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体が透けてしまったミラとしばらく無言で見つめ合っていると、足音がもう一つ聞こえてきた。


「……ミラのこと、驚かせてしまったな」

「アルファルド様……」


アルファルドがミラに近づき、彼の腰の位置にあるミラの頭をポンとなでる。

半透明の姿ではあるが、触れることはできるようだ。


「朝食のあとで、少し話をしてもいいだろうか」

「……分かりました。すぐ用意しますね」


それから、エステルは急いで朝食を用意した。

ミラの席にもいつもどおりに食事を並べたが、結局ミラが口をつけることはなかった。



◇◇◇



朝食を済ませたあと、三人で居間のソファに腰かける。


「話すと長くなるかもしれないが、聞いてほしい」

「はい、お願いします」


隣に座るミラの手を握りしめながら、エステルが答える。

アルファルドは、一度だけ深く息を吐いたあと、低く落ち着いた声で話し始めた。


「──私の本当の名は、アルファルド・ミラ・グラフィアスという」


その言葉を聞いた瞬間、エステルの心臓がどくんと大きな音を立てた。


「グラフィアスって、王家の名前では……」

「ああ、私はグラフィアス王家の第四王子だ」


この国の王子は三人だけだと思っていた。

なぜなら、誰も第四王子を話題に出すことがなかったからだ。


(ああ、でもいつだったかハダルが「王家には、三人の王子がいる」って言ってた気がする。つまり、四人目の王子はいなかったことにされてしまったのね……)


それに、もう一つ、気づいてしまった。


「ミラって名前……」


何か確信めいたものを感じ、全身の血の気が引いていく。

冷たくひえたエステルの手を温めるように、ミラの小さな両手が包みこんだ。


そして、アルファルドの真剣な眼差しがエステルの揺れる瞳を捉えた。


「そうだ。ミラは、もう一人の私なんだ」



◇◇◇



アルファルドは、王国の第四王子として生まれた。 しかし、王子といっても側妃腹だったアルファルドは、正妃の息子たちと比べて劣る扱いを受けることが多かった。


教育を受ける機会も他の王子たちより少なく、時間を持て余していたアルファルドは、自然と騎士の稽古場へ見学に行くようになった。大きな剣を軽々と振るう騎士たちに憧れていたのだ。


五歳になると、騎士の誰かが子供用の軽い木剣を持たせてくれ、剣術を教えてくれるようになった。 嬉しくて一生懸命に練習していると、それを見かけた剣術の師範に「才能がある」と褒められた。


王城ではほとんど日陰の身だったアルファルドにとって、何よりも誇らしい瞬間だった。

将来は騎士になりたい。そう思った。


しかし、六歳を過ぎると、アルファルドに新たな才能が芽生えた。

突然、桁違いの魔力が開花したのだ。


国王はアルファルドの魔力に目をつけた。


「この子には、闇魔法使いの素質がある」


闇魔法は、一般的な火や水などの属性魔法とは異なる体系の魔法であり、その使い手となる者はまれだった。


なぜなら闇魔法使いになるには、膨大な魔力と、ある代償が必要となるからだった。


しかし今、闇魔法使いの逸材となれる存在が現れた。


「アルファルドの魔力量なら、闇魔法を極めることができるだろう。最高位の闇魔法使いとなれば、洗脳や記憶の操作も容易いという。我が王家にとって貴重な手駒となる」


国王はアルファルドを闇魔法使いにすることに決め、ある日、側妃とともに夕食をとっていたアルファルドのもとを訪れた。


その日の夜は雨風が酷く、窓からは時々、鋭い稲光のあとに落雷の音が聞こえた。


「今夜は一晩中、嵐かしら」


側妃がぽつりと呟いたとき、部屋の扉が開き、国王がやって来た。


「陛下……!?」


来訪の予定など聞いていなかった側妃が驚き、慌てて立ち上がる。

しかし、そんな彼女には目もくれず、国王は真っ直ぐにアルファルドに近づき、その小さな手を捻りあげた。


「な、何をなさるのです!?」


側妃がアルファルドを助けようとしたが、国王の騎士から喉元に刃を突きつけられ、身動きを封じられた。


「母上!」


アルファルドは国王の手から逃れようともがいたが、子供の力で抜け出せるわけがなかった。


「お前は闇魔法使いになるのだ」

「闇魔法使い……? い、いやです! 離してください!」

「闇魔法使いになるには、良心を捨て去る必要がある」


アルファルドを冷たい目で見下ろしながら、国王が懐から赤い石を取り出した。


「それは、聖石……?」


アルファルドが赤い石を見て呟く。

聖石は王族が誕生したとき、一人に一つ与えられる石で、莫大な力を宿している。


たとえ自身に魔力がなくても、この石があれば強力な力を行使できるのだ。


そんな石を今ここで取り出すなど、嫌な予感しかしなかった。

国王が冷たい目をしたままアルファルドに答える。


「そう、聖石だ。これからお前の良心を抜き取って、この石に封じる」

「そんな……いやです! やめてください……!」


国王が聖石をアルファルドの胸に押し当てた。


「アルファルド・ミラ・グラフィアスの善なる心を封じよ」


国王の言葉とともに、聖石の中にある火花が弾けるようにきらめく。

そして同時に、アルファルドの瞳から光が消え失せた。


国王が眉ひとつ動かさずに告げる。


「第四王子は今、死んだ。お前はこれから闇魔法使いとして生きるのだ」


窓の外から、ひときわ大きな落雷の音が聞こえた。



◇◇◇



その後、アルファルドは塔の中に閉じ込められた。

闇魔法を使わされるとき以外は外に出ることを許されず、人生のほとんどを塔の中で過ごした。


成長するにつれ、なぜ自分がこんな命令に従わなければならないのかと思うことも出てきたが、命令に背くと締めつけられる首輪を付けられていたため、大人しく言うことをきくしかなかった。


十年ほど経つと、国王だけでなく長兄である第一王子もアルファルドに命令をするようになった。


いつか国王が死ねば解放されるかと思っていたのに、跡継ぎにまで利用されることにうんざりし、その後はもう考えるのをやめることにした。


闇魔法を使う日と何もしない日の繰り返しが、また何年も続いた。



しかし、ある日の夜、病人のように痩せ細った女が塔へとやって来た。

見覚えのない女だったが、「アルファルド」と呼ぶ声に聞き覚えがあった。


おぼろげな記憶を辿ってみれば、それはずいぶんと老けていたが、アルファルドの母のようだった。


「これを持って逃げなさい」


そう言って母親から手渡されたのは、アルファルドの良心が閉じ込められた赤い聖石だった。


母親は小さな鍵を取り出して、アルファルドの首輪に付けられていた錠を外した。


「あなたの人生を取り戻しなさい」

「貴女はどうするんだ?」

「わたくしはここで責任を果たします」


責任を果たすとはどういう意味か分からなかったが、アルファルドは母親に言われたとおり、聖石を持って塔から逃げ出した。


王城と関わりのない、誰もいない場所を目指し、鬱蒼とした森にたどり着いた。

他に行くあてもなかったため、森に放置されていた小屋で暮らすことにした。


これから奪われた人生を取り返そうと思い、聖石に閉じ込められた良心を自分の心に戻そうと試みたが、どうしてか上手くいかなかった。


十五年という時間はあまりにも長すぎた。

その間ずっと心が空洞を抱えたまま凍りついていたせいで、今さら元には戻せなくなっていたのかもしれない。


仕方がないので、アルファルドは良心を戻すのは諦め、代わりに体を与えることにした。


これからは、良心を別人格として存在させ、彼の言うことを尊重すれば、良心に従った人間らしい行動を取れるはず。そう考えたのだった。


闇魔法を使うと、簡単に実体化させることができた。

しかし、同い年の姿になるのではないかという予想を裏切り、良心は六歳のアルファルドの姿をとった。


石に閉じ込められたまま成長していなかったからかもしれない。


アルファルドは、良心に自分の名前の一部である「ミラ」という名前をつけた。


ミラはたしかにアルファルドの良心だった。


いつか、アルファルドの母である側妃が亡くなったと噂が流れてきたとき、アルファルドは何の感慨も覚えなかったが、ミラは大粒の涙を溢れさせ、声をあげて泣いた。


だからアルファルドは、ミラが何か言えば、自分の考えよりもミラの意見を尊重することにした。


それがきっと、本来のアルファルドの選択だっただろうから。



◇◇◇



「そんなことがあったなんて……」


ずっと黙ってアルファルドの話を聞いていたエステルの瞳から、涙がこぼれ落ちた。


まだ幼かったアルファルド一人に、そのような犠牲を強いるなど、まったく理解できない。


国王といい、レグルスといい、自分の幸福を追求するためには、誰がどうなろうと構わないのだろう。その非道な仕打ちを思うと、全身に怖気が走った。


そして、アルファルドがミラに過保護だったことにも合点がいった。


「だから、アルファルド様はミラを大切に守っていらっしゃったのですね」


エステルは納得したように呟いたあと、はっとしてミラに顔を向けた。


「では、ミラの姿が薄くなってきているということは、つまり……」


震えるエステルの言葉をアルファルドが引き継ぐ。


「ああ。ミラは明日には私の心の中に戻るだろう」


聖女は結婚相手の王子を捨て、闇魔法使いの手を取る 〜どうか私を呪ってください〜

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