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──それは、まるで役割が割り振られているかのようだった。
黒板の前。机の下。後ろの掲示板の影。
「見てはいけないもの」が、あちこちに埋まっている。
遥の机の中には、また新しい紙切れ。
「犬は犬らしく吠えてろ」
その横に、スティック糊でべったり貼られた使用済みの絆創膏。
もう何も感じないふりで、それを無言で剥がす。
その後ろの席──日下部はノートにボールペンで書かれた文字を見ていた。
「イイコぶってる元いじめっ子」
「きもちわるい。どっちの味方なの?」
筆跡は複数混ざっていた。
誰かひとりじゃない。
「クラス」という空気そのものが、罰を下してくる。
──その日、日下部はいつも通り、遥の肩を軽く叩こうとした。
けれど、遥はぴくりと反応し、そのまま何も言わずに席を立った。
(……ああ、まただ)
日下部は自分の手を見下ろす。
それが、触れてはいけないものだったような気がして、拳を握る。
遥の背中が遠ざかっていく。
見送ったその視線に、もう届くものはない。
──数時間後。掃除の時間。
誰が言い出したかもわからない。
「ねえ、ふたりでトイレ掃除やってくんない? 男子用」
「いや、ふたりなら平等じゃん? どっちも“そういう”感じだし?」
声の調子は軽い。
けれどその裏にある悪意は、明確だった。
日下部が何か言おうとしたとき、遥が先に立ち上がった。
「……わかった。行く」
それが、「止めてくれ」の言葉にならないことを、日下部は知っていた。
(なんで……そうやって全部、背負うみたいな顔すんだよ)
でも、結局は自分も黙ってついていくしかなかった。
──トイレの個室。
ドアが半開きにされ、鍵を閉めると外からどつかれる。
「ちょっと待っててやるから。見張りついでに、仲良くやって?」
「なにすんのかは、別に興味ないし」
──誰もいないわけじゃない。
でも、「誰もいない」ことになっていた。
日下部は、じっと床を見ていた。
遥は、その隣にしゃがみこんでいる。
二人とも、何も話さなかった。
ただ、微かに震える指先が触れそうで触れない場所にあった。
──別の日。
遥が教室に戻ったとき、日下部の制服の胸元が濡れていた。
水ではない。おそらく牛乳か、何か。
机の上には、ぐちゃぐちゃにされたプリントと濡れた筆箱。
遥は何も言えなかった。
けれど、日下部はただ、遥の方を見て、
「……大丈夫」
とだけ呟いた。
そのとき、遥は気づいてしまった。
──自分の沈黙が、あいつを壊していく。
それでも、声は出なかった。
「声を出せば、自分の罪を認めることになる」
そう思っていた。
「壊れていく日下部」に、遥は自分の“手”がかかっている気がしてならなかった。
──そして、放課後。
蓮司は廊下の窓際で、いつものようにポケットに手を入れながら、
一人、沈黙を観察していた。
「やっぱ、“似た者同士”ってやつか。どっちも黙って壊れてく」
その口元は笑っている。
でも、笑みの奥には、鋭利な嗜虐の光が潜んでいた。
「さて、そろそろ“どっちが先に潰れるか”、見せてもらおうかな」
──仕掛けは終わっていた。
あとは、沈黙と罪悪感と“信じたいという罪”が、ふたりを削っていく。