テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
5
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
「なぜ、彼はそうまでして戦うのか」
サラディンは、そう呟いた。
モンジールの戦いの後も、
サラディンとボードウアン四世
は激闘をくり広げた
国力の差は明らかだった。
兵も、金も、補給も、
すべてにおいてサラディンが勝っている。
それでも少年王は、各地に要塞を築かせ、守備兵を置き、
一日でも長く侵攻を遅らせる策を選んだ。
勝つためではない。
滅びを、少しでも先へ送るために。
戦いと停戦。
講和と裏切り。
それを繰り返すうちに、
皮肉にもエルガイム王国は、
百年の歴史の中で
最も安定した時代を迎えていた。
ある戦場では、動けなくなった王が落馬し、
名もなき兵士に背負われて戦場を離れたという。
彼は両目を失明し
もはや自由にならぬ体をおして
それでも戦場に立った
それでも兵たちは笑わなかった。
誰一人、王を弱いとは思わなかった。
皆、知っていた。
この王が倒れる時、
エルガイム王国もまた、倒れるのだと。
王は、自らの後継問題を
グラツィア国王カスティーヨへ相談した。
病に侵された自分に、
もはや長く時が残されていないことを、
誰よりも理解していたからだ。
カスティーヨ王は、
先王以来の軍師であるサイラス・イシスを呼び寄せた。
「……神の怒りに触れた病の王の願いだ」
「聞き届けるべきだと思うか」
静かな問いだった。
だが次の瞬間、
王は予想もしなかった反撃を受けることになる。
「神の怒り?」
サイラスは鼻で笑った。
「ばかばかしい」
空気が凍りつく。
だが軍師は止まらなかった。
「神が病を与えた?」
「神は全知かもしれませんが、政治はしません」
「神の奇跡で戦いに勝つことも」
「神の奇跡で国が保つことなどありえません」
王は黙っていた。
サイラスは地図へ視線を落としたまま続ける。
「私が聞く限り――」
「ボードウアン四世は、サラディンとの講和を模索しております」
「これは宗教の問題ではありません」
「国家の問題なのです」
軍師は断言した。
国王カスティーヨは、熟慮の末
エルガルド王国の後継問題への介入を見送った。
そして軍師サイラス・イシスを、
特使として聖地へ派遣した。
――王国は、まだ存在できるのか。
それを確かめるために。
エルガルドにつくと
彼は、トリポリ伯レーモンに会った後、
病床の王のもとへ通された。
かつてサラディンを打ち破った英雄は、
今や立ち上がることすら難しくなっていた。
それでも、その瞳だけは死んでいない。
「……このような姿を見せ、申し訳ない」
弱々しい声だった。
サイラスは静かに首を振る。
「どうぞ、そのままで」
短い沈黙。
やがて王は、静かに語った。
「妹が、家臣と結婚した」
「……二人で、この国を守っていくだろう」
それは願いだった。
あるいは、自らに言い聞かせる言葉だったのかもしれない。
「カスティーヨ王へ、そうお伝えください」
サイラスは深く一礼した。
「承知いたしました」
サイラスは宮殿を出た。
夕陽が、聖地の城壁を赤く染めている。
軍師は静かに目を閉じ、
そして小さく呟いた。
「……サラディンは、止められぬか」
サラディンに唯一対抗できた王は、
二十四歳の若さで世を去った。
その二年後、
聖地エルガルドは
ついにサラディンの手に落ちる。
だが――
それは平和の訪れではなかった。
聖地陥落の報は、
やがてエウロピア全土を震撼させる。
そしてそれは、
サラディンにとってもまた、
新たなる戦いの始まりだった。
エスカリオ商王国
カルドは、土のついた手を腰布でぬぐった。
春植えした豆の芽を眺めながら、
深いため息を吐く。
「……嫌だよ、断れよ」
コピットは困ったように肩をすくめた。
「しかし、教皇はかなり本気です」
「各国へ檄文を送り、“聖地を異教徒から取り戻せ”と」
「断れば、エスカリオは“信仰なき商人国家”と見なされるかと」
「実際そうじゃないか」
カルドは即答した。
「うちは商売の国だぞ」
「祈って腹が膨れるなら苦労しねえ」
「だいたいな」
王は鍬を肩に担ぐ。
「あんな遠くまで騎士団運んだら」
「いくら金かかると思ってんだ」
コピットは額を押さえた。
「そこを何とかするのが王の仕事では……」
「だから野菜作ってんだろ」
「自給率を上げてんだよ」
真顔だった。
その時だった。
菜園の向こうから、激しい足音がこっちに向かってくる。
「父上!」
勢いよく飛び込んできたのは、
長兄リチャードだった。
金髪を揺らし、まだ若い瞳を輝かせている。
「聖地奪還の話、誠なのですか!」
「でしたら、ぜひ私をお連れください!」
「なんだ急に」
カルドは眉をひそめた。
「お前、昨日まで馬上槍試合で負けて寝込んでたろ」
「それとこれとは話が別です!」
リチャードは拳を握る。
「異教徒に奪われた聖地を取り戻す――」
「騎士として、これほどの誉れはありません!」
その後ろから、
少し遅れて次男ジョンも姿を見せた。
兄とは対照的に、
どこか不安げな顔をしている。
「父上も……行かれるのですか」
「私は……母上と留守番でしょうか」
カルドは二人を見比べた。
目を輝かせる長男。
不安を隠せない次男。
――まるで太陽と月だ。
王はしばらく黙り込むと、
ゆっくり畑の柵に腰を下ろした。
「リチャード」
「はい!」
「お前は戦場が好きか」
「もちろんです!」
即答だった。
カルドは苦笑する。
「ジョン」
「……はい」
「お前は?」
ジョンは少し迷い、
小さく答えた。
「僕は……父上や兄上が死ぬのは嫌です」
その言葉に、
場の空気が静まった。
リチャードは顔をしかめる。
だがカルドだけは、
静かに目を細めた。
「そうだよなあ」
ぽつりと、
王は呟いた。
「普通は、そうなんだよ」
カルドは、鍬を肩に担いだまま言った。
「じゃあこうしよう」
「リチャードに行かせよう」
「ジョンは俺と留守番だ」
その言葉を聞いた瞬間、
リチャードの顔がぱっと輝いた。
「ありがとうございます!」
「決して父上の名を辱めぬよう努めます!」
勢いよく頭を下げると、
そのまま駆け出していく。
「おい待て、まだ話終わって――」
「鎧を用意しろ!」
「遠征馬だ! 一番いいやつを持ってこい!」
もう聞いていなかった。
カルドは呆れたように息を吐く。
「あいつ、絶対もう英雄譚の主人公になってるだろ……」
その横で、
ジョンだけが静かに立ち尽くしていた。
兄の背を見つめる横顔には、
どこか置いていかれたような色が浮かんでいる。
カルドはその様子に気づくと、
ぽん、と少年の肩を叩いた。
「ジョン」
「……はい」
「お前は俺と留守番だ」
「この国を守るのが俺とお前の仕事だ」
ジョンは少し驚いた顔をした。
「僕で……よろしいのですか」
「リチャードは行っちゃうしな」
カルドは畑を見渡しながら答える。
「でも国ってのはな」
「英雄だけじゃ回らねえんだ」
「飯食う奴、金数える奴、船動かす奴がいて初めて戦える」
そして王は、
いたずらっぽく笑った。
「俺はそっちのほうが大事だと思ってる」
ジョンはしばらく黙っていたが、
やがて小さく頷いた。
「……はい、父上」
その返事を聞くと、
カルドは満足そうに鼻を鳴らした。
「よし」
「じゃあ留守番組は、まず畑だ」
「豆が育ちすぎる前に支柱立てるぞ」
「えっ」
「戦争より大事だ」
王は鍬を脇へ置くと、
ようやく側近へ向き直る。
「……で?」
「どこの国が行くんだって?」
コピットは手元の書状を開いた。
「レイナ女王、バルバロッサ皇帝が、いち早く参戦を表明しております」
その瞬間、
カルドの顔が露骨に曇る。
「そんな戦闘狂みたいな連中連れてったら」
「向こうが困るだろ」
「戦争ですから」
「で、なんだ」
カルドは椅子代わりの木箱に腰を下ろす。
「カスティーヨは行くのか?」
「内々に問い合わせましたが、おそらく参戦するかと」
「じゃあ、あいつも行くなあ」
「サイラス殿ですか」
「元とはいえ軍師だからな」
カルドは断言した。
「息子のこと頼んどかないとな」
そう言うと王は、
近くにあった紙を引き寄せた。
「ちょっと手紙書く」
「届けてくれ」
コピットは受け取りながら、
ふと尋ねる。
「ところで、本当に行かれないのですか」
カルドは即答した。
「いかない」
「俺はな、金を背負って戦えるけど」
「十字架背負って戦えないのよ」