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そして、ナタリーは、我が目を疑った。
これは……。
軍艦どころか、ただの、遊覧船ではないか!!
港から港、つまり、少しばかり離れた街を往復する船。客を乗せ、キャプテンの言葉通り、甲板でそよぐ風に当たりながら、風光明媚な、というべきか、湾の街並みを見ながらお喋りする、ただの観光船にしか見えないものだった。
海賊の手下っぽく頭にバンダナを巻く、男達が、停泊の準備に走り回っている。
そして、シフォン生地を使った、締め付けのない最先端のデザインドレスを身を纒い、シルク仕立ての山高帽を被った、紳士淑女達が、ウェーターを呼び止め、空になったグラスを渡し、はたまた、日除け様に張られた天幕の下で、ビロード張りの椅子に腰掛け、流れている、下船の合図、蛍の光こと、別れのワルツを奏でる奏者達の演奏に耳を傾け、そんな、華やかな情景が、ナタリーの目の前で、繰り広げられていた。
「カ、カイル!これっ!」
「おっと、お静かに」
カイルが言うと同時に、船首楼に立ったキャプテンが、シャンパングラスを、キンと、鳴らして、注目の合図を示した。
「本日は、我が、海賊船にご乗船ありがとうございます。なあ!野郎ども!」
言いつつ、シャンパングラスを、放り投げ、派手に割ると、腰のサーベルを抜き、掲げた。
すっかり、海賊船ぶった演出に、乗客達は、拍手喝采。わっと、笑い声まで、上げている。
その間に、残りの手下どもが、マストの帆をロープを引っ張り、折り畳んでいた。
ごそごそと、外国語を話しているということは、裏方の下働きに限り、外国人を雇っているという事なのだろう。カイルの言っていた、人件費がどうのというのも、これなら頷ける。
「では、暫く、ご歓談の後、下船して頂きます。予め、ご予約されているお客様は、ホテルへの送迎馬車が、待機しておりますので、そちらへ。当船は、この後、出港致しますので、お忘れものなど、ございませんように」
完全に、キャプテンは、どこかのホテルのコンシェルジュに、なっている。
ナタリーは、そんなことを思いつつ、隣にいるカイルを見た。
「あっと、予算の関係上、と、いうよりも俺達は、フリースタイルの観光を選んでいるので、残念ながら、ホテルへの案内は、ないんだけど、ほら、見てごらん」
なんて、こじんまりとした、そのわりに、賑やかな街なんだろう。あー、露天形式の、市場が続いているよ!
と、指差す方向には……。
「さあ、ハニー、どうする?」
他の乗客は、下船の準備に入っている。タラップが降ろされるのを待つ者、ホテルへの送迎を予約しているのだろう、チケットを確認している者、皆、それぞれ、次への行動を待っていた。
そして、カイルに、言われたナタリーも、次が、確実に待ち受けているのだと、悟る。
「……なんてこと」
目立たない様にでは、あるが、黒塗りの車が止まっている。そして、少し離れた所では、露天の店主に捕まり、渋々、会話をしている、自慢のブロンドの髪を、カーラーで巻き、ふわふわのウェーブを付けた、ロザリーの姿があった。
「いや、追いかけて来たのねぇー、お針子ちゃんったら」
私服、ということは、ここ、は、フランス領ではない、ということか、はたまた、公にできない、ひっそりと始末しなければならない事の為に、目立たない様、素人の振りをしているのか。
どちらにしても、このまま、下船してしまえば、ロザリーに、捕まってしまう。
「さあ、ハニーどうする?お針子ちゃんと涙の再開を果たすか……それとも……」
「それとも……?」
やおら、カイルは、ナタリーを抱き上げ、そのまま走り出す。
「ちょっ、ちょっと!!」
当然ながら、乗客の、好奇の目に晒され、ついでに、キャプテンは、さらに、賑やかな顔になっている。
いやな予感がした。
このまま行くと……。
「僕たち、新婚なんでね!せっかくなので、僕の、海よりも深い愛を、彼女に、教えてあげようと思いまーす!」
い、いらん!
いらぬわっ!!!
と、ナタリーが、眉間に皺を寄せ、叫ぶ前に、またもや、カイルが、口づけてきた。
わあっ、と、式が終わった教会から出て来た新婚カップルを出迎えるかのような、歓声が上がった。
そして、ナタリーの予感は的中する。
「しっかり、捕まっててよ!」
どこか、楽しげに、カイルは、そのまま海へ飛び込んだ。
「おー!新婚ってのは、どこでも、ムラムラするんだねぇー。頭を冷やすつもりか、海へ飛び込んじまったよ!さあ!救命ボートを下ろせ!」
ワハハハと、キャプテンは、笑い、乗客達も、つられて笑った。
「なっ、はっ、うぐっ」
一気に、海の中へ沈み、そこで、カイルと離れてしまい、焦りながらも、ナタリーは、必死に、海面に顔を出し、息をするが、上手く、空気を吸うことができない。
おまけに、ドレスが海水を含み、重くて仕方ない。
ひいーひいーいっている状態の所へ、救命ボートが、やって来た。
しかし、誰も、乗っていない。ボートが、ナタリーの所へ流れ着いたというのが、正しいのではないか、と、一瞬思いつつも、縁にしがみつき、濡れて体にまとわりつく、ドレスを恨めしく思いながら、右足を縁に引っかけるようにして、ボートと体を、とにかく、密着させた。
ここで、ボートが、流れて行ってしまうと海の中で、待ちぼうけを食らうことになる。
そうして、這いつくばる様に、ボートへ転がりこんだ。
やんややんやと、船上から、拍手喝采が、聞こえるが、さぞかし、みっともない姿だった事だろう。
ナタリーは、海水が滴る事などなんのその、その場を、早く離れようと、オールを握った。
カイルは、あの時、わざと、ナタリーの体を離した。
つまり、一人で、どこまでか分からないが、オールを漕ぎ続けなければならないのだ。
また、船に乗せてくれ、は、おそらく通じない。
ボートが、流れて来たのは、一人で、行け、という合図なのだろう。
そう、きっと、この騒ぎに気がついたロザリー達が、船に乗り込んで来るか、はたまた、海岸線沿いに、ナタリーが漕ぐボートを追っかけてくるか。
「ちょっと、いい加減にしてちょうだいよ!オールなんか、それも、海でなんか、まともに漕いだことないんだからっ!」
とりあえず、オールを漕いでみるが、ボートは、ぐるぐる回るだけで、進みもしない。
カイルのやつは、どこへ行った。と、ふと、船を望むと、キャプテンが、人差し指を、口にあて、そして、左方を顎でしゃくった。
そこには、ボートを漕ぐカイルと、ナタリーと同じ様に栗色の髪を束ね結った女が、乗っていた。
いや?
あれは、男だ。ここからなら、かつらを被った女の振りをしている、男、と、判別できるが、陸からだと、一瞬、カップルにしか見えない。
見えない様にするつもりか、カイルは、勢いをつけ、オールを漕ぎ続け、沖へ進んでいる。
つまり……、囮?
ロザリーを誤魔化す為に?
ピュっと、キャプテンが、指笛を吹き、ナタリーの注意を引いた。
そして、今度は、右方を、小さく指差した。
岬が見える。そこには、古びた館が。
あそこへ、一時避難、という訳か。
それなら、手下に、ボートを漕がせろ!
ナタリーの、怒りが、伝わったのか、キャプテンは、肩をすくめると踵を返す。
船上から、下船を指示する声が響いて来た。
陸には、今以上の人込みが、出来る。
ロザリーは、更に、動きが取りにくくなるだろう。そして、うまく、カイルのボートを見つけてくれたら……。
その隙に──。
一抹の不安を抱きつつ、ナタリーは、オールをぐっと握る。
「はっ、まったく、あの男、逃げ足だけは、早いんだからっ!」
と、一人ごちた。