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夜の王城は、昼とは別の顔を持っていた。人の気配が薄れ、灯りだけが静かに回廊を照らしている。
書庫――
王城の最深部にあるその部屋で、土岐隼一は一人、机に向かっていた。
分厚い古文書、羊皮紙、封印付きの記録箱。
机の上には、すでにいくつもの資料が広げられている。
「……噴水に、空から落下」
低く呟きながら、土岐は羽根ペンを走らせた。
「召喚儀式の痕跡なし。
魔法反応も微弱……というより、“存在しなかった”に近い」
彼は眼鏡を押し上げ、別の書を開く。
――《異界来訪者記録 第三巻》。
そこに記されているのは、数百年前の出来事だった。
・強大な魔力を伴い出現
・王国側が召喚
・もしくは、悪の王国の実験
だが今回のケースは、どれにも当てはまらない。
「Machico……」
その名を、土岐は慎重に口にした。
「意図的ではない。
世界の“裂け目”に、偶然落ちたような……」
ページをめくる手が止まる。
そこには、赤い印で書かれた注意書きがあった。
――《異界来訪者は、セカイに影響を与える》
――《本人の意思とは無関係に》
土岐は、深く息を吐いた。
「……やはり」
そのとき、背後で小さく扉が軋む。
振り返ると、女王・本泉莉奈が静かに立っていた。
「まだ起きていたのですね」
「ええ。
気になることが多すぎまして」
土岐は立ち上がり、軽く一礼する。
「女王陛下。
結論から申し上げますと――
Machicoは、これまでのどの“異世界人”とも一致しません」
女王は驚きもせず、ただ静かに聞いていた。
「魔法でも、召喚でもない。
この世界が“引き寄せた”可能性があります」
「……セカイが?」
女王の言葉に、土岐は頷いた。
「はい。
争奪戦が始まったこのタイミングで、
“現実世界の人間”が落ちてきた」
一瞬の沈黙。
「偶然とは、考えにくい」
女王はゆっくりと目を閉じ、そして言った。
「Machicoさんは……危険ですか?」
土岐は、即答しなかった。
「……彼女自身は、無害です。
ですが、“存在そのもの”が、均衡を崩す可能性はあります」
女王は視線を落とし、胸元で手を組む。
「それでも……私は、彼女を守りたい」
その言葉に、土岐は一瞬だけ目を見開き、
すぐに微笑を浮かべた。
「承知しました。
では私は、記録と警戒の役を引き受けましょう」
彼は最後に、古文書の一節を指でなぞった。
――異界の者が笑ったとき、セカイは動く。
「Machicoが何者で、
何を“変えてしまう”のか……」
土岐は小さく呟く。
「それを見届けるのが、私の仕事ですね」
その頃――
城の一室で、Machicoは用意された服に着替えながら、
まだ知らない不安を胸に抱いていた。
彼女が“記録にない存在”であることも、
そしてすでに――
悪の王国のどこかで、
“異変”が察知され始めていることも。
女王室の前。
重厚な扉の脇で、見張り番の兵士が直立している。
Machicoは一度深呼吸をし、小さく頭を下げた。
「……失礼します」
兵士に一礼してから、扉の中へ足を踏み入れる。
部屋の中央には、女王・本泉莉奈。
その少し後ろに、秘書の土岐隼一が控えていた。
Machicoは慌てて姿勢を正す。
「お呼び、でしょうか……?」
女王は穏やかな表情で頷く。
「ええ、Machicoさん。
あなたに、ひとつお願いがあります」
その声音は命令というより、提案に近かった。
「あなたには――
しばらくの間、王国のメイドとして働いてもらおうと思っています。
それで、いいかしら?」
Machicoは一瞬、言葉を失った。
「……メ、メイド……?」
戸惑うMachicoの横で、土岐隼一が一歩前に出る。
「女王様、それは――」
珍しく、はっきりとした異議の声だった。
「身元不明、職歴も確認できない人物を
王国付きのメイドとして雇うのは、さすがに――」
その瞬間、女王は静かに土岐を見た。
「なにか?」
短い一言。
だが、空気がぴんと張り詰める。
土岐は一瞬言葉に詰まり、すぐに背筋を伸ばした。
「……いえ!
何もございません!」
Machicoは、そのやり取りに思わず目を瞬かせる。
女王は視線をMachicoに戻し、優しく微笑んだ。
「安心して。
無理なことをさせるつもりはありません」
Machicoは恐る恐る口を開く。
「あの……
私、何をすればいいのでしょうか?」
そのとき――
コン、コン。
扉を叩く音が、場の空気を変えた。
「失礼します。野口です」
女王の表情が和らぐ。
「入ってらっしゃい」
扉が開き、騎士・野口瑠璃子が一礼して入室する。
「女王陛下。
Machicoさんの件ですが……」
野口は一度Machicoを見てから、女王に向き直った。
「この人を、王国付きではなく
街のパン屋で雇うというのはいかがでしょうか?」
土岐が反射的に顔を上げる。
「パン屋……?」
野口は頷いた。
「王城内より、街の方が安全です。
人目もあり、無理に役目を背負わせることもない」
女王は少し考え込み、やがて頷いた。
「……なるほど」
Machicoは、二人の顔を交互に見つめる。
「パン屋……ですか」
「ええ。
ちゃんとした店ですし、優しい店主ですよ」
野口のその言葉に、女王は決断したように口を開く。
「では、そうしましょう。
Machicoさん、街のパン屋で働いてみませんか?」
Machicoは、少し迷ったあと、小さく頷いた。
「……はい。
できることなら、やってみたいです」
⸻
こうしてMachicoは、野口に付き添われ、王城を後にした。
石畳の道。
人々の話し声、焼き立ての香ばしい匂い。
王城の外の“日常”が、そこにはあった。
やがて一軒のパン屋の前に辿り着く。
看板には、
weekendGarage の文字。
扉が開き、明るい声が響く。
「いらっしゃいませ!」
店主・鷲見友美ジェナが、にこやかに迎え出た。
「あなたが、噂の――
ええと、Machicoさん、よね?」
Machicoは慌てて頭を下げる。
「は、はい!
よろしくお願いします!」
パンの香りに包まれながら、
Machicoの新しい“居場所”が、静かに始まろうとしていた。
それが――
やがて王国と世界を繋ぐ場所になるとも知らずに。
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