※この物語はフィクションであり実在の人物団体とは一切関係ありません。
ホームに向かう階段は、さっきまで降っていた雨の匂いを残していた。
空気が湿っている。空には薄い雲がかかっていた。
俺は数段前を歩くケイの後頭部を見ながら、何とも言えない気持ちを飲み込むことに専念する。
「ケイのことが好きなの。ハルト、ケイにこのこと言わないでね」
小学校に上がる頃からずっと一緒に過ごしてきた優子が、見たことも無い顔と、聞いたこともない声でそう言ったのはいつだっただろう。
もうずっと前のような気がするが、つい最近のような気もする。
優子は俺の 幼馴染(おさななじみ)だ。正義感が強くて、小柄なのにパワフルで、何と言っても優しくて可愛い。
本人に言ったことは無いけど。
ケイも俺の幼馴染だ。俺が小学校四年の時に隣に越してきた一つ年上の幼馴染。
外国の血が入っているのではと思わせる顔立ちと、母親の影響で続けているのだと言うバレエのせいか、すらりとした体型と姿勢の良さが際立つ。背も高いし、何よりケイもまた優子と同じように優しい奴だ。優子が魅かれることに不思議はない。
でも。
(俺の方が、ずっと早く優子と一緒に居たのにな)
いつも一緒にいた少女のことを好きになったのがいつかなんて覚えていないけど。優子も少なからず俺に好意を抱いてくれていると思っていたのに。
ホームに降り立つと、いつもの 癖(くせ)で向い側のホームを見てしまう。
そこには、ブレザー姿の優子がいて、恥ずかしそうに手を振っていた。
俺は頷くだけだが、ケイは 律儀(りちぎ)に振り返す。
丁度その時、優子の姿を掻き消すように電車がホームに入って来た。
俺は二人の間に特別な空気が生まれるのを見たくなくて、黙って電車に乗り込んだ。
発車ベルに変わって、地元の作曲家が作ったらしい童謡が流れてくる。
それを合図に俺達は向かいのホームに居る優子に軽く手を振って「また明日」と別れるのだ。
今日もまた、俺達は窓際に立って優子を見ていた。これがいつものパターン。
だが今日はちょっと違っていた。優子は片手を上げたまま、ぽかりと口を開けている。
何かあったのだろうか。優子は、俺達ではなく宙を見つめたまま 微動(びどう)だにしない。
電車が動き出し、遠ざかる彼女の姿は可愛らしいような、間抜けなような感じで。
明日何があったのか聞いてみようと思った。
電車は田園地帯を走る。
線路が緩くカーブを描いているのが見えるほどには、この辺りには畑しかない。遠くにちらほらと民家らしきものが見え、時折、ネーミングセンスを捨てる代わりに立てる事を許されたとしか思えない看板が通り過ぎる。
夕暮れ時。田舎を走るこの電車にもそこそこ乗客はいる。
――はずだった。
「あれ」
気がつけば、この車両の乗客は俺達だけだ。
確かに廃線の噂がちらほら出てくるような田舎路線だが、それでもこの時間に一両丸ごと無人になるとは考えにくい。
「なんか今日、ガラガラだな」
「そう?」
俺はざわつく胸を呼吸一つで押さえて、あたりを見回した。
窓際に一列に並ぶ座席。やはり誰もいない。
だからといって何と言うわけでもないのかもしれない。4両しか無い電車が無人駅を通過するような路線なのだ。本数だって一時間に数本。だが。早朝でもないのに、一両丸々無人と言うのはやはりちょっと落ち着かない。
「確かに空いてるね」
同じように辺りを見回していたケイが、そう言った。
「僕は、無人の電車ってちょっとテンション上がる」
能天気にそう言うケイに、俺は首を傾げた。
「電車自体もちょっといつもと違うみたい。天井に扇風機ついてるし」
ケイは手を伸ばすと、天井から生えているような丸い扇風機の淵をなぞる。
「レトロ車両だ」
ケイは楽しげにそう言うと、スマホを取り出してシャッター音を響かせた。
「ほら」と言って満面の笑みでこちらに画面を向ける。
何が「ほら」なのかわからないが、この無邪気さに優子は心惹かれたのかもしれない。
いや、無駄な肉の無いスタイルにかもしれないし、俺達よりも年上のくせにどことなく頼りない雰囲気に 庇護心(ひごしん)が刺激されたのかもしれない。
俺は急に面白くなくなって「はいはい」とおざなりな返事をして、視線を逸らした。
「まあ、前の方の車両には流石に誰か乗ってんだろうけど」
俺達は前の車両を覗いてみる事にした。
俺は妙に緊張する手でレバーを操作して自分の乗っている車両のドアを開けると、すぐに立ち 塞(ふさ)がるもう一枚のドアも引き開ける。その途端、自分の想像が間違っていたことに気がついた。
――誰もいない。
立ち 竦(すく)む俺を通り越して、ケイが車両の中央部分まで歩く。その姿越しにもう一つドアが見えた。
二両とも無人。何かがぞわりと背筋を這いあがった。
ケイは俺の方を振り返りながら「こんな事もあるんだね」と言ったが、すぐにその表情が強ばった。
視線は俺を素通りしていて、俺の背後に向けられている。
こんなシーンには覚えがある。古今東西映画なんかで使われるアレだ。俺の背後から殺人鬼とか怪物とかが襲って来ているところで。
俺はぱっと振り返った。
コメント
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おぉ。面白い
うわぁぁぁぁあ! こわぁぁぁぁぁあい!