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さよならの代筆屋
雨の日になると、あの店は必ず開く。
商店街の奥、古びたアーケードの隅にある小さな店。
看板には、手書きでこう書かれている。
「代筆屋 ことのは」
手紙を代わりに書く店だ。
恋人への告白、謝罪、別れ。
言葉にできない気持ちを、店主が代わりに手紙にする。
ただし――
その店には、ひとつだけ奇妙な噂があった。
「人生で最後の手紙を書く店」
という噂だ。
高校二年の秋。
俺は、その店の前で足を止めていた。
理由は単純だ。
書けない手紙があった。
ポケットの中には、くしゃくしゃの便箋。
何度書いても、途中で破ってしまう。
宛先は――
母さん。
三年前に、家を出ていった。
理由はよくわからない。
ある日突然、いなくなった。
父はその話を一度もしない。
俺も、聞かなかった。
ただ、最近になって思う。
もし何か理由があったなら。
もし俺のせいじゃなかったなら。
…いや。
もしかしたら俺のせいかもしれない。
そんなことを考える夜が増えた。
だから手紙を書こうとした。
でも――
書けない。
扉の前で立ち尽くしていると、
カラン、と中からベルが鳴った。
「入らないの?」
声がした。
振り向くと、そこに立っていたのは
俺と同じくらいの年の女の子だった。
黒いエプロン。
長い髪。
どこか静かな目。
「ここ、代筆屋だけど」
「…知ってる」
「手紙、書けないの?」
俺は黙って便箋を見せた。
彼女は少し笑った。
「よくあるよ」
そして言った。
「入れば?」
店の中は、思ったより狭かった。
机が一つ。
棚にインクと紙。
壁にはいくつもの封筒。
そして奥に、古い木の椅子。
「座って」
彼女は言った。
「店主は?」
「今はいない」
「え?」
「私が代筆するから」
さらっと言われた。
「…高校生じゃん」
「だから?」
「大丈夫なの?」
彼女はペンをくるくる回した。
「ここ、手紙を書くのに年齢関係ないよ」
それから、少しだけ真面目な顔になった。
「言葉は、思った人が一番知ってるから」
机の上に紙を置く。
「で?」
「誰に書くの?」
俺は少し迷ってから言った。
「…母親」
彼女は何も言わず頷いた。
「どんな人?」
「わかんない」
「え?」
「三年前に出てった」
それだけ言うと、胸が少し痛くなった。
彼女はペンを動かさず、俺を見ていた。
「怒ってる?」
「わかんない」
「会いたい?」
「…わかんない」
しばらく沈黙が続く。
雨の音だけが聞こえた。
やがて彼女は言った。
「じゃあ、正直に書こう」
紙にゆっくり文字を書き始める。
『母さんへ』
ペン先が滑る。
俺はその文字を見ているだけだった。
「続き、どうする?」
俺は口を開く。
「…なんでいなくなったの?」
彼女は書いた。
『どうしていなくなったの?』
「俺のせい?」
『俺のせいだった?』
言葉が少しずつ紙に並ぶ。
胸の奥に溜まっていたものが
少しずつ出ていく。
気づいたら、全部話していた。
母さんと一緒に作ったカレーの話。
運動会の話。
最後に見た背中。
彼女は全部書いた。
そして最後に聞いた。
「最後の一行、どうする?」
俺は長く考えた。
窓の外はまだ雨だった。
そして言った。
「…元気ならいい」
彼女は少しだけ微笑んだ。
『元気なら、それでいい』
手紙はそれで終わった。
封筒に入れると、彼女が言った。
「送る?」
俺は首を振った。
「住所わかんない」
「そっか」
彼女は立ち上がる。
そして店の奥の棚に手紙を入れた。
「預かっとく」
「え?」
「ここ、そういう店」
「…どういう意味?」
彼女は少し考えてから言った。
「いつか届くかもしれない手紙を預かる店」
意味はよくわからなかった。
でも不思議と、悪くない気がした。
帰ろうとすると、
彼女が言った。
「また来ていいよ」
「…うん」
「雨の日なら、開いてる」
それから数日後。
俺は商店街を歩いた。
雨だった。
ふと思い出して、その店に行った。
でも――
そこには店はなかった。
空きテナントだった。
看板もない。
驚いて隣の店に聞いた。
「すみません、ここって…」
店のおばさんは首をかしげた。
「ずっと空きだよ?」
「代筆屋が…」
「そんな店、聞いたことないねえ」
俺は言葉を失った。
嘘だろ。
でも、あの手紙は――
その時だった。
ポケットの中に、何か入っているのに気づいた。
取り出す。
封筒。
見覚えのある字。
震える手で開ける。
中には一枚の手紙。
母の字だった。
『蒼へ
元気にしてる?
急にいなくなってごめんね。
ずっと手紙を書きたかった。
でも、どう書けばいいかわからなかった。
あなたはきっと私を嫌ってると思ったから。
でも、
代筆屋であなたの手紙を読んだ。
元気ならそれでいいって書いてあった。
泣きました。
本当にありがとう。
私は元気です。
あなたも元気でいてね。
母より』
雨は、まだ降っていた。
俺は空を見上げる。
あの店はもうない。
でもきっと、
どこかで誰かの手紙を書いている。
言えない言葉を、代わりに。
そして俺は初めて思った。
いつか会えるかもしれない、と。
その時は――
もう手紙じゃなくて、
ちゃんと言葉で言おう。
「ただいま」って。
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