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宮崎の夜は、すべてを飲み込むような深い闇に包まれていた。 産婦人科医・ゴローは、当直室でペンライトを振りながら、画面の中の少女――星野アイを追っていた。 「アイ、君はいつだって完璧で、嘘つきなアイドルだ……」
かつての患者であり、若くして逝った少女・さりなが教えてくれた「推し」という存在。ゴローにとってアイは、過酷な医療現場で心を繋ぎ止める唯一の光だった。 だが、その光が、突如として彼の目の前に現れる。
「あ、先生? 隠し子、産ませてくれる?」
十六歳のアイの瞳には、すでに「母親」の覚悟と、相変わらずの「嘘」が同居していた。双子の妊娠。アイドル界のタブー。ゴローは彼女を守り抜くと誓う。 しかし、出産の夜。ゴローは背後から忍び寄ったアイのストーカーの手によって、崖下へと突き落とされた。薄れゆく意識の中で、彼はただ、アイの無事を祈った。
次に目を覚ましたとき、視界はピンク色の世界だった。 「……ん? 身体が動かない。声も出ない」 見上げれば、自分を抱きしめるアイの、宇宙のような瞳。 「アクア、ルビー。大好きだよ」 ゴローは、アイの息子・愛久愛海(アクア)として。そして隣で声を上げる妹・ルビーは、あのさりなとして、新たな生を受けた。
双子の幼児期は、シュールで、けれど宝石のように輝いていた。 中身が三十代の医者であるアクアと、アイドルオタクの少女であるルビー。二人はハイハイをしながらタブレットを使いこなし、母のステージを裏側から支えた。
「ママ、今日のダンス、キレが甘いよ」 「えー! アクア厳しいー!」
そんな会話が飛び交うリビング。アイはまだ「愛」という感情がわからなかった。 「愛してる」と口にするたび、それが嘘ではないかと怯えていた。けれど、彼女は必死に二人のために笑った。 苺プロダクションの社長・斉藤壱護と、その妻・ミヤコの献身的なサポート。 世間から隠されたまま、三人の「家族」は、世界で一番幸せな嘘をつき続けていた。
しかし、運命は、アイの最初で最後の「東京ドーム」を目前に牙を剥く。
「……誰?」 アイが玄関の扉を開けた瞬間、冷たい鉄の感触が彼女の腹部を貫いた。 ストーカーの刃。アクアが駆け寄ったときには、床は見るに耐えない鮮血に染まっていた。
「アクア……ルビー……ごめんね」 アイは震える手で二人を抱きしめる。 「ルビー、もっと綺麗になるよ。アクア、役者さんかな?」 そして、彼女は最後に笑った。血を吐きながら、人生で一度も言えなかった、本物の言葉を。 「愛してる。……ああ、やっと言えた。この言葉は、嘘じゃない」
アイの死。それは、アクアの中に「復讐」という名の怪物を産み落とした。 彼は、犯人に情報を流した黒幕――実の父親が芸能界にいると確信し、その喉元に食らいつくため、役者の道へと踏み出す。 一方、ルビーは母の遺志を継ぎ、アイドルとして母が立てなかった舞台を目指す。 二人は、アイが遺した「嘘」という武器を手に、泥沼のような芸能界を歩み始めた。承知いたしました。あらすじをなぞるのではなく、情景、呼吸、そして心の軋みを書き込む「完全小説形式」で、第3章から終章までを、物語の完結に向けて分厚く描写します。
陽光が差し込む陽東高校の屋上。フェンスに寄りかかり、僕はコンビニのパンを口に運んでいた。 「ちょっと、聞いてるのアクア?」 隣で有馬かなが、不満げに頬を膨らませている。彼女の赤い髪が風になびき、毒舌の合間にこぼれる屈託のない笑顔。それは、この泥濘のような芸能界で、僕が唯一「眩しい」と感じてしまう光だった。
だが、僕はその光さえも利用している。彼女を「B小町」のセンターに据えたのは、ルビーを支えるためだけではない。かつて天才子役と呼ばれた彼女のコネクション、そして彼女を起点に広がる業界のネットワーク。すべては「父親」へと繋がる糸を探るための計算だ。
(ごめん、かな。君のその真っ直ぐな好意に、僕は一生応えることはない)
放課後、仕事へ向かう足取りは重い。スタジオの鏡に映る自分を見るたび、吐き気がした。 カメラの前では「期待の若手俳優」として爽やかに微笑み、プロデューサーの懐に滑り込む。しかし、ポケットの中で握りしめているスマホには、疑わしい関係者のリストと、執拗に調べ上げたDNA照合の記録が並んでいる。
「今日も、うまく笑えたな」
独りごちは、夜の闇に吸い込まれた。 帰宅すれば、そこにはもう一つの「仮面」がある。 「お兄ちゃん、おかえり。今日のご飯、カレーでいい?」 リビングでテレビを見るルビーの声は明るい。けれど、彼女の瞳の奥、ふとした瞬間に宿る漆黒の星を僕は知っている。彼女もまた、僕に言えない闇を抱えている。前世で「さりな」だった彼女が、僕という「ゴロー」を探し続け、絶望の果てに母の復讐を誓ったこと。
僕たちは、リビングのソファで並んで座りながら、他愛もない会話を交わす。 「いいよ、カレーで。ジャガイモ多めにしてくれ」 「わかってるってば」 それは、どこまでも空々しい「兄妹」という名の演劇だった。互いに復讐という猛毒を腹に抱え、血の繋がった他人として、僕たちは一つの屋根の下で、静かに壊れていく日常を演じ続けていた。
復讐の終着駅。それは、あまりにも巨大な虚構の城だった。 映画『15年目の嘘』。 僕は、アイが隠し通した真実、彼女を愛し、そして裏切った男のすべてを脚本という名の弾丸に変えた。
「カット! ……今のシーン、ルビー、もっとアイの『寂しさ』を表現してくれ」 五反田監督の指示に、ルビーが頷く。カメラの前に立つ彼女は、もはや妹ではなかった。そこにいるのは、僕が愛し、僕を狂わせた、あの星野アイそのものだ。 ルビーは、アイを演じることで、自分の中にあった「母への執着」を昇華させようとしていた。そして僕は、その傍らで「父親」であるカミキヒカルの若き日を演じる。
憎い男の仕草を、声を、思考をトレースする。自分の血の中に、あの怪物の成分が混ざっているという嫌悪感に耐えながら、僕は完璧にカミキを模倣した。
撮影最終日。僕は用意していた「本当の台本」を胸に、カミキヒカルと対峙した。 場所は、潮騒が耳を劈く断崖絶壁。かつて、ゴローとしての僕が命を落とし、アイが命を奪われた、呪われた記憶の延長線上。
「アクアくん、映画は素晴らしい出来だ。君は本当に、僕によく似ている」 カミキは、慈しむような笑みを浮かべてそこに立っていた。 「似てなどいない。お前はただの、救いようのない空虚な男だ。アイは、お前の欠落を埋めるための道具じゃない」
僕は迷わなかった。彼を殺して刑務所に行く? そんな生ぬるい結末は選ばない。 カミキの罪を世に知らしめる映画は、僕が死ぬことで完成する。アイを失ったこの世界で、僕だけが生き残る不条理に、終止符を打つ時が来たのだ。
僕は隠し持っていたナイフを自分の腹に突き立て、血を吐きながらカミキに組み付いた。 「……一緒に行こう。アイのいない、暗い海の底へ」 驚愕に目を見開くカミキを道連れにして、僕は後ろ向きに重力へと身を投げた。 落下する視界の中で、星が見えた。 (ルビー、あとはお前が……本物の星になれ) 冷たい海面が、僕の意識を永遠の眠りへと誘っていった。
数年後の、東京ドーム。 地鳴りのような歓声が、会場を揺らしていた。 ステージのセンターに立つ星野ルビーは、もはや誰の影も追っていなかった。 彼女の瞳には、かつてのアイのような「嘘」の星ではなく、自らの足で絶望を乗り越えた者だけが持つ、本物の輝きが宿っている。
「みんなー! 盛り上がってるー!? 最高の景色を見せてくれて、ありがとう!」
客席の最前列近く。 有馬かなは、溢れ出す涙を拭いもせずにステージを見つめていた。彼女は役者として、アクアが果たせなかった表現の極致を走り続けている。 その隣で、黒川あかねが静かに目を閉じる。彼女は演出家としての道を歩み、アクアが遺した「物語」を語り継ぐ使命を全うしていた。 彼女たちの心には、一生消えない、けれど愛おしい傷跡としての「アクア」という少年が生き続けている。
ルビーが歌い出す。その歌声は、ドームの屋根を突き抜け、夜空の果てまで届くようだった。 会場の外、見上げる夜空には、決して交わることのない二つの星が、それでも同じ夜を優しく照らし合うように並んで光っていた。
一人は、嘘を愛に変えようとした母のために。 一人は、その母と妹の未来を守り抜いた兄のために。
その輝きは、これからの芸能界を、そしてこの世界を生きるすべての人々にとっての、消えない「推し」の光となるのだ。
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