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#ヒューマンドラマ
Hp2
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背後から、しわがれた声がかかる。
「顔色が悪いぞ。昨夜ちゃんと寝たのか?」
振り返ると、倉の管理を手伝っていた中年の役人が、心配そうな顔で縫季を見ていた。
縫季は帳を抱え直し、何でもない顔を作った。
「……大丈夫です。ただの寝不足で」
「地方から来たばかりで慣れないんだろう。無理するなよ。
倒れたら元も子もないからな」
役人は善意で肩を叩き、去っていった。
その瞬間、縫季の肩がわずかに強張った。
布地越しに伝わる掌の重み。
温かく、ざらついた感触。親しげな一撃は、ただ軽く叩かれただけだ。
なのに、肌の下で何かが一瞬だけざわついた。
――まだ、この体は自分のものじゃない。
(ったく、もっと扱いやすい体にしてくれよな……)
感覚が過敏で、ちょっとした接触が妙に鮮明に残る。
指先で帳を触るだけで質感がぼやけるように、人の手が触れると、熱が内側に染み込む。
縫季は小さく息を吐き、肩をさりげなくさすった。
帳の端を強く握り、指の感覚を仕事の感触で上書きする。
(……馴染むまで、もう少し)
役人の足音が遠ざかる。倉の影が、朝の光に薄く伸びる。
縫季は柱から手を離し、歩き出した。
二日前より、ずっと自然に歩けている。
――擬態は、板についてきたということだ。
穀倉を出ると、配給の袋を縫う工房がある。
麻の匂いと、湿った土の匂いが混ざり合い、針が布を割く音が一定の速さで続いていた。
「破れが出やすいところは、二重に縫え。配給は途中でこぼしたら終わりだ」
年若い職人が、隣の手元を覗き込みながら言う。
叱るというより、守るための言い方だった。
縫季は帳に印をつけ、糸の太さと針の摩耗を目で追う。
誰も誇らしげに語らない。
けれど、皆が当たり前みたいに『足りるように』手を動かしている。
市井へ回ると、配給を受け取ったばかりの母親が、子の掌に
塩をひとつまみ落として舐めさせていた。
子は顔をしかめ、すぐ笑う。
その笑い声が、朝の空気に軽く混じる。
縫季は一瞬だけ立ち止まり、その光景を記録するように目に収めた。
塩の白さが、別の白さを呼び出す。
灯台の記録にあった、骨の輪郭が浮いた小さな頬。
泣いているのに声が出ない子供の顔。
あの記録では、子供たちはただ泣くだけじゃなかった。
笑おうとして、笑えなくて、喉を震わせていた。
今ここにいる子供は、まだ笑える。
まだ、塩の味を知って、顔をしかめて、すぐに笑える。
灯台の記録にある『殷』と、いま目の前の殷が、うまく重ならない。
重ならないからこそ、怖い。
そして、守りたいと思ってしまう。
記録とは、誰かが残すことを選んだものだ。
ならば、残されなかったものは――
――任務は歪みを正すことだ。
それ以上でも、それ以下でもないはずなのに。
この「良き時代」を守ろうとしているのは、病床にある陛下だけではない。
「おい、殿下がお見えだぞ!」
列の端から、さざなみのように歓声が上がった。
視線を向ければ、護衛も連れず、軽やかな平服姿で歩いてくる王太子、帝辛の姿があった。
(……殿下?)
縫季が呟く間もなく、帝辛は民の列に歩み寄り、気さくに声をかけ始めた。
ある老人には収穫の具合を問い、ある婦人には子供の成長を祝う。
列の端で、先ほど「陛下が礎を築かれた」と語っていた老吏が、目を細めてその背を見送っている。
――ああ、この人たちは、王太子の中に、陛下の面影を見ているのか。
「王太子殿下も、陛下のお心をそのまま継いでおられる。本当に、この国は安泰だ」
周囲の役人たちが安堵の混じった笑みを交わす。
縫季は帳を抱えたまま、少し離れた場所から帝辛の様子を観察していた。
帝辛は列の先頭に立つ農夫に声をかける。
「……それで、配給が届かなかったと?」
最前列の農夫が、恐縮した様子で頷く。
「はい、殿下。先月の末から、我が村には種籾の配給が……」
「どの村だ」
帝辛の声は穏やかだが、鋭い。
「東の、柳渓村でございます」
「柳渓か」
帝辛は少し考え、傍らに控える書吏に目を向けた。
「帳を」
書吏がすぐに帳を差し出す。
その手が、ほんの一瞬だけ震えた。
(……?)
縫季は目を細めた。
コメント
1件
おお、第2話、めっちゃ良かった…! 縫季の「まだこの体は自分のものじゃない」感、めちゃくちゃ伝わってきた。他人の手の感触が異様に残る違和感とか、リアルだなあ。それと、灯台の記録の中の殷と、目の前で笑ってる子どもが重ならない怖さ、そして「守りたい」って思っちゃう気持ち、すごく刺さったわ。王太子の登場と、書吏の手が震えたシーン…何か来るな?続きが気になる!