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「音羽さん……いや、奏さんは今、彼氏はいるんですか?」
唐突な名前呼びと彼氏の有無を聞かれ、奏は身体をビクっと小さく震わせた。
「いえ、彼氏はいません」
彼女は敢えて素っ気なく言い放つが、谷岡がパッと笑顔になったのを見て、奏は嫌な予感みたいなものを感じてしまう。
「意外だな。奏さんのような美人な方が彼氏がいないなんて。でも、男性にモテるのでは?」
「職場は女性ばかりなので、男性と知り合う事って、そうそう無いですね」
淡々と口調で奏は答えるが、谷岡は酒が入っているせいか言葉を崩して更に質問してきた。
「奏さんの好きな男性のタイプって、どんな人?」
「そうですね。好きになった人が理想のタイプかもしれませんね」
「じゃあ俺はどう?」
いきなり俺はどう? と聞かれて、奏はどう返答しようか戸惑いつつ逡巡する。
まだ全然互いの事を知らないのに、そんな事聞かれても困惑しかない。
奏は、とりあえず結婚式で会った時の印象を答える事にした。
「谷岡さんは、体育会系のイケメンだと思います」
「そうかぁ。俺って体育会系のイケメンに見えるのか。そうかぁ……」
そう言った後、目を細めて爽やかに笑顔を湛えて、谷岡がとんでもない事を言い出した。
「奏さんに彼氏がいないって事は、俺にもチャンスがあるって事だよね?」
「何のチャンスですか? あははは……」
この人、グイグイと距離を詰めてくるな、と思いながら奏は乾いた笑みで対応する。
(奈美……私はアンタの上司、最も苦手とする男性のタイプだよ……)
まるで親友に助けを求めるように、彼女は思った。
予約の二時間が過ぎ、奏は『食事代を払うから』と谷岡に言ったが、彼は『ここは俺が出すから』と言って聞かなかった。
「すみません……ご馳走様です」
「いいえ。誘ったのは俺だし」
谷岡と奏はレストランを後にし、外へ出ると、肌を刺すような風が二人を包む。
「奏さん、この後まだ時間ある?」
「すみません、明日は演奏の仕事が入っていて、今日はもう帰らないとならなくて」
明日は久々に演奏の仕事を入れた。
それも、ハヤマ ミュージカルインストゥルメンツの創業五十周年記念パーティでの仕事だ。
(この前チラッと見たイケメンの営業社員さん……来るのかな……)
谷岡と一緒にいるのに、三ヶ月ほど前に見かけた他の男性の事を考えてしまう自分に、奏はげんなりしてしまう。
「そうか、残念。もし奏さんがお酒好きだったら、飲みに行こうかとも思ったんだけど、仕事じゃ仕方ないな……」
「ごめんなさい。せっかくお誘い頂いたのに……」
「いや、気にしないで」
谷岡と奏は、そのまま立川駅の改札へ向かって行った。
「じゃあまた、連絡するね」
「はい。今日はご馳走様でした。ありがとうございました」
谷岡が改札に入るのを見届けると、彼はポケットからスマホを取り出し、どこかへ電話を掛け始めた。
(あれは多分……女だろうね……)
谷岡の背中を消えるまで見送った後、奏は大きくため息を吐いて帰路に着いた。