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あれから幾日かが過ぎ、街には少しずつ活気が戻りつつあった。ポノと芋の収穫は順調に進み、領民の表情も以前に比べればだいぶ柔らかくなっている。笑う者が増え、子供の声も響き、寂れた村がようやく人の営みを取り戻しつつあった。
だが――。
私、アイリスの胸にはまだ重たい不安が渦巻いていた。
(このままでは足りない、、)
食料が確保できただけでは街は成り立たない。服を作る者もいなければ、細工物を生み出す職人もいない。宿屋や八百屋はあるが、それだけでは通りすがりの旅人すら満足させられない。
領民の数も二十人そこそこ。いくら畑を広げたところで人手が追いつかない。
(人を増やさないと。外から呼び込まないと、この領地はすぐに限界を迎える)
そのためには、この土地に「価値」があることを知らしめる必要がある。
食べ物でもいい。薬でもいい。何か他にはない特産品が、この地に存在するのだと。
私は机の上に、桃色の光沢を帯びたポノの実と、小瓶に入れた乳白色のクリームを並べた。
「、、これなら勝てる」
窓辺に座る黒猫のアイビーが、興味深そうにその小瓶を前足でちょんと突いた。
金と青のオッドアイがじっと私を見つめる。
「アイビー、あなたもそう思うでしょう? これなら売れる」
「ニャァ」
肯定するように鳴いて、肩に飛び乗ってくる。柔らかな毛が頬に触れ、少し緊張が和らいだ。
___
「フェムル様、明日、、、主様に会わせてください」
喫茶店の帳簿を片付けながら切り出すと、目の前の青年――フェムルは目を細めた。
彼は相変わらず不機嫌そうな顔をしているが、こう見えて領地のために共に汗を流している。
「どうした急に」
「やるべきことがまとまりました。主様に許可をいただきたいのです」
「、、わかった」
短く返し、彼はそれ以上問わなかった。
けれども、その眼差しには「本当に大丈夫なのか」と言いたげな色が宿っている。
私は軽く笑ってごまかした。
___
翌日。
店を閉じ、フェムルと共に主様のもとを訪れた。
仮面をつけたままの主様は、いつものように奥の間で帳簿を広げていた。
気配だけで人を圧するその存在感に、私は思わず背筋を伸ばす。
「、、、で、何を企んでいる」
「隣の領地と王都に行く必要があるので、許可をいただきたく参りました」
「領地発展はもうやめたのか」
「違います」
即座に否定し、私は一歩前へ出る。
「主様、この地を発展させるために最も必要なものはなんでしょう」
「、、人」
「そのとおりです。ですが、今の領民の数では到底足りません」
私は戸籍の書き直しで判明した事実を告げた。
住民はわずか二十人ほど。このままでは領地として維持すら危うい、と。
「ならばどうする」
「商売を始めます」
「、、喫茶店はやめたのか」
「やめていません」
少し苦笑して、私は机の上にポノの実を置いた。
「これは、、」
「甘い果実、ポノです」
「変な名だな」
「ぜひ食べてみてください」
渋い顔をしながらも、主様は小さく切り取った果肉を口にした。
「、、甘い」
その一言に、私の心臓が高鳴った。
隣でフェムルが肩をすくめ、軽く言葉を添える。
「確かにこれは売れるだろうな」
私は続けて、小瓶を取り出した。
「もう一つはこれです。ポノの実と花や薬草を煎じて作った保湿クリーム」
「保湿ならどこにでもあるだろう」
「これは水に強く、肌荒れにもよく効きます。他のものと混じりにくいので、持ちもよい。ここでしか作れない品です」
主様はしばし黙り込み、やがて溜息をついた。
「、、確かに売れるかもしれん。だがこれだけでは足りない」
そう言って奥へと姿を消し、やがて大きな木箱を二つ抱えて戻ってきた。
蓋を開けると、そこには淡く光る液体が収められていた。
「これは、、回復薬」
「主様!」
思わず声が出た。
上級品に匹敵するそれを、惜しげもなく差し出すなど――。
「失敗作だ。捨てるよりはマシだろう」
「、、それを失敗作と呼ぶのは、贅沢すぎますよ」
ふと、笑みが漏れた。
この人はぶっきらぼうでも、結局は優しい。
___
「人手はどうする」
「職人を探して連れてきます。護衛や働き手も」
「、、それが一番効率的か」
「はい」
不承不承といった様子で主様は腕を組む。
「安全とは限らんぞ」
「ご安心を」
仮面の下で目を細めた気配がした。
すぐに奥から、銀色の装飾を施された小さなベルを取り出す。
「転移の魔導具だ。二度まで使える」
「、、ありがとうございます!」
思わず深く頭を下げた。
最高峰の魔導具を託されるなど、信頼以外のなにものでもない。
「必ず、素晴らしい人材を連れて帰ります」
「ふん、、さっさと行け」
___
三日後。
出立の準備を整える間、私は領民ひとりひとりに説明を行った。
皆名残惜しそうにしながらも、応援の言葉を口にしてくれる。
宿屋の夫婦からは新しい服を贈られた。私の好みを覚えていてくれたのか、落ち着いた色合いの布地に小さなリボン飾り。思わず胸が熱くなる。
代理として残るフェムルには、責任者として領民をまとめるように頼んだ。
「、、お前、ほんとうに無茶するな」
「フェムル様がいるから大丈夫ですよ」
「はぁ、、心配ばかりさせやがって」
毒舌混じりに笑い返す。
彼の苦労はよくわかっている。だが、それでも背中を預けられる相手はありがたい。
荷物を背負い、肩にアイビーを乗せる。
「アイビー、行こう」
「ニャー」
私は大きく息を吸い込み、領民たちに向けて手を振った。
「いってきます」
___
その頃――。
遠い場所の牢獄。
ジメジメとした闇の中、鎖につながれた者達の声が響く。
「、、ねむた、い」
「、、さみしい」
「、、だれか、たす、、、けて」
冷たい鉄格子の向こうには、出口のない絶望しかなかった。
選ばれた者は二度と帰らず、残された者たちは震え続けるしかない。
___
また別の町では、若き商人の卵が机に突っ伏していた。
「、、今日も失敗か」
夢は商会を立ち上げること。だが資金は溜まらず、下働きから抜け出す目処も立たない。
守るべき約束すら、果たせそうにない。
「、、無理だな」
そう呟いたそのとき、外から風鈴のような音が響いた。
まだ誰も知らない。
この小さな音が、新たな出会いへの呼び声となることを――。