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そして翌週の早朝4時半、楓は職場へ向かっていた。

楓が働いているのは都心のビジネスホテルだ。このビジネスホテルは楓が住んでいる駅の一つ隣の駅にある。しかしこの時間帯はまだ電車が走っていないので、楓はいつも歩いて職場に向かった。


ホテルではモーニングの朝食スタッフと客室清掃の仕事をしていた。

朝早い仕事は慣れるまでがきつかったが慣れてしまえばなんてことはない。

朝早く出る代わりに午後13時には仕事が終わるので、一日を有意義に使えるこの仕事を楓は割と気に入っていた。


そして何よりも職場のスタッフ達が皆いい人達だった。

特に朝食のパントリースタッフは優しくて楽しい人ばかりだ。

スタッフのメンバーは50代が二名、60代が一名、あとは70代のパートが一人いる。

その中では楓が一番若いので、皆楓の事を娘や孫のように可愛がってくれた。

その他にも余った料理やパンをもらって帰る事も出来た。これはなるべく節約したいと思っている楓にとっては有難かった。

本来は残った料理を持ち帰る事は禁止されていたが、今の支配人はあえて見逃してくれている。

だから残った食材は廃棄せずに、皆で分けて持ち帰るようにしていた。


楓は幼い頃両親を交通事故で亡くした。

あれは楓がまだ7歳の時だった。

楓の小学校入学を祝う為に、家族四人でファミリーレストランへ向かっている途中だった。


交差点で信号を待っていた四人の元へ、突然大きなダンプが突っ込んできた。

ダンプは両親や兄から少し離れた位置へ立っていた楓めがけて飛び込んでくる。それに気付いた両親は、咄嗟に楓の方へ駆け出した。


次の瞬間、ものすごい音が辺りに響いた。


ギギギギーーーーーッ ドスンッ グワッシャンッ


楓は今でもその音を忘れない。

気付くと楓は両親に思い切り突き飛ばされ歩道の隅に横たわっていた。

そして少し離れた場所では両親が頭から血を流してぐったりとしていた。

楓を助けようと駆け寄った両親は、楓の身代わりとなり二人揃って天国へ行ってしまった。



その後、楓と8歳年上の兄・良は施設へ預けられた。


良は18歳になると同時に施設を出て一人暮らしを始めたが、楓を一緒に連れて行く事はなかった。

当時まだ10歳だった楓は、その後18歳まで施設で過ごした。


事故当時、兄の良は都内で一番偏差値の高い私立の中高一貫校に通っていた。

良は医者になりたいと医学部を目指していた。もちろん両親もそれを応援していた。

しかしあの事故を境に、良は医者になる夢を諦めた。



『お前を助ける為に父さんと母さんは犠牲になったんだ』

『お前のせいで俺は夢を諦めなきゃならないんだぞ!』

『お前さえいなければ、こんな事にはならなかったんだ。妹なんていなければ良かったんだ』



楓は両親の死後、何度も何度も良に責められた。

当時まだ幼かった楓はただ泣くしかなかった。ただでさえ両親がいなくなり不安だった楓の心に兄が追い打ちをかける。楓はその頃から常に罪の意識を持つようになった。


施設を出た良は、叔父のアドバイスにより家族で住んでいた家を売却する。

売却の手続きは叔父が全て代行してくれたが、売却代金の中から1000万円を叔父がかすめ取って行った。

その時の叔父による説明はこうだった。


「僕は君達のお父さんに1000万円を貸していたんだよ。だからここから1000万円返してもらうからね」


それが真実かどうかはわからない。当時まだ10歳だった楓には、兄に全てを任せるしかなかった。


その後、売却代金の残りの金を使い良は一人暮らしを始めた。そして大学へ通う。

元々地頭が良かった良は現役で国立大学へ合格し大学時代も優秀な成績を収めた。更に良は持ち前のコミュニケーション能力を駆使して誰もが憧れる一流商社へ就職した。そして今は都心にある商社の本社で働いている。


親から引き継いだ財産の事を楓は一切何も知らなかった。全ての管理は良が行なっていた。

楓も良と同じ両親の実の娘であるのに相続した金は一円もなかった。だから楓は進学も諦めた。


両親が遺した物で楓が唯一手にしたのは、母親が大事にしていたネックレス一つだけだった。

そのネックレスのペンダントヘッドは銀線細工で作られていた。繊細な楓のモチーフにカーネリアンという石が一粒載っているデザインだ。カーネリアンは朱色に近い美しいオレンジ色をしていた。


楓の母はこのネックレスを楓に見せながらよくこう言った。


「このネックレスはね、お父さんと交際していた時に初めてもらったプレゼントなのよ。楓の葉が紅葉するとね、ちょうどこんな色になるの、素敵でしょう? これはお母さんの一番の宝物だから、楓が大きくなったらあなたにあげるわ」


あの時の幸せそうな母の笑顔を楓は今でも覚えていた。

楓は身に着けているペンダントのヘッド部分に指でそっと触れながら歩き続けた。


そして最後の曲がり角に差し掛かった時、突然楓は足を止めた。そしてそこにある店のショーウィンドーを覗き込む。

その店はウェディングドレス専門店だった。

上品な店構えのショーウィンドウには、毎月違うウェディングドレスが展示されていた。今日は月初なのでちょうど新しいドレスにチェンジしたばかりだ。

初めて目にするドレスを見て、楓はうっとりした表情を浮かべる。


(うわぁ素敵……)


楓がショーウィンドウに見入っていると突然後ろから声がした。


「楓ちゃんおはよう! そんなとこでぼーっとしてると遅刻しちゃうわよー」


楓が後ろを振り向くと、そこには朝食スタッフのリーダー・松井由美子(まついゆみこ)が立っていた。

由美子は54歳。楓の母親が生きていればちょうど同じ年齢だ。


「由美子さんおはようございます」

「あら、ドレスまた新しいのに変わったわねぇ」

「はい。毎月見るのが楽しみです」

「楓ちゃんはいつか着られるからいいけど、バツがついたあたしにはもう関係ないだろうなぁ。それにウェディングドレスにはあんまりいい思い出もないしねぇ…」


由美子がアハハと笑いながら言ったので楓もボソッと呟く。


「私も見るのは好きですが着るのは……」

「え? 着たくないの? へぇ……若い子はてっきり憧れてるのかと思ったわ」

「私は結婚自体にあまり興味がないから……」

「そうなんだ。まあ今時の子は結婚願望なんてあんまりないみたいだからねぇ。一人の方が気楽だしねー」

「はい…」

「でもまあ若いうちだけよ、そんな事言ってられるのは。あたしみたいに段々身体が弱って来るとさぁ、一人だとしんどーって思っちゃうもん。まぁ楓ちゃんがそうなるのはまだまだ先だけどさぁ。さあて、じゃあ行こうか。今日も頑張ろうー!」

「はいっ」


そして二人は職場へ向かって歩き始めた。

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