テラーノベル
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森を抜けるころ、
夏の陽はさらに強さを増していた。
日陰を選んで歩いても、湿った熱気は肌にしつこくまとわりつく。
エリオットは木の実をひとつ手に持ちながら
「今日は、いいのが採れたよ」
と明るく言った。
イチはその声を静かに聞くだけで、
それ以上の反応は見せない。
けれど――
次の瞬間。
「っ……」
エリオットの足がふいに止まった。
「……っ、……っ、……!」
深く、
ひっかかるような咳が何度も喉を突きあがる。
身体が前に折れ、肩が細かく震えた。
木の実が
ぽとりと地面へ落ちる。
イチは
その音に反応して
エリオットの顔を見た。
苦しそうに呼吸を搔き集めるように
空気を吸い込んでは咳へとこぼれる。
生きていることさえぎりぎりに見えるほど
音が痛々しい。
イチは
一歩踏み出しかけて――
足を止めた。
どうすればいいのかわからない。
触れていいのか、近くへ行くべきなのか、
何ひとつ
答えが浮かばない。
けれど、
ただ――
助けたい
その気持ちが胸の奥で熱をもった。
表に出せない。
声にもならない。
感情さえ呪いに縛られて
動かせない。
それでも、
その想いだけが
心の中で確かな形を結んだ。
やがて咳は少しずつ弱まり、
エリオットはなんとか息を整えた。
「――ごめん」
彼は目を細く閉じ、
苦笑いを浮かべる。
「大丈夫、
よくあることなんだ」
そう言って
立ち上がろうとした足が
わずかにふらつく。
イチは反射的に手を伸ばした。
握れない、
支えきれない。
ただ、
そばにいたい
その意志だけが指先に宿る。
エリオットは伸ばされた手を見て
きょとんと目を瞬いた。
その表情が
すぐに、どこかあたたかい笑みへと変わる。
「……ありがとう」
囁くような声。
風がそれをさらい、
葉を揺らして通り過ぎる。
イチは何も言えない。
それでもその小さな手は
ゆっくりと――
エリオットの袖をそっと掴んだ。
その仕草は
言葉より
表情よりも確かに、
“行かないで”
と伝えていた。
エリオットは
その力のない掴み方が
愛おしいほど真っ直ぐで、
ゆっくりうなずいた。
「帰ろう」
そう言って
ふたりは影のさす道を
家へと歩きはじめた。
夏の風はどこか湿り、
ふたりのあとをやわらかく追いかけていく。
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