天才は世の中に存在する。
例えば、幾つもの楽器と音が折り重なる演奏の中で、特定の楽器と音を正確に聞き分け、各楽器に修正点を伝えられる人がいる。
例えば、自分の目で見た人の動きを寸分の狂いもなく自らの体で再現出来る人間がいる。
例えば、本を一度見ただけでその内容を暗記し、更にその本の内容を絡めた新しい何かを提案出来てしまう人物がいる。
そんな誰もが羨む天才がいるのと同時、その逆も世の中には存在していた。
どれだけ学ぼうとしても中々覚えられない事や、分かっていても思い通りに体が動かない、動かせない。世間一般で言われる普通の事が出来ない人間。
僕はその後者だ。
勉強だって嫌いじゃない。でもどれだけ時間を掛けて学習しようとしても中々覚えられない。運動だってそうだ。ただ走ろうとしただけなのに、何もない所で転けてしまう。
自分はどうしてこんなに駄目なのか?
自分は一体何なのだろう?
何もかも投げ出したくなるような毎日。
そんな日々の中で、その眩しさに思わず目を細めてしまうような…だがそれでも手を伸ばしたくなるような眩い光に出会ってしまったら?
あなたならどうする?
普通ならどうするのだろう?
もしそうなったとしたら…。
例えその光が、自分と同じような存在だったとしても…。
僕は……。
──グシャッ!
というけたたましい音と共に意識が現実へと戻ってくる。遠くの右側を確認すると、見上げる程もある虎のような化物がその大きな手で車をぺしゃんこにしていた。
そちらの方から金切り声を上げながら女性が逃げてくる。彼女だけじゃない。男や子どもに老人も、全員が恐怖に怯えた表情で時に死にたくないと叫びながら僕の目の前を通りすぎていく。
そんな彼らの声が、眼前のこの状況が紛れもない現実なのだと…リビングでいつも気軽に見ていた映像ではないのだと僕に再認識させる。皆が発する恐怖の声が、まるで音を外した歌のように僕の心を不安にさせた。
それでも下を向きそうになる頭を何とか押し止め、前を向く。左側には逃げていく人達が見えた。右側では先程の虎の化物がビルの壁面をその腕だけで抉り取っている。
その光景に足が震え、体が動かない。逃げたいという至極真っ当な…強くて黒い感情がいつの間にか僕の心を埋め尽くしていく。
(だけど…)
そんな黒色の感情に何かが落ちる。青く澄みきったその思い。ゴミ捨て場で見た彼女の姿が、誰かの為に行動するあの人が…僕の黒色だった心を青色に染め直していく。
ゆっくりと前を向く。左側には逃げる人々。右側には化物。体の震えはまだ止まらない。でも…。
それでも……。
僕はその化物に向かって一心不乱に走り始めた。
◆
「メロっ……過ぎるぅーー!!」
黒を基調とした羽織を着た少年が、両手にサイリウムを持ってリビングで叫んでいた。無造作なパーマのかかった黒髪。その髪を束ね、頭の後ろからまるで音符の上部……符尾のように垂れ下げた彼は目を輝かせながらテレビの画面を見ている。少年が釘付けになっているのは動画なのか、彼は何度も巻き戻しながら確認していた。
そこに映るのは色とりどりの装束を着た男女達。巫女や神主が着るそれらを身に纏った彼らは、そんな格好には似つかわしくない多種多様な色をした透き通ったギターや、バイオリンを持っていた。
彼らの持つ楽器は時折揺らめいて見える事から、それらが通常の楽器とは違い不思議なエネルギーのようなもので形作られたものだと見て取れる。彼らの前には、皆一様に同じ鎧を纏った騎士達が演奏者を守るように立っていた。
彼らが相対するのは獣のような人外の化物達。化物の背後には空中に不自然な裂け目が出来ている。七色に発光したその場所から続々と化物達が姿を現すと同時、耳障りな音も辺りに響いていた。
欠けた音符とpやfなどがそれぞれ体に刻まれた化物達が、楽器を持つ男女に向かって勢い良く走ってくる。軽く撫でられるだけでも無事では済まない事が分かる強靭な牙や爪を持つ化物達。
そんな大人でも震え上がりそう状況で、装束を着た彼らは手元のギターやバイオリンを奏でたり、歌を紡いでいく。
同時に彼らが生み出した炎や水が、歌や楽器の音に呼応するように勢いを増していき発射される。その強化された炎や水が向かってくる化物達へと幾つか直撃していく。
その一撃で消し飛んだものもいれば、僅かな傷を負いながらも構わず装束の男女達に向かっていく化物もいた。そんな中、楽器を持つ男女の間を通って1人の女性が現れる。
「……おぉ!」
テレビ画面に釘付けだった少年が声を上げた。一際豪奢な装束を着た彼女はギターを構える。彼女の持つそのギターには特殊な器具のような物が装着されていた。それがただのギターではない事が素人目にも分かる。
彼女に迫ってきた大きな熊のような化物が腕を振り上げた。彼女はそれにも一切動じず手元のギターへと集中していく。通常のギターでは奏でられない音が、特殊な器具を通じて生み出される。
それと同時に彼女がその透き通るような真っ直ぐな歌声をその場に響かせていく。だがそれを遮るように、彼女の顔目掛けて大木のような腕が無慈悲にも振り下ろされた。
──キィン!
という音と、調和の取れた透き通るような音が辺りに響く。化物の重い一撃を弾いたのは、彼女の歌に呼応しその場に召還された侍のような格好をした人物だった。
人と同じ背丈を持つその侍の背後には、彼らが戦っている化物達が現れた七色の裂け目と同じものがある。その間も、豪奢な装束を着た女性の演奏と歌声は止まらない。
続いていく歌と音楽が周囲を震わせながら豪奢な装束を着た女性と、彼女の呼び出した侍の姿が光に包み込まれていく。その光が弾けると同時、侍の姿は消え豪奢な装束から侍の服装へと変化した女性が現れた。
呼び出した侍の力を纏い、演舞を踊るように彼女が動いていく。その動きに合わせて、楽器から刀に持ち替えた女性が歌を紡ぐ。まるで彼女自身が音楽そのものだとでも言うように、辺りに歌声を響かせながら刀を振るう女性。
一閃、二閃、やがて幾つもの光の軌道が見えたと同時、女性を襲った熊のような化物は彼女の振るった刀によって跡形もなくバラバラになっていた。
「うおぉぉぉーー! 激メロ!超メロ!鬼メロ!」
そんな侍の衣装を着た女性を見て、両手のサイリウムを激しく振りながら歓声を上げる少年。まるで目の前で見ているかのようなテンションで、スマホでテレビ画面を連写しながら彼は喜んでいた──地面を激しく転がり身悶えしながら…。
「…詠心、あんたまた雑巾やってるの」
「雑巾!?」
雑巾…もとい体で床掃除に励む詠心を見て、背後で呆れたような表情をしていたのは穏やかそうな彼の母だった。彼女はまるで目元の涙を拭うような仕草で、少年とは逆方向を見ながら続ける。
「葵天さん…あなたの息子は今日も元気に床を綺麗にしています」
「と、父さんに変な事言うなって、母さん!」
「あんた一人大掃除はいいけど、勉強はちゃんとしてるの?」
「してるよ」
目線を逸らす詠心。
「じゃあこの紙は何?」
「なっ!?何処でそれを!」
笑顔で眉間に皺を寄せながら、詠心にテスト用紙らしきものを突き付ける母。そこに記載された一番目立つ数字は、とても勉強しているとは思えないものだった。
「これどういう事かちゃんと説明してくれる?」
「あー……ごめん!僕これから友達の斎藤と遊びに行くから!」
「また斎藤くん?ちょっと詠心!」
「じゃ、行ってきます!」
詠心は笑顔でリビングに飾られた優しそうな男性の写真に挨拶した後、大事そうに古いヘッドフォンを首に掛けて家を飛び出す。
「危なっ!」
彼は何もない所で転びそうになりながら道を進んでいく。
(流石にそろそろバレるよな。鈴木とか佐藤とかに…)
(いやそれも定番過ぎるか?うーん)
詠心は顎に手を当てる。
「いないものに名前つけるって難しいんだな」
目的もなく住宅街を歩きながら、彼は母が持ち出したテスト用紙を思い出す。
「勉強も……運動だって、本当にちゃんとやってるのにな」
詠心の脳裏に見慣れた光景がよぎる。賑わう教室の中、仲良くやり取りする同級生達。教室の真ん中にいる筈の詠心は存在していない様だった。
もういつからそうだったのか思い出せないが、見慣れたその光景はまるで詠心の席だけが別次元に取り残されたかのようだ。
「はぁ…」
手のひらを見る詠心。
(変わりたい。でも…)
目的もなく歩いていた少年の足が、そこで止まるのが当たり前のようにある店の前で立ち止まった。色鮮やかな物品が並んだ雑貨屋。詠心は商品には目もくれず、ショーウインドウを覗き込む。
彼の目的は眼前のガラス。同じ事を何度も行っているのか詠心は物怖じする様子もない。ガラスに映る自分の表情をじっと見る少年。
彼は自らの下がった口角を両手の人差し指で持ち上げ、浮かない顔をした少年の顔を嬉しそうな表情へと変化させる。
(…また母さんにあんな顔をさせる訳にはいかないよな)
詠心は自らの首に掛けたヘッドフォンに優しく触れる。彼の脳裏に自然と穏やかな笑顔を浮かべる父の姿がよぎった。
「いつだって周りじゃない。最後に踏み出すのは……」
何かを懐かしむようにそう呟く詠心。そんな彼がずれたヘッドフォンの位置を直そうと掴んだ時だった…。
「あれ?」
父のヘッドフォンに目を向ける詠心。
「嘘だろ」
◆
「楽器屋は…」
商店街を歩いていく詠心。彼の首にあるヘッドフォンのコードには切れ目が出来ていた。急ぐ少年の目の前に分かれ道が現れる。
「確か、あっちの方が近道だったよな」
1つは煌びやかな店が並ぶ道だが、もう一方はそれとは正反対の暗い道だった。
「……」
詠心は迷わず暗い道に進んでいく。彼にとって、どちらが目的地により近いかは関係なかった。彼自身にもよく分かっていない。ただ何故か自然にそちらへ足が動いていたのだ。
本当に商店街の一角なのか疑いたくなる道を黙々と歩いていく少年。一歩進む度に暗闇へと向かっていくような感覚を抱くその場所で、詠心は突然足を止める。
「うん?」
少年が目を向けたのは路地だった。道と呼ぶには狭く細い場所。誰もが正式名称は裏路地だと口を揃えそうなその道へ、彼は足を踏み入れる。背後にあった本来の目的地も忘れ、最初からそこがゴールだと言わんばかりに少年は突き進んでいく。
その理由はたった1つ。それは……。
「女性の…声……?」
彼の耳に届いた歌声が原因だった。裏路地に小さく響くそれに導かれるように彼は目的の場所へたどり着く。
「…っ!?」
少年の口から声にならない音が発せられた。彼の目は裏路地の開けた場所、その一点に釘付けになっている。
誰もが避けて通るような暗い路地裏。日中にも関わらず薄暗いそこは幾つものゴミ箱が並び溢れ、漏れ出た生ゴミの臭いが充満している。
いるだけで気持ちが落ち込むようなそんな場所で、詠心はその中心、先程から片時も彼が目を離せないそこに別の景色を重ねて見ていた。
詠心の目線の先にはフードを目深に被った1人の人物が立っている。その人物の前には長方形で、上部にツマミが幾つも付いた鍵盤のような物があった。フードの人物が操作する度に綺麗な音がそこから奏でられていく。しかし何より詠心が惹き付けられたのは、その人物が発する声だった…。
胸の奥底を温かい何かで優しく包み込むような、透き通った少女の声が紡ぐ単語達。それらは幾重にも折り重なり、1つの歌となって少年の心の中に響き渡っていく。
彼には暗い路地裏にあるその場所で、フードの人物が立つそこだけが光り輝いて見えた。まるで路地裏にその人物の為だけに特別に用意されたスポットライトの当たるステージ──そんな錯覚を抱くその光景はまるで……。
「ゴミ捨て場の歌姫…」
彼にしか聞こえない、か細い声で詠心は呟いた。
(腹の底から、何かが湧き出てくる)
(でも…)
(それだけじゃ…)
詠心は優しく透き通ったその声の奥底に、力強いものを無意識に感じていた。何かを追い求め、必死に手を伸ばそうとするような──そんな気持ちが歌声に秘められていると…。
無意識に感じたそんな気持ちに背中を押されるように、詠心が思わず一歩を踏み出した──その時だった……。
少年の足が傍らにあったゴミ箱にぶつかり、軽い音を立てて転がる。
「あっ……待って!!」
詠心が手を伸ばしながら声を掛けるより先に、目にも止まらぬ速さでその人物は路地裏のステージから姿を消していた。
◆
「もうちょっと聞きたかったな」
項垂れながら商店街を歩く詠心。彼は本来の目的地であった楽器屋に向かっていた。少年は大量の野菜を店頭に並べた八百屋の前で立ち止まり、首に掛けたヘッドフォンに優しい手付きで触れる。彼の横では主婦らしき女性がトマトを手に取り眺めていた。
「はぁ…、とりあえずさっさと直して貰って今日は帰…」
突如として彼の言葉を搔き消すように耳障りな音が辺りに響く。少年にとって初めて聞いた筈のその音。だが彼にはその音に何故か覚えがあった。彼がその意味に気付くと同時……。
何かが割れるような大きな音が少年の耳に届く。詠心の目線がある場所に釘付けになった。様々な店が並ぶ商店街。その空中、少し首を上に傾けた位置に、華やかな町の雰囲気とは真逆の大きな亀裂があった…。
「なっ!?」
今朝見ていた動画の映像が彼の頭をよぎる。その間にも亀裂が徐々に広がっていく。亀裂の先に見える七色の光が、彼を誘うように怪しく光っている。誰の目にも明らかな、この世ならざるその亀裂。
「魔ノ間奏曲!?いや、魔ノ前奏曲?」
(違う!)
詠心の心臓が警告するかのように鳴り始める。本当に警戒すべきは目の前の亀裂じゃないと気付き、辺りを確かめようと少年が首を動かした──その時……。
グシャッ…という何かが潰れる不快な音が彼の真横で響く。
「ひっ!?」
ふと彼の全身を覆い隠すように大きな影が現れた。その影から伸びた大きな腕が、少年の隣にあった大量の野菜に振り下ろされている。そこに存在していた筈の野菜も、それを並べていた筈のテーブルも、まるで最初からそうであったかのように破片を辺りに撒き散らしながら、紙切れの如く地面へ薄く押し潰されていた。何よりも……。
(不協和音ノ獣…)
ミュートでも掛けられたのか、少年が口から出そうとしたその言葉は脳内をよぎるだけだ。詠心の2倍はあろうかという体躯の化物が、口をただ金魚のようにパクパクと動かす彼を見下ろしていた。少年は恐怖から一歩も動く事が出来ない。
そんな詠心を見て、化物──欠けた音符とpが3つ体に刻まれたゴリラのようなそれが醜悪に笑う。まるで玩具で遊ぶかのように彼の体を横に軽く撫でる化物。
「がっ!」
短く声を上げながら、少年は地面を転がっていく。詠心は大柄な人間に体当たりでもされたかのような衝撃に襲われ、グルグルと回る視界の中で、纏まらない思考で考える。
(苦しい!痛い!怖い!変わる?いや、逃げる…逃げなきゃ!)
幸いな事に、痛みが少年の純粋な生存本能を起動させ、彼の体を軋ませながら立ち上がらせる。恐怖と生きたいという感情をない交ぜにしながら、逃げる為必死に足を動かす詠心。だが……。
「え?」
目を見開く詠心。走り始めようとした詠心の足元にトマトが転がっていた。それは先程までいた八百屋、そこで彼の隣にいた主婦が持っていたものだ。
「助けて…!」
そう呟く声が聞こえ、詠心はそちらの方を確認する。そこには運悪く不協和音ノ獣が潰した物が飛んできたのか、足に大きな破片が刺さった女性がいた。一人で立ち上がれないのか、顔を歪めながら詠心の方へ助けを求めるように手を伸ばす女性。
「っ!」
真っ直ぐに女性のもとへ向かった詠心は彼女に肩を貸し、二人でその場から逃げ出そうとする。まるで幼い子どもと遊ぶように、ゆっくりと少年達を追う化物。しかしその追い掛けっこは、詠心が何もない所で転けた事であっさりと終わりを迎える。彼の隣では詠心が肩を貸した女性もうつ伏せで倒れている。
「ひっ!?」
少年が立ち上がる間もなく、ゴリラのような化物が再び彼を見下ろしていた。彼の命を終着させる為に化物が腕を真上に振り上げる。再び醜悪な笑みを浮かべながら軽く腕を振り下ろすゴリラ。
(し、死ぬ!?嫌だ!死にたく……えっ?)
詠心の視線が迫る死にではなく、背後に向けられた。そちらから聞こえる透き通るような少女の声。
「この声…」
詠心が何かに気付いたその瞬間…。
「風神…Allegro」
そんな彼女の呟きに呼応するように、振り下ろされた筈の化物の腕が詠心の頭上を舞っていた。同時に詠心と隣にいる女性の体が空に持ち上げられる。
「は?えっ!?」
「お主達大丈夫か?」
少年が背後の、自らを掴む何かを確認しようと頭を向けた。そこにいたのは頭に三度笠を着けた小さく可愛らしい、二頭身の程のデフォルメされた姿をした白い顎髭を蓄える老人の侍だった。 その小さな侍が詠心と足に怪我をした女性の体を軽々と持ち上げ、化物の前から避難させている。それに驚く間もなく、少年の視線がある方向に向けられた。
痛みで叫び声を上げるゴリラのようなそれと、相対するように現れた少女。雲1つない真っ直ぐに何処までも続く晴天のような青く長い髪を持つ彼女は、右のサイドをポニーテールにしていた。
服装の下は赤いスカート、上は白を基調とした神社の巫女や神主が着るような特徴的な広い袖の服を着ており、その胸元には刀と音符が合わさった校章らしきものが縫い付けられている。そんな彼女が大きな長方形の箱を軽々と背負い、化物へと向かっていく。
「あの…」
詠心が彼女に声を掛けるより先に、少女が再び歌を紡ぐ。彼女の言葉1つ1つに呼応するかのように、少女の前に幾重にも風が集まっていく。体勢を整えた化物が彼女を襲おうとするがもう遅い。
「風神…Con Furore」
生み出された風の塊が、少女の言葉と同時にゴリラの胸に大きな空洞を作り上げていた。ゆっくりとその場に倒れ込む化物。地面にひっくり返ったその大きな化物の体が、砂のようになって消えていく。
「凄…痛っ!」
驚きの表情を浮かべていた少年が、空中から突然落とされる。
「すまんすまん!」
小さな侍が怪我をした主婦を掴んだままフワフワと詠心の前にやってきた。
「儂のような老体には、お主達のような者を長時間持ち上げるのは、ちと堪えるでのぅ」
「その女性の怪我…早く救急車を呼ばないと」
心配するような少女の声が地面に大の字で倒れる詠心の耳に届く。スマホにて何かをやり取りするような声が聞こえた後、詠心の方へ足音が近付いてくる。
「あなたの方は…怪我はない?」
地面に大の字で倒れる詠心を覗き込むように少女が見下ろした。
「だ、大丈夫です!」
その髪色と同じ、少女の吸い込まれそうな青い瞳と目が合い、詠心は照れながら自らの体を起こす。
「はい!」
まるでそうする事が当たり前かのように、地面に座る彼に手を伸ばす少女。その行動に目を丸くする少年。
「あ、あの…」
しどろもどろになりながらも、その手に自らの手の平を重ね、立ち上がろうとする詠心だったが……。
「…それ……学…」
「えっ?」
手の平を掴んだまま、何かを呟く少年に首を傾げる少女。様子のおかしい詠心に一瞬身を引こうとする彼女だったがその手は離れない。それどころか少年は彼女の両肩を勢いよく掴んだ。
「それ!神威学園の制服ですよね!!」
何事かと驚く少女の瞳にキラキラと輝く目をした詠心が映る。嬉しそうなその少年の口からは何故か涎が垂れていた。
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