教室の隅には、いつも同じ二人が居残っていた。机の上には教科書とノートだけ。窓から差し込む午後の光が、ページの端をやわらかく照らす。
「……今日も、残ってるんだね」
声をかけたのは、少し声の大きい方の彼だった。
返事はなく、もう一人は窓の外をじっと見つめている。
それでも、そこにいるだけで安心するのが、毎日の習慣になっていた。
「ねえ、昨日の問題、わかった?」
ノートを指さして聞く声は、少しだけ照れている。
彼は小さくうなずくだけで、言葉は返さない。
それでも、その無言に意味を読み取ることができるのは、毎日一緒にいるからだった。
時間はゆっくり流れ、教室に残る生徒も少なくなっていく。
照明の光は徐々に柔らかくなり、窓の外に夕焼けが広がる。
ページをめくる音と、時折聞こえる机のきしむ音だけが、静かな空間を満たす。
「ねえ、今日は放課後どうするの?」
ついに言葉を投げかける方は、少し勇気を出して窓の外を見上げる。
返事は相変わらずないが、肩の傾きや小さな視線の動きで、答えが返ってくる。
二人の間には、言葉以上のやり取りがあった。
机を並べて勉強しているだけなのに、なんだか胸が少しドキドキする。
無言の彼が、ふと小さく笑う瞬間があって、その瞬間だけ教室の空気が温かくなる気がする。
「……あ、笑った」
思わず声に出してしまうと、もう一人は少しだけ顔をそむけて、しかしすぐに窓に目を戻した。
外の風がカーテンを揺らす。
二人でいるこの時間が、少しずつ特別になっていくのを、互いに気づかないふりをしているのだ。
「もうすぐ日が暮れるね」
声は穏やかに、でもどこかはにかんでいる。
もう一人は頷き、机に伏せた手を軽く動かす。
その手の仕草に、なぜか心がきゅっと締め付けられる。
放課後の鐘が鳴る。
教室には二人きり。ほかの生徒はもう誰もいない。
「帰ろうか」
小さな声に、窓の外を見ていた目がぱっと彼に向く。
一瞬の沈黙のあと、微かにうなずいた。
帰り道、二人は特に言葉を交わさない。
けれど、並んで歩く足取りが、互いを意識していることを物語っていた。
夕焼けのオレンジ色が、二人の影を少し長く伸ばす。
「明日も、ここで待ってる」
背後から聞こえた声は、ほんの少しの勇気と期待に満ちている。
彼は小さく笑い、返事の代わりに軽く頷いた。
教室の窓ぎわで過ごす、特別でも何でもない午後。
でも、二人にとっては、何より大切な時間だった。
毎日の小さな積み重ねが、やがて大きな想いへと変わっていくことを、まだ誰も知らない。
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