』は『仕事』なのか?——などと色々考えては、どんどん思考が泥沼に嵌っていく気がする。
嫁が欲しい。
帰れないとわかった以上、叶えたい望みはそのくらいだ。だが、醜男である自分では此処でもそれは難しいだろう……と思ったのだが、ふと考えてみると、この世界に来てからというもの異性から『距離を置かれたな』と感じた事がないと気が付いた。
(もしかして、此処ならば俺でも、仕事さえあれば婚活が出来るのでは?)
いや待て。話した相手など、よく思い出してみれば既婚者ばかりじゃないか。未婚なのはロシェルくらいだが、彼女は俺の主人であり、多くの求婚者を抱える身だ。——あり得ない。
絶望的状況である事に変わりはないのかもしれないが、愛する相手を得るため、本腰をいれて挑まねばならないだろう。
(だが『使い魔』である以上、主人から離れるなど言語道断だ。ここはそうだな、ロシェルに関わる仕事を何か得て、足元が固まったら本格的にこっそり嫁になってくれそうな相手を探そうか)
するべき事が決まると急に眠気が襲ってきた。きっとこれからの道筋が決まった事で安心したからだろう。今晩はゆっくり休み、全ては明日からだ。
一方その頃。
私は自室で母・イレイラから事の次第を聞かされ、ソファーに座ったまま、茫然自失状態になっていた。
「——聞いてるの?ロシェル」
母にそう問われ、ハッと我に返る。
「……え、えぇ。聞いているわ」
不自然な程何度も頷いてから、口元をそっと右手で隠す。『全ては私のせいだ』としか考えられない。当然だ、『今回の旅が原因でシドが元の世界へ帰れなくなった』と母から聞かされてしまったのだから。
そもそも、私が『使い魔を召喚して欲しい』なんて父に言わなければ、彼が召喚魔法に巻き込まれてこの世界へ来る事などなかった。
でもせめて、黒竜様とシドは契約をするべきではないと先に知っていれば、彼が元の世界へ帰れなくなるという事態にもならなかった。『彼の側に少しでも長く居たい』と、『鱗を手に入れるのがちょっとでも先延ばしになってくれたなら』と願ってしまった事にも、今では後悔しか感じない。
我儘で無知な自分がひどく醜怪な心の人間に思えてきて、気持ち悪い。
「レイナードは全て受け止めて、今後の事をゆっくり決めていくと言っていたそうよ」
「……シドらしいわ、優しいのね」
母の言葉に対し素直にそう思うと同時に、『だけど、心の中では私を恨んでいるのでは?』と思い、気が気じゃない。彼に嫌われたくない。傍に居たい……出来れば、ずっと。そんな事を私には考える資格すらないのに、どうしても考えてしまう。
(明日からいったい私はどんな顔で彼に会えばいいの?)
「ロシェル。いいこと?レイナードは決してこの結果に関して、貴女を恨んだりなどするタイプの人じゃないわ。現実主義だって事、貴女もわかっているでしょう?」
膝に置いていた私の手に、母は己の手を重ねそう言った。
「でも……どうしても考えてしまうの。表面上は気にしない素振りでも、本心では私を恨んでいるんじゃないかって」
「そう考えてしまう事をやめろとは言わないけど、勝手に決めつけては駄目よ。貴女は彼の『主人』なのでしょう?ならば『主人』らしく、怯えたりなどせずに接しなさい」
「シドは人間なのよ、使い魔ではなかったわ。私は彼の『主人』として振る舞うなんて、もう出来ないの」
彼と自分を繋ぐ関係を放棄したくはないが、それが事実だ。シドが『人間』である以上、シュウのように彼を『使い魔だ』とはもう、流石に心からは思えない。
「彼はそうは思っていないわよ、断言出来るわ。あくまでも『使い魔』として貴女を守り、側に仕える気満々よ。その気持ちをロシェルは蔑ろにするの?突然此処へ来て、『使い魔』として仕える事が唯一進むべき指標かもしれないのに?」
そう言われてしまうと弱かった。
(此処で生きていく目的になり得るならば是非協力したい。どんな関係でも、彼の傍に居られるならば喜んで受け入れたい。シドが此処で生きていく糧になるならば、このまま『主人と使い魔』のままでいた方がいいのだろうか……)
母の言葉に心が揺れる。悪魔の甘い誘惑みたいな気もするが、不自然に避けて会えなくなるよりはいいのかもしれない。側に居た方が、本心を知る事が出来るかも。
「見極めるといいわ、レイナードが本当はどう思っているのか。彼は何を求めているのか。そして、望みを叶えてあげて。この世界に呼んだ者として、『主人』としての義務よ」
母も召喚された側の人間だからか、言葉の重みが全然違う……。
そんな言葉を聞き、前に、レイナードに対して『望みを叶えてあげる』と言った自分の言葉を思い出した。
(そうだ、この状況に悲観している暇などないわ。私はシドの希望を叶えてあげないと。突然連れて来てしまったからには、せめてそうしてあげるべきだわ)
「わかったわ、母さん。今いきなり割り切る事は出来ないけど……頑張ってみるね」
力なくではあれども微笑んで、頷いてみせる。『確かに、会ってもいないのに、シドに嫌われたかも』と悲観するのは早計だと自分に言い聞かせた。
「だけど、彼の望みを叶える事も大事だけれども、自分の事も考えなさいね?どうしてレイナードの傍に居たいと思うのか、いい加減ちゃんと自分と向き合いなさい。求婚者の事はもう全てお断りしておいたから」
「え?そうなの⁈——いいの?」
知らない人に嫁がなくていいのはとっても嬉しいが、それでは私は行き遅れになるのでは?結婚したい相手が既にいるわけでもないのに、どうしたらいいのだろう?まさか、 これから自分で探すの?
(……そっか。自分で、『好きだ』と思える相手を、探してもいいんだ)
そう思った瞬間、シドの顔が頭に浮かんだ事に私は驚いた。
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