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第171話 光路
【現実世界・湾岸方面/崩壊寸前の保管棟前・朝】
保管棟が、こちらへ傾いていた。
鉄骨の悲鳴。
裂ける壁。
砕けるガラス。
崩壊はまだ一瞬先なのに、その一瞬の重さがすでに空気を押しつぶしている。
「走れ!」
城ヶ峰が怒鳴った。
隊員たちが一斉に動く。
だが、ただ散って逃げればいいわけではない。
中枢ログを落とせない。
点滅する照明を切れない。
循環するケーブルも、ここで途切れさせたくない。
日下部はケースを抱えたまま、息を切らして叫んだ。
「交差してる光のところで食い方が鈍る!」
「一直線じゃなく、輪を重ねてください!」
木崎が即座に拾う。
「城ヶ峰!」
「単線じゃなく、交差だ! ラストの前に“光の節”を作れ!」
城ヶ峰は振り返りもせず命じる。
「右班、非常灯を二本前へ!」
「左班、ケーブルを交差させろ!」
「ログ班はその中を抜ける!」
隊員たちが走る。
引きずられたケーブルが地面の上で交わる。
点滅する白い灯が二重に重なる。
動いている光。
流れている電流。
交差する輪。
その即席の“光の節”が、崩れゆく保管棟の影の手前へ作られる。
ラストは、その向こうで初めてはっきりと顔をしかめた。
警官の制服のまま。
だが、その目はもう人のものではない。
黒い影が細い文字列を飲み込み、また吐き出している。
「……重ねる」
ぼそり、と声。
「流す。
回す。
面倒、だ」
最後の方は朝の風へ溶けた。
だが、その“面倒”という言葉が、木崎には大きかった。
効いている。
完全には止められない。
だが、相手は食いにくくなっている。
その時、保管棟の上部外壁が外れた。
まず、バキンッ! と乾いた破断音。
次いで、ギギギギギ……ッ!と、巨大な金属が無理やりねじ曲げられる悲鳴。
さらに遅れて、壁材が引き剥がされる
ガガガガッ!という重い擦過音が、朝の空気を震わせた。
外壁パネルが、まるで内側から蹴り飛ばされたみたいに外へ吹き飛ぶ。
剥き出しになった鉄骨は、もう鉄の色をしていなかった。
赤茶け、膨らみ、ところどころが黒く痩せている。
長い年月を一息に腐らせたみたいな、異様な錆び方だった。
「っ……!」
誰かが息を呑む。
だが、息を呑んでいる暇すらない。
ラストは、その崩れた壁の向こうで、静かに片手を上げた。
次の瞬間、保管棟の梁が、ミシミシミシと連続して鳴る。
一本だけではない。
二本。
三本。
上から下まで、建物全体の骨が順番に悲鳴を上げ始める。
「建物が来る!」
木崎が叫ぶ。
比喩ではなかった。
保管棟そのものが、重さを失った足場みたいに、こちらへずるりと傾き始める。
上部の排気ダクトが外壁へぶつかり、
非常階段の踊り場がベキベキッと音を立てて沈む。
屋根の端に残っていたガラスが一斉に弾け飛んだ。
「ルート替え!」
城ヶ峰が叫ぶ。
「棟の正面を切るな、開けた駐車帯へ!」
だが、その駐車帯へ回る導線にも、もう赤茶けた残骸が散り始めている。
停止していた搬送カートの骨組みが崩れ、
金属柵の支柱が曲がり、
地面へ落ちた鉄片が
カン、カラン…… と軽すぎる音を立てた。
ラストは、その全部を急がず見ていた。
そして、ぼそりと呟く。
「……止まらない線」
「なら……箱の方を、傾ける」
その声と同時に、保管棟の正面柱が一気に赤茶ける。
ギャリ、ギギ、ベギッ!!
耳障りな破断音が重なる。
柱の付け根が内側から砕け、建物全体がさらに大きく沈み込んだ。
【現実世界・湾岸方面/崩落直前の導線・朝】
「今だ、抜けろ!」
城ヶ峰の声と同時に、ログ班が光の節の中へ飛び込んだ。
日下部。
佐伯。
村瀬。
ケース。
それを囲うように二本の点滅灯と交差ケーブルが前へ進む。
ラストは、崩れてくる棟と、その前を抜ける光の節の両方を見た。
彼の狙いは簡単だった。
建物ごと逃げ道を潰す。
その中で止まった金属と閉じた空間を食う。
だが今、隊員たちは崩落の中でも“動いている輪”を作っている。
ラストが片手を上げる。
建物の脇の鉄柱が一気に赤茶け、ねじれる。
崩壊がさらに速くなる。
だが同時に、交差した光の節へ触れようとした黒い影が、一瞬だけ鈍った。
木崎はそれを見逃さない。
「やっぱりだ!」
「交差してるところは食い込みが遅い!」
日下部が荒い息のまま答える。
「線が一つだと、“止めた場所”を食われる!」
「でも交差してると、向こうがどこを止めるか一瞬迷う!」
つまり、弱点とまでは言わない。
だが“感知と侵食が鈍る形”はある。
循環しているだけではなく、
複数の流れが交差して、どこが中心か曖昧な状態。
そこではラストの手が浅くなる。
「そのまま抜けろ!」
城ヶ峰が吠える。
もう、逃げるしかなかった。
だが、ただ逃げればいいわけじゃない。
中枢ログを落とせない。
点滅する照明を切れない。
循環するケーブルも、ここで途切れさせたくない。
城ヶ峰が咆える。
「ケーブルを前へ回せ!」
「光の輪を切るな!」
「ログ班を中央に入れろ!」
隊員たちが反射で動く。
引きずられる発電機が跳ね、
点滅する照明が白く明滅し、
ケーブルの束が地面を擦ってジャジャッ!と音を立てる。
その全部が、崩れてくる棟の前へ、即席の導線を描いていく。
ラストは、それを見て初めて少しだけ足を止めた。
完全には止まらない。
だが、迷うような間があった。
木崎の目が鋭くなる。
「……今の見たか」
日下部が荒い息のまま答える。
「交差した光のところで、食い方が鈍った」
まだ確信には遠い。
だが、兆しだ。
その瞬間、保管棟の上部が大きく沈み込んだ。
ドゴォン!!
腹の底まで揺れるような重低音。
続けて、メキメキメキッ! バギィン!!と、鉄骨と壁材がまとめて裂ける。
屋根の一部が落ち、
内部の棚らしきものが連鎖して倒れ、
中からガン! ガラガラガラッと無数の物音が噴き出した。
「伏せろ!」
木崎が叫ぶ。
直後、建物の正面が完全に崩れた。
壁が折れ、
梁がねじ切れ、
シャッターが潰れながら地面へ叩きつけられる。
巨大な鉄の箱が、自分の重さに耐えきれず、こちらへ向かって一気に傾れ込んでくる。
土煙。
鉄の匂い。
赤茶けた破片。
砕けたガラス。
全部が、朝の光の中で一斉に噴き上がった。
ログ班は、その崩落の縁を、交差する光の輪に守られるように抜ける。
日下部。
佐伯。
村瀬。
ケース。
端末。
木崎が最後に飛び込んだ、その背後で――
ズドォォォン!!
保管棟が、とうとう完全に地面へ叩きつけられた。
地面が揺れる。
足元が跳ねる。
崩れた鉄骨がガラン! ガランガランッ! と何度も転がり、
遅れて外壁材が降り注ぐ。
粉塵が一気に立ち上がり、白い朝の光を茶色く濁らせた。
全員が転がるように開けた駐車帯へ出る。
ほんの数秒前までいた場所は、もうない。
そこには、潰れた梁、ねじれた柱、割れたガラス、赤茶けた鉄の山だけがあった。
数秒遅れていたら終わっていた。
◆ ◆ ◆
【現実世界・湾岸方面/崩落後の駐車帯・朝】
粉塵の向こうで、保管棟は半ば潰れていた。
完全倒壊ではない。
だが、もう使える建物ではない。
鉄骨はねじれ、シャッターは潰れ、壁は口を裂いたように崩れている。
ラストは、その崩れた棟の向こうに立っていた。
警官の制服。
黒と赤錆色の髪。
深い隈。
目の奥の影と文字列。
さっきよりもはっきり見える。
だが、その姿もまた万全ではなかった。
交差した光の節を前にした時、一瞬だけ侵食の向きが乱れた。
その余波なのか、ラストの右手首から肘へかけて、
細いノイズみたいな数列の乱れが走っている。
木崎が低く言った。
「……完全に効かないわけじゃない」
城ヶ峰も、崩れた棟の向こうのラストを見据えたまま返す。
「倒せはしない」
「だが、寄せる手は乱せる」
日下部は、息を整える暇もなくケースを開き、端末を再接続していた。
佐伯と村瀬がその左右へつく。
「今の線、記録します」
日下部が言う。
「単一循環より、交差循環の方が侵食の鈍りが大きい」
「これ、あとで使えます」
木崎が短く言う。
「使えるものは全部使え」
その時、ラストが初めてはっきりこちらへ声を投げた。
「……隠れる方が、楽だった」
「でも、もう……読ませすぎた」
声はぼそぼそしている。
後半はやはり聞き取りづらい。
だが、意味は明確だ。
隠れて導線を削るだけでは、こちらが読み進める速度に追いつかなくなった。
だから姿を出した。
つまり、それだけ追い込めているということでもある。
木崎がカメラを上げた。
「写真はもう十分だ」
「次は、どう振り切るかだな」
ラストは、そこで追ってこなかった。
崩れた棟。
交差した光の輪。
動き続けるケーブル。
こちらが“食いにくい形”へ変わったことで、無理に踏み込むより先に、
距離を取り直したのだ。
それが逆に不気味だった。
だが、ここでは助かる。
城ヶ峰が即座に命じる。
「今のうちに移る!」
「開けた場所は長居しない!」
「次の導線へ!」
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/体育館脇・朝】
イヤーカフの向こうから、崩落の音が遅れて届いた。
サキが思わず耳を押さえる。
「……崩れた」
『保管棟、半壊』
ノノの声が速い。
『でもログ班は抜けた!
木崎さんたち、生きてる!』
ハレルが大きく息を吐く。
胸の奥が、ずっと詰まっていたのに気づく。
隣でリオも小さく肩を落とした。
ダミエは結界を維持したまま短く言った。
「向こうも線を拾ったか」
『うん』
ノノが答える。
『ラストは“動いてるだけ”じゃなく、“交差してる流れ”で少し鈍る』
『正面から倒せる相手じゃない。
でも、感知と侵食を乱せる』
レアは箱の中で、少しだけ笑った。
「……なるほど」
「一本より、重ねる方が嫌なんだ」
ハレルが鋭く見る。
「知ってたのか」
「感覚でね」
レアは肩を揺らす。
「穴の向こうでも、一本の道は食われやすかった」
「でも、重なった流れは迷う」
「ラストはそういうの、嫌うよ」
サキがすぐにその言葉を紙へ書き足す。
一本の光路ではなく、重ねる光路。
それは、帰還の設計そのものにも関わりそうだった。
◆ ◆ ◆
【異世界・王都イルダ/臨時分析拠点・朝】
ノノの端末には、新しい情報が増えていた。
ラストは止まった導線と閉じた金属を食う
循環する光と導線には乗り切れない
交差した光と導線で、感知と侵食が鈍る
正面戦闘より“振り切る形”が有効
セラが、そのメモを見て静かに言う。
「……光路」
「え?」
ノノが顔を上げる。
「細い一本の道ではなく、重なりながら保つ道です」
「帰還の時も、たぶん同じです。
一本だけでは危うい。
補助層を重ねて、出口側を保たせる」
ノノはその瞬間、日下部たちが読んでいる中枢ログと、
匠の補助層の指示と、ラストの鈍り方が、一つに繋がるのを感じた。
「……そうか」
一本の希望では足りない。
一本の道では折れる。
だから重ねる。
支える。
交差させる。
それが“光路”だ。
『ハレル』
ノノが呼ぶ。
『今の、たぶん大きい』
『帰る道って、ただ一本作るんじゃない。
支えながら、重ねながら通すものだ』
ハレルは体育館脇で、その言葉を黙って聞いていた。
胸元の主鍵へ触れる。
熱はまだある。
そして今、その熱の意味が少し変わった気がした。
◆ ◆ ◆
【現実世界・湾岸方面/次の移動導線・朝】
車列は再び動き始めた。
崩れた保管棟を背にして、今度はもっと開けた導線を選ぶ。
ケーブルは交差させる。
照明は切らない。
止まった金属を減らす。
ログ班は中央。
木崎は外を見る。
ラストは、今は追ってきていない。
だが、消えたわけじゃない。
またどこかの警官の列へ紛れ、別の角度から迫ってくるだろう。
木崎は低く言った。
「向こうを倒すんじゃない」
「食えない形を作り続ける」
日下部がケースを抱えたまま頷く。
「その間に、こっちは読む」
城ヶ峰が前を見たまま言う。
「それでいい」
「今日分かったのは、勝ち方だ」
「正面から叩き潰すことじゃない。
持って抜けることだ」
誰も反論しなかった。
保管棟は半壊した。
ラストは姿を現した。
それでもログは守った。
そして、相手の手を少し剥がした。
それは十分に大きい。
◆ ◆ ◆
【異世界・王都イルダ/北西区画・朝】
王都の北西でも、線はまだ切れていなかった。
アデルは前線の結界を保ちながら、現実側から来た新しい情報を聞く。
ヴェルニが狼型を押し返し、王都軍兵が槍列を組み直す。
ジャバは崩れた石壁の上で、相変わらず楽しそうに笑っている。
『現実側、ラストを正面で見た』
ノノの声。
『でもログは抜いた。
しかも交差した光で少し鈍らせた』
アデルが短く返す。
「なら十分だ」
今は倒し切る必要はない。
向こうもこっちも、“抜く”ことが勝ちに近い。
アデルは北西区画を見渡しながら言う。
「線を保て」
「今日はそれで勝つ」
王都軍兵が応える。
その声は、夜明けの街にまだちゃんと人の側の音として響いていた。
◆ ◆ ◆
崩れた保管棟の向こうで、ラストは初めて姿を隠すのをやめた。
だが同時に、こちらは初めて“食われにくい形”を手に入れた。
一本ではなく、重なる光。
止まるのではなく、流れ続ける導線。
それは帰還の道にも、そのまま繋がっていくはずだった。
次に必要なのは、
その“光路”を、帰るための形として確定させることだ。
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