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「え、松村先生じゃないですか」
昼食の前の時間に姿を見せたのは、放射線治療の担当だった松村先生。顔を合わせた時間は少ないが、しっかり覚えている。
なぜか最近は懐かしい人たちがたくさん会いに来てくれる。
「今、大丈夫ですか」
ほかの医師のような笑みは伴っていないが、言葉は優しい。
「ええ。でもどうされたんですか」
「…一度来たほうがいいかな、と思ったので」
よくわからない理由だが、久しぶりで嬉しい。
「緩和ケアをやっているようですね。どうですか」
「確かに楽になりました。がんは進行しているようですけど」
「そうですか」
タイミングを見計らい、あの質問を口に出す。「先生、ちょっと聞きたいことがあるんですけど」
「はい」
「どうして、放射線科の医師をされてるんですか?」
不意打ちを食らったように、目を少し見開く。もしかしてタブーだったかな、と思ったが、
「……最初は、心臓血管外科医だったんです。家が代々医者で、両親からの圧がすごくて。でもまあ人生のレールが敷かれているようなもので、ちょっと楽でもあったかな」
窓の外、どこか遠くを見ながら話す。
「でもある日、心臓の手術をした患者さんを後に死なせてしまって。医療事故だ何だって散々言われて、病院も変えて診療科も変えました。それで、放射線を選んだ理由は一つです。余程のことがない限り、死に直面することがないから」
あまりに重い経緯に、沈黙してしまう。
「ごめんなさい、気持ち良くない話でしたよね」
「いえ。じゃあなんで、もうすぐ死ぬわたしに会いに来てくださったんですか?」
じっと床を見つめたあと、「なぜでしょうか」
そこで初めて、先生は薄く笑った。
「とりあえず、お元気そうでなによりです。僕はそろそろ」
「ありがとうございました」
お大事に、と言い白衣の裾がドアの外に消える。
最後までミステリアスだな、と思った。
夕食をゆっくり食べ終え、少し寝ようかなと思ったところで、ノックの音に気がついた。
「失礼します…夜分にすみません」
1回聞いたことのある柔らかい声。高地先生だ。
病室に入ってきた先生は私服だから、帰るところなのだろう。「今お話いいですか?」
あのときと同じにこやかな笑みを浮かべる。
「大丈夫です。え、でもどうして?」
「んーまあ、今日は早く終わったので久しぶりに佐伯さんの様子を見たいなと」
なんでみんな一緒の理由なのかな、と不思議だ。
「もう桃の花が咲いていますね。中庭、見に行かれました?」
「はい。ついこの間、看護師さんに連れて行ってもらいました」
「それは良かった。綺麗ですよねぇ」
お花のようなあたたかい笑みで言う。その笑顔を見ているだけで、なぜか幸せな気分になる。
そこで、例の質問を切り出した。「…先生の、お医者さんになろうと思った理由ってなんですか?」
「なんだと思います?」
逆に問いかけられる。でも答えが思い浮かばない。「えっと…わからないです」
「まあ、わからなくて知りたいから聞かれたんですよね。理由としては…、人の役に立ちたかったからです。苦しんでる人の心を癒してあげたい。でも人の役に立てる職業って、ほかにもたくさんあるんですけど。あとは『医師ってかっこよさそうだなあ』っていうただのイメージです。薄いですよね」
それでも、イメージの先で夢を叶えられたんだから、十分すごい。
「十二分に、役に立ってますよ。だって、わたしの背中も押してくださったんですから」
「ええ、僕なにかしました?」
「もちろん。先生が緩和ケアのことを話してくれなかったら、緩和ケアは受けたくないっていう変なプライドが邪魔をして、もっと苦しかったかもしれないですから。今なら、気持ちよく逝けます」
「そうですか」
「…でも本当は、治したかったです。前も話したと思いますけど、父と祖父を同じかたちで亡くしているので、わたしは病気に抗いたかったんです。ちょっとだけ、そういう思いがあって」
「やっぱり」
…やっぱり? なんでやっぱりなんだろうと思うと、
「誰だって、死ぬのは怖いものです。御家族を看取られてきたとはいえ、いざ自分となると不安でしょう。でも、それでも強い意志でしたよ、佐伯さんは」
まるで観音菩薩のような穏やかな目で、寄り添うように言った。わたしは本当に安心していた。
「じゃあそろそろおいとましますね」
「わざわざ来てくださって、ありがとうございました」
いいえ、と微笑して部屋を後にした。
そういえば、昴くんの担当医の森本先生には聞けていないな、と思ったが、こんな会話の内容を思い出した。
――医師になるときは、子どもとの距離が近い小児科かなって決めた――。
子どもが好きらしいことはわかった。
でも、もしかしたら森本先生も松村先生みたいに医者家系なのかもしれない。だから職業の選択が自由にできず、小児科医を選んだのか……。
そんなことを考えたが、すべては想像に過ぎない。
わたしも、子どもが好きで保育士になった。それなのになぜ、こんなに早く辞めなくてはいけなかったのか。悔やんでも悔やんでも仕方ない。
でも、先生たちの話を聞けて良かった。
いい人たちに最後診てもらえて、嬉しかった。
先生たちのことは、きっと忘れない。
ひとりじゃないんだと思えた。
続く