ともすれば、村の集会所として使われる絵に描いた様な、うらぶれた教会で、ナタリーは、依頼を受けていた。
依頼主は、ロザリー、もとい、フランス軍いや、どこかの、国の、諜報組織の末端、かもしれない、けれど、ロザリーの個人的な、依頼だと受け止めるべきだと、密かに自分を納得させているナタリーは、先程から、隣に座る、ニヤケ面の司祭が、絡めてくる指先に、苛立ちを覚えている。
「と、いうことで、探って欲しい、と、までは、言いません。貴女は、単なる一般人ですから」
それなら、一般人らしく暮らさせてくれ!
とは、どうやら、言えないようで、入り口扉は、閂《かんぬき》をかけられ、先程の助手席の男が、軍人らしく背すじを伸ばし立っている。肩には、どこに忍ばせていたのか、ライフル銃を備えており、完全に、警備体制に入っていた。
もちろん、ここで、ナタリーが、拒否すれば、すぐに、あの男がやって来て、連行されてしまうのだろう。
と、言っても、もう、連行されているに等しい状態であるのだが。
ほぼ、いや、完全に、強制された依頼は、実に、良くできた筋書きではある。
ナタリーは、男爵の未亡人で、ワインを生産する古城、すなわち、ワイナリーでも、買い取って、遺産投資しようかと、物件を探しにやって来た。
そして、現地の実力者と交流する。
そこで得た情報を、ロザリー側へ流すのか、はたまた、ナタリーに、近づく人間を、敵か、見方か、ロザリー側が、判別していくのか、の、どちらかなのだろうけれど、そこは、ナタリーへは、知らされていない。
ワインを飲んで遊んでいろ。と、いうことで話は終わっていた……。
「わかったわ。でも、受けられない」
ナタリーの、返事に、ロザリーの目付きが、鋭くなった。
「嫌だって、事じゃないのよ。この司祭を、どうするの?筋書きに、出てこないでしょ?」
がっしりと、指が絡み合うように手繋ぎされている、手を差し出して見せながら、ナタリーは、更に続けた。
「それに、地元の有力者は、いいでしょう。でもね、こうゆう時に限って、たまたま、バカンスに訪れている本場の社交界の住人に、出会ってしまったりするのよ。あなた方が、思っている以上に、こちらの世界は、繋がっているの。だから、私が、男爵夫人だ、未亡人だって、設定には、無理がある。どこかで、バレてしまう可能性があるわ」
事がバレてしまえば、ナタリーは、それまで。きっと、誰も助けてはくれないだろう。
そう、とかげの尻尾切り──。
ふと、手繋ぎしている男を、ナタリーは見た。
こいつだって、あっさり見捨てて行ったじゃあないか。
「……成るほど」
ロザリーが、悔しげに、呟いた。
余程、自信があったのだろう。案外、彼女が、作り上げた筋書きかもしれない。
「では、ナタリーあなたなら、どうします?」
苦々しそうではあるが、しかし、任務には最善を尽くすと、ばかりに、落ちつきを見せようとしているロザリーに、
「そんなの、簡単じゃない。ハニーと、俺が、旅行で訪れたついでに、二人の将来の為に、ワイナリーでも、経営しますか?と、物件探しをしている、で、いいでしょ?」
軽々しく、カイルが口を挟んできた。
「カイル!あなたねぇ!何を言ってるの!」
「えー、せっかくなのにー」
だだっ子のように、ぐずぐず言いつつも、カイルは、しっかり握ったナタリーの手を放そうとしない。
……もしかしたら。と、ナタリーは、気がつく。
自分は、ロザリーだけではなく、カイルにも、拘束されているのではないか。
手繋ぎは、ナタリーを逃さない為。
そう考えておいた方が、良いのかもしれない。が、では、この男は、ロザリーと、反する勢力なのか、はたまた、ロザリーの仲間なのか。
一方、疑惑の男は、その方が、良いと思うよ、と、はじけていた。
「却下」
ナタリーは即座に答えた。
「カイル、考えてご覧なさい。男連れの私に気を許す、名士《おとこ》がいる訳がない。それに、あなたはあなたで、何か、やらなければならないことがあるのではないの?」
と、聖職者の格好をしている男を、しげしげと、見た。
「と、いうことで、ロザリー、今回は、仕立て屋マダムの気まぐれ、その蓄えで、ワイナリーでも買ってみようかと、やって来たナタリーで、行かせて頂戴。あー、良ければ、あなたも、お針子で、付いて来る?ご婦人方へ、最新モードをお勧めするのもいいかもしれないわよ……」
少しばかり、挑発的な物言いと、お返しとばかりに、きつい視線をナタリーは、ロザリーへ送った。
それぐらいは、させて頂きませんと、と、ついでに、口角を上げ固まった笑顔を投げた。
「ひえー、女の確執って、こわいねぇー、ここは、ナタリーの言う通りにしておいた方が、結局、そちらの狙い通りになるんじゃないのかなぁー。と、俺は思うんだけども、どうだろう?」
はああ?!
お前は、何様?余計な事は言ってくれるな!
隣の男は、姿通り聖職者ぶって、こちらの事情を引っ掻き回してくれる。
そして、ロザリーが、目を細めた。
腹に据えかねているのは、一目瞭然だった。しかし、それは、私のせいじゃない、こちらは、協力するって言ってるんだから。と、ナタリーは、どこ吹く風で、苛立つロザリーを見る。
「まあ、いいでしょう。筋書きは、二人に任せます。ロードルア王国の、社交界へ、潜入してくれれば、それで良いのですから」
「……ちょっと、待って、ロザリー、このどこか知らない田舎の集まりに参加しておけば良いって、話じゃないの?!」
「みたいだねー。なんと、ロードルア王国だよ!地中海に面した、貴族憧れの保養地だ!」
「そうです。行き先は、ロードルア王国。ナタリー、あなたの、社交界での加護は、ラスティ公爵夫人。宜しいですね?」
では、と、ロザリーは、言うと、安っぽいモード雑誌を残して、立ち上がった。
カツカツと、靴音を響かせながら、ロザリーは、去って行く。
扉の閂《かんぬき》は、外されており、警備の男と、待たせている車へ向かって行った。
「……ロードルア王国って、どこよ」
また、名も知れぬ小国へ、出向かなければならないのか。それなら、最初から、そこへ、連れて行けば良いものを。
どうして。よりにもよって……。
「あれ?なんだか、悩ましい顔をしてるねぇー、なんなら、懺悔、聞きましょうか?」
……こんなやつと、教会なんかに残されなきゃいけないの!
正面に見える祭壇に飾られた、十字架に貼り付けられるキリスト像が、ナタリーには、ことのほか、憂い漂う物に見えた。
ああ、神様、貴方という方は……。どうして、このようなモノをお残しあそばされたのですか?
「えーと、じゃー、取りあえず、聖母の祈り、三回唱えるということで」
ナタリーの胸の内など、何のその、カイルは、どこまでが、どこまでなのかと、言いたくなるほど、軽薄に司祭ぶっていた。
「……残念だけど、祈りはいらないわ。取りあえず、手を離して頂戴」
言って、握られている手を振り払い、ロザリーの置いていった雑誌を見るナタリーに、あっそ、と、カイルは、あっさり引き下がった。
「一応、俺も、セットらしいから、そのつもりで」
出発は、明日早朝、今晩は、ここに泊まればいい、部屋の用意をしてくると、カイルは、祭壇脇の扉へ向かった。
「……なんなの、あれ、というか……」
やっぱり、おかしい。
ロザリーは、ナタリーへ、依頼した。カイルは、ただ、座っていただけ。
なのに、行動をともにすると、言い切ってくれた。
事前に、カイルへ話が行っていたのだろうか?ならば、どうして、あの時、置き去りにし、そして、この寂れた教会にいる?
「なんだかんだ言って、あいつが、一番、胡散臭いじゃない!」
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!