テラーノベル
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ククルースが、カワゴル砦を選んだのには理由があった。
砦は、東、西、南の三方を川に囲まれている。
しかも西側には、広い湿地帯が続いていた。
大軍で攻めるには、決して都合のいい土地ではない。
砦そのものは小さい。
だが、そこから逃げる者を一人も出さず、
外から援軍を入れぬよう完全に封鎖しようとすれば、話は別だった。
川沿いに兵を広げ、街道を押さえ、湿地の縁まで見張らなければならない。
包囲網は、どうしても広くなる。
二百人を閉じ込めるために、一万の兵が散らばる。
それこそが、ククルースの狙いだった。
カワゴル砦を包囲したモンゴリア軍は、およそ一万。
その軍勢は三つに分かれた。
東には、バイダル。
北には、カダン。
そして西には、オルダ。
いずれも、ただの将ではない。
カダンは、大カーン・オゴタイの子。
オルダはジュチ家の長子であり、征西軍総司令官バトウの兄である。
その三人が、それぞれ兵を率いて砦を囲んだ。
だが――。
南にだけは、まとまった兵が置かれていなかった。
その必要がないと、誰もが思っていたからだ。
砦の南には川がある。
流れは深く、岸は険しい。
大軍が渡って来られるような場所ではない。
ましてや、その先にまともな街道もない。
敵が来るとすれば、東か北。
西から来るにしても、湿地を避けて大きく迂回するしかない。
南から軍勢が現れるなど、考える必要すらなかった。
少なくとも――。
モンゴリア軍は、そう考えていた。
カワゴル砦の城壁に立ち、ククルースは遠くに広がる敵陣を眺めていた。
東に、バイダル。
北に、カダン。
西に、オルダ。
思った通りだった。
「……きれいに分かれてくれたじゃねえか」
隣にいた傭兵が、不安そうに敵陣を見渡した。
「親分。本当に来るんですかね」
「何がだ」
「援軍ですよ」
ククルースは答えなかった。
ただ、南の方角へ目を向けた。
川。
その向こうには、低い丘と森が続いている。
誰もいない。
何も見えない。
それでもククルースは、しばらくそこを見つめていた。
やがて、口元だけで笑った。
「来るよ」
「……本当に?」
「死んじゃいねえよ」
「あの人はきっと生きてる」
ククルースは、ゆっくりと言った。
「そしてここに来る」
傭兵は黙った。
ククルースはもう一度、敵の包囲網を見渡した。
一万。
確かに多い。
だが、その一万は今、三方に割れている。
ククルースは、城壁に肘を置いた。
「さあて」
小さく呟く。
「どっから攻めてくる、そして」
「いつ来るんだ?」
だがククルースには見えていた。
そこから現れる、一人の男の姿が。
「砦に籠もっている者どもの命を助ければ、臣従するだと?」
バイダルは、目の前に跪く男を見下ろした。
男の名は、コピット。
エスカリオ王カルドの使者として、この陣を訪れていた。
「はっ」
コピットは深く頭を垂れた。
「加えて、リチャード王子の亡骸もお返しいただきたいとのことでございます」
そう言って、一通の書状を差し出す。
「こちらが、カルド王直筆の書状にございます」
近習が受け取り、バイダルへ渡した。
バイダルは無言で封を切った。
しばらく目を走らせる。
そこには確かに、カルドの名と署名があった。
コピットは続けた。
「砦の者たちの助命と、王子の亡骸をお返しいただけるならば――」
一度、言葉を切る。
「カルド王は、バイダル殿への臣従を受け入れると申しております」
バイダルの眉がわずかに動いた。
「必要とあらば、この場へ参り」
コピットはさらに頭を低くした。
「バイダル殿の御前に、いつでも膝をつくと」
しばしの沈黙。
やがて――。
「ふん」
バイダルは鼻で笑った。
「馬鹿馬鹿しい」
書状を片手で放り投げる。
「見え透いておるわ」
コピットが顔を上げた。
「は……?」
「息子を殺され、首まで晒された男が」
バイダルは冷たく笑った。
「今さら儂に膝をつくだと?」
「それは――」
「もうよい」
副官がすぐに前へ出た。
「使者殿」
コピットの腕を取る。
「今しばらく、別室にてお待ちいただきたい」
「しかし――」
「返答は追って申し渡す」
半ば強引に、コピットを天幕の外へ連れ出した。
姿が消えるのを確認すると、副官はバイダルのそばへ寄った。
声を潜める。
「ですが、司令」
「なんじゃ」
「例の帰還命令が届いて以来、軍の士気は著しく落ちております」
バイダルの顔から笑みが消えた。
副官は続けた。
「皆、戦どころではございませぬ。いつ本国へ戻るのか、
自分たちは処罰されるのか――そのことばかり気にしております」
「……」
「そのうえ、この地形です」
副官は卓上の地図を指した。
「西は湿地。三方は川」
「分かっておる」
「湿地では投石機も攻城塔も満足に動かせませぬ。
破城槌を近づけるにも道が限られる」
カワゴル砦を落とすだけなら、いずれは落とせる。
だが、時間がかかる。
今の彼らに、その時間はない。
「長期戦は避けるべきかと」
副官は慎重に言った。
「たかが二百のために、これ以上ここへ留まるのは得策ではございません」
バイダルは黙っていた。
先ほどの書状。
しばらくして、バイダルはなにやら思い付いた
「……待て」
副官が顔を上げる。
バイダルの口元が、ゆっくりと吊り上がった。
「奴は、ここへ来ると言ったのだな」
「カルド王でございますか」
「ああ」
バイダルは椅子から立ち上がった。
「臣従する気などない」
「でしょうな」
「ならば、目的は別にある」
バイダルは地図の上のカワゴル砦を指で叩いた。
「砦の者を救うためか」
そして、もう一度叩く。
「息子の亡骸を取り戻すためか」
副官の表情が変わった。
「司令……」
バイダルは笑った。
「こちらから攻める必要などないではないか」
「……」
「カルドを、おびき寄せた後」
副官は目を見開いた。
「奴が来れば――」
バイダルは腰の剣に手を置いた。
「ここで殺せば済むではないか」
天幕の中が静まり返った。
副官はしばらく言葉を失っていたが、やがて地図へ視線を落とした。
そして、ゆっくりと頷いた。
バイダルは満足そうに笑った。
「決まりじゃな」
「明日の正午、ここへカルド自身が参れ」
バイダルは、コピットを見下ろしながら言った。
「供は最小限にせよ」
「ははあ」
「それから――」
コピットが顔を上げる。
「遅参は認めぬ」
バイダルの口元に、薄い笑みが浮かんだ。
「一刻でも遅れれば、交渉は打ち切りじゃ」
「承知いたしました」
コピットは深々と頭を下げた。
「必ずや、我が王にお伝えいたします」
「あと砦の者たちにもこのことを伝えてまいります」
そして、恭しく天幕を退出した。
陣を出ても、振り返らなかった。
コピットはカワゴル砦に向かった
夕暮れには、砦の輪郭が見えてきた。
城壁には、まだエスカリオの旗が翻っている。
門が開く。
中へ入ったコピットは、案内を請うた
砦の一角。
粗末に設けられた祭壇の前へ行く。
そこには、リチャードの亡骸が安置されていた。
コピットは黙って跪いた。
胸の前で手を組む。
「王子……」
それだけを口にした。
しばらく、頭を垂れる。
やがて立ち上がると、ようやくククルースを探した。
ククルースは城壁の上にいた。
西の方角を眺めている。
湿地の向こうには、オルダの軍が野営していた。
「ククルースさん」
コピットが声をかける。
ククルースが振り返った。
「来たか?」
コピットは一歩近づいた。
そして、声を落とした。
「王からのご命令です」
ククルースの表情が変わる。
「明日の夜明け――」
コピットは、西の敵陣へ目を向けた。
「西のオルダの軍へ撃って出よ、とのことです」
ククルースは、しばらく何も言わなかった。
城壁の向こう。
湿地。
その先に灯る、無数の篝火。
ジュチ家長子オルダの陣。
やがてククルースは、小さく笑った。
「承知した」
それ以上は聞かなかった。
コピットも頷いた。
「では」
踵を返す。
そのまま砦を出ると、再び馬に跨った。
今度こそ向かう先は、カルドのもとだった。
夜の街道を、一騎が駆けていく。
アドラル皇国
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#日常
寿命㌫(主) 🔮🖤ᩚ
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コメント
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第34話、読みました!それぞれの思惑が交錯する心理戦、すごく面白かったです。ククルースが「あの人はきっと生きてる」と言い切る場面、信頼の厚さがにじみ出ていて胸が熱くなりました。一方でバイダルもカルドのおびき出しに気づいて逆に罠を仕掛ける――両者の読み合いがこの先どう転ぶのか、続きが気になって仕方ないです!今回も素晴らしいエピソードをありがとうございました🌷