テラーノベル
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沙里央
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柘榴とAI

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ストレスを溜めなくない。
嫌な物を見たくない。
必要な情報だけ仕入れたい。
そんな時、目の前に不思議な宝飾店が現れるらしい。
「その人にぴったりのジュエリー」を用意してくれるんだって。
+
『|河合藍斗《かわいあいと》』
今、日本で中高年にもっとも人気があるアイドルと言っても過言ではないだろう。
私は藍斗くんのファンクラブの設立当初から入会し、十年が経った現在も継続している。
ファンクラブといえば、昔は会報で文通相手を募集する項目が設けられていたりしたが、時は令和。
公式のファンクラブチャットで他の会員達といつでもどこでも藍斗くんの魅力を語り合える。
そして何と!
ファンクラブチャットに藍斗くん本人が不定期で降臨するのだ。
私はスマホを肌身離さず持ち歩き、降臨の通知があればすぐにアプリ開いて藍斗くんのコメントを確認していた。
【お疲れちゃま~!今リハーサル終わったところだよ~!お留守番組も、後から一部をLIVE配信するから楽しみにしといてね!】
なんてファン想いなの!
もちろん見るわ!
「……あのう、すいません。メンチカツって、今から揚げてもらう事できます?」
バックヤードに繋がる店内の窓から、息を切らせた初老の女性が声を掛けてきた。
んもう!今、藍斗くんが降臨してるっていうのに!
「申し訳ございません、在庫切らせちゃってるんですよ」
嘘だけど。
総菜売り場の冷凍室には、メンチカツの在庫が山ほどある。
初老の女性は「困ったわ……。急遽必要なんだけど」と言いながら、その場から遠ざかっていった。
メンチカツが急遽必要になる状況ってどんなだよ!
昼の忙しい時間帯に無理な注文付けてんじゃねーよ、ボケ!
私はすぐに視線をスマホに戻した。
藍斗くんのファンはほとんどが中高年の為、チャットの流れは遅い。(みんな打つのが遅いから)
【タニさん、投げ銭ありがとう!】
やった!
藍斗君が私にメンションしてくれた!
生配信では、応援の気持ちを表す『投げ銭』というシステムがある。
ネット上で送る事のできる、チップのようなものだ。
そして投げ銭をすると、返事を貰える確率は格段に上がる。
『タニ』とは、名字から取った私のハンドルネーム。
SNSだから本名を載せるのは危険だって、中学生の娘も言ってたしね。
+
「お母さん、藍斗の生配信の後、Twitterで『投げ銭のタイミングが被ってしまって申し訳ありませんでした』って、他のファンにリプ送ってたよね?あれ、これからは絶対にやっちゃ駄目だから!」
フルタイムを終えた帰宅後。
夕食の準備を済ませてご飯をよそっていると、テーブルでスマホを操作している高校生の娘にそう指摘された。
娘も知っていたのか。
実は最近、一人の藍斗ファンと|一悶着《ひともんちゃく》あったのだ。
数日前の藍斗くんの生配信の時に、別のファンの人と投げ銭のタイミングが被ってしまった。
私の投げ銭の額は12000円で、別のファンの人は1220円。
その際に藍斗くんに名前を呼ばれたのが私だけだった為、申し訳なく思ってしまった。
ちょうどTwitterを始めたばかりで、その人とも相互フォローをしたばかりだったので、【投げ銭のタイミングが被ってしまい、申し訳ありませんでした】とリプライを送ったら、何故か相手が激怒してしまった。
「当たり前だよ。相手からしたら、『マウントを取られた』ってなるし」
相手は私に対して敵対心を|露《あらわ》にし始めた。
その後行われた生配信でも、【藍斗くんが恐縮しちゃうような金額を送らないようにしますね♪】 と、明らかに私への当て付けとも取れるメッセージを添えて、藍斗君への投げ銭を少額に分けて送るようになっていた。
Twitterもブロックされ、現在は相手のツイートが見えない状態。
「でも今のところ、お母さんがオフィシャルファンクラブアプリの投げ銭ランキングの上位にいるよね?一位になったら特典として河合藍斗本人と会って話せるんでしょ?」
お茶碗を受け取りながら、娘が聞いてくる。
「ええ。まず、アプリに慣れるのが大変だったけど、やっと仕組みが分かってきたわ。それでなくてもデジタルに弱いのに」
私は藍斗くんのファンになるまでは、アプリやらチャットやら、謎のカタカナ語の意味を理解しようとは思わなかった。
やっと慣れたかと思ったら、新たなツールがどんどん追加されていき、着いていくのに必死だ。
「いいじゃん、ボケ防止になって」
大学生の長男が夕食を頬張りながら、生意気な口を叩く。
「失礼ね!まだボケる歳じゃないわよ!」
「ん、これおいしい。スーパーの惣菜も結構いけるじゃん」
娘の言葉に、「お母さんも働いてるから、こんな時に惣菜にお世話にならないとね」と返す。
「でも、河合藍斗にたくさん投げ銭してて大丈夫なの?お金、無くなっちゃわない?家のローンもあるし、パパの稼ぎは少ないし……」
そう言いながら、惣菜の玉子マカロニサラダを頬張る娘。
「ママはやりくり上手なのよ。現に、ローンも|滞《とどこお》りなく払ってるし、あんた達にも充分お小遣いをあげてるでしょ。ママは家事もほとんど一人ででこなしてるんだから、文句があるならご飯くらい自分でよそいなさい!」
「へいへい。分かりやしたよ。でも母さん、SNSに悪口とか書かないようにしろよ?職場を特定されて|電凸《でんとつ》されて、クビになる事だってあるんだからさ」
デントツ……!?
ダントツじゃなくて?
また新たなカタカナ語が!!
重ねた食器を流し台に運び、自室へ向かう階段を上り始める息子。
「ちょっと!何、デントツって!」
「『|電《・》話で|突《・》撃』だよ。カタカナ語でもないし」
ご飯を口に運びながら、説明を始める娘。
「一般の特定班も怖いけど、まずネットで匿名だからって他人を攻撃したら駄目だよ。悪口もね」
そのくらい、言われなくても分かってるわよ。
とにかく誹謗中傷しなきゃいいんでしょ?
私のは誹謗中傷じゃなくて「|全《まっと》うな意見」だから大丈夫。
「ごちそうさま」 手を合わせ、食器を流し台に運び、塾用の鞄を持って玄関に向かう娘。
「行ってきまーす」
「行ってらっしゃい。気を付けてね」
食器を洗い、一段落ついたところで椅子に腰掛けてスマホを手に取り、ファンクラブ用のアプリを開き、チャットの内容を確認する。
【ここに書いていいのかな? ネットに詳しくなくて、他にもSNS?やってないから……。ファンクラブの更新日が過ぎたんですけど、お知らせが来なくて。自分なりに調べたけど分からないので、更新を済まされた方にお聞きたしたいのですが…】
ああ!また藍斗くんと関係ない話を書き込んでる奴がいる!
ファンクラブチャットは、藍斗君の連絡事項と、降臨の時に使う為の場所なのに! |私達《・・》とは認識のズレがあるようね。
私はTwitterアプリを開く。
【ファンクラブチャット見ました(?_?)。もう、ブキヂレ寸前です!(#`皿´)。何なのよ、あのアイコン! ブスだしおばさん(笑)。藍斗君のオフィシャルチャットであんな内容を書き込むなんて許せない!( `ー´)。ほんっと、ルールを守れない会員は◯ねばいいのに!\(o)/。って言うか、頭おかしいんじゃないの?施設に入ってほしいわ(笑)。】
約五分を掛けて長文を打ち込み、ツイートを投稿すると、フォロワー達から続々とリプライが寄せられた。
【見ましたwもう、呆れてますよ~ww】
【気付いてるけど、人には都合があってすぐに返事が出来ない事があるって事を、少しでも気が付いてもらいたくてあえて時間を置いておいてるのよ。そろそろ返そうかしら?】
【さっすがー!!】
【そうよねぇ~!チャットに書く暇があるなら運営に聞けっての!】
【返してあげたいけど、神聖なチャットが荒れちゃいそうな気がするからぁ】
【お門違いなコメントですよね。良識のあるいい歳をした大人なら、場をわきまえての発言が当然なのに。伝わらないって悲しい……】
【新たな刺客(?)は皆さんで華麗にスルーしましょうね!】
【自分で言うのもなんだけど、基本的にそんなに人の好き嫌いってないほう。でも、あーゆう人いると楽しい場所も行きたくなくなるわ。だから、最近はほぼ見るだけ】
【もう馬鹿なファンにはウンザリ。いい加減にしろって感じ。よく強制退会にならないなぁ?これからスタッフが会議して考えるのかな?】
【私、見たくない人のコメントはミュートしてますよ♪】
ミュートって?
また出た、カタカナ語!
【コメントを見たくない人をミュート設定にすれば、表示されなくなるんです。説明画像も貼っておきますので、ぜひやってみてください!】
なるほど、ミュートね
メモメモ……。
DMにアップされた説明画像の内容を、紙のメモに書き写し、Twitterアプリを閉じる。
ファンクラブアプリを開いて、投稿を見たくない人のアカウントをタップして、ミュートに設定……っと。
これで合ってるのかしら?
++
ミュート設定にしてからというもの、嫌いな人のコメントが見えなくなった。
なんて快適! 早くミュート機能を使えば良かったわ!
Twitterでも、見たくない人やワードはミュートできると教えてもらい、さっそく実行した。
やっぱり、『臭いものには蓋』よね!
自分が見えなかったら、相手のコメントなんて、最初からないのと同じだもの!
+
「おはようございます」 更衣室にいたのは、同じ惣菜売り場の松木さん。
「……ああ、おはよ」
松木さんは素っ気ない返事をしながら、姿見で制服の乱れを正している。
機嫌が悪い時は無視されるし、返事をしてくれただけでもまだいい方よね。
松木さんはこの食品スーパーの惣菜売り場のパートチーフで、三十年以上も勤めているベテラン。
松木さんは癖の強い性格で、従業員がストレスを溜めて辞めていく事で有名らしかった。
惣菜売り場のバックヤードは、揚げ物を作る『ホット』と、『寿司製造室』の二つに分かれていて、四~六人体制で手分けをして揚げ物や寿司を作っている。
子供も大きくなり、家からも近いからと、このスーパーマーケットでパートを初めてから数年が経つが、最近、パートに行く事が|億劫《おっくう》になってきている。
「ねぇ!先週の木曜の午前中に出すメンチカツの予定数、知ってた!?」
松木さんが揚げたてのコロッケをパックに移しながら、かき揚げを揚げている私に聞いてきた。
「はい、メンチカツは十五パックですよね?」
かき揚げが焦げないように気を付けながら、振り向いて応える。
「その日、わりと売れたのよ。なのに、どうしてもっと多く作らなかったの?」
背中を向けていた松木さんがやっと振り向き、その眼鏡の奥から私を睨み付けてきた。
「……先週の木曜日は私は休みだったんで、違う人が担当だったはずですけど」
松木さんは、私が出勤していたと勘違いしていたのだ。
「あ、そう」
そう言うと松木さんは勢いよく前を向き、コロッケが入ったパックの両端にセロテープを貼り始めた。
……勘違いしていたのたなら、そう言えばいいのに。
自分のミスは一切認めないのよね、この人。
……胃が痛い。
あーあ、私生活でも人間関係をミュートできたらいいのに。
ま、無理か。
年頃の|息子さん《長男》の彼女も、|松木さん《この人》が姑になる事に抵抗があるから結婚に踏み切れないでいるって、別のパートさんから聞いたわ。
正月に息子の彼女が自宅に来た時に、長女(長男の妹)に挨拶しなかったように見えたから、腹が立ったって言ってたわよね?
「お雑煮を作るのを手伝ってくれたのはいいんだけど、気に入らなかったからずっと無視してたの」って。
中学生なの?
あなたはほうれい線くっきりの女子中学生なの?
女っていくつになっても底意地が悪いから、嫁姑問題が無くならないのよね。
でも私は大丈夫。
息子はまだ大学生だけど、将来お嫁さんを連れてきても私は絶対に辛くなんて当たらないし、愚痴や悪口を言ったりしない自信があるわ。
++
「胃の中が荒れていますね」
休日、病院で胃カメラを取った後、医者がパソコンの画像を見ながら淡々と語った。
「処方箋を出しておきますので、四日以内に薬局に行ってください」
「……分かりました」
胃炎か。
やっぱりストレスが原因なのね。
きっと、いつも人に気を遣いすぎてるから。
私って絶対にHSPよね。
会計を済ませた後、病院の正面玄関を出て、敷地内の階段を下り、少し離れた場所にある薬局へと向かう。
薬を飲んだら少しは楽になるのかしら。
辿り着いた薬局のガラスの扉の前に立つ。
自動ドアの無機質なウィ……ンという音が、小さく響く。
私は保険証を財布に仕舞いながら、ドアの向こうに足を踏み入れた。
「お待ちしていました、谷町様」
……え?
薬剤師だと思ってうっかり処方箋を渡してしまった長身の男性は、白衣を着ていなかった。
どうして私の名前を?
あ。きっと処方箋に書いてある名前を見たからよね?
「いいえ。ここに来られる前から、私は谷町様のお名前を存じておりました」
そんな事ある訳ないじゃない。
綺麗な顔をしているだけあって、|気障《きざ》な人ね。
というか、どうして声に出していないのに考えている事が分かるの?
「……す、すいません、薬局と間違えちゃって。|処方箋《それ》、返してくれません?」
「薬は一時的な効果はありますが、根本的な問題を解決しないと意味がありませんよ。何事も、手遅れになる前に手を打っておかなければ」
そう言いながら男性は処方箋から手を離した。
処方箋は、ひらひらと重力に従って下に落ちていく。
「ちょっと……!」
その瞬間、処方箋はバラバラになり、美しい数十匹羽の蝶になった。
手品?
というか、何で人の処方箋を勝手に蝶々にしたの?
「手品ではございませんよ。今回は、谷町様にぴったりの商品をご用意させて頂きました」
店の男性の手の上にいつの間にか、キラリと光る物が乗っていた。
「こちらの商品は『マジェステ』。かんざしとバレッタが組み合わさったようなデザインの、髪に着けるジュエリーです。スーパーのバックヤードでは、ピアス、指輪、ネックレスなどの貴金属類は衛生の面などで禁止されていますが、これなら大丈夫でしょう」
どうしてパート先まで知ってるのよ!?
「周りで起こる嫌な人、情報がミュートされ、ストレスが軽減されます。さあ、お受け取りください」
店の男性が私の方にマジェステを差し出す。
確かに、一目見ただけでこのマジェステに惹かれたのは間違いないけれど。
「……会ったばかりのよく知らない方に、物を頂く訳にはいきません」
「代金は必要ありません。こちらの商品は私からのプレゼントです。どうか、受け取っていただけないでしょうか?」
無料って……。
やっぱり危ない店なのよね?
「だから、いりませんって……」
「当店の商品はきっとあなた方のお役に立つ事でしょう」
店の男性が、私の言葉を待たずに被せてきたと思った瞬間、辺り全体が光に包まれ、意識が|遠退《とおの》くような感覚に陥った。
+
気が付くと、私は病院の最寄り駅のホームの椅子に座っていた。
やだ!私、寝てた!?
今のは全部夢?
混乱しながらも頭に違和感を覚え、そこに手をやると、ひやりとした感触が指先に伝わってきた。
まさか……。
私は手鏡を取り出し、中を覗き込む。
髪には、先ほどあの男性にすすめられたマジェステが着いていた。
+
駅のホームで、何とかマジェステを外そうとしたが、頭皮に貼りついているのかというくらい、びくともしなかった。
落ち着きを取り戻してから、店があったはずの場所に戻ったが、薬局しか見当たらなかったので仕方なく帰ってきた。
自宅の洗面所で、洗面台に背中を向け、スマホのカメラ機能を起動させて洗面台の鏡に向けてみた。
マジェステを着けた後頭部が写り込む。
やっぱりすごく素敵。
でも返さなきゃ駄目よね。
何気なく、そのままシャッターボタンを押してみた。
「……あら?」
画面を確認した私は驚いた。
私の後頭部は写っているのに、マジェステだけが写っていないのだ。
「嘘……」
後頭部に触れるとたしかにマジェステはある。
洗面台の鏡にも映っているのに……。
どうなっているの?
それに「嫌な人、嫌な情報がミュートができる」って、一体どういう事なの!?
+
あれからも、やはりマジェステは取れなかった。
マジェステを着けたまま入浴したり眠れる訳がないと思っていたが、以外と着け心地が良く、どのような体勢でもぐっすり眠れた。
いつものように職場に向かい、制服に着替えて惣菜売り場のバックヤードに入ると、松木さんの姿は見当たらなかった。
遅刻かしら?
今日は寿司製造室の握り寿司の担当なので、さっそく作業に取りかかる。
トレーを並べて、シャリマシーンから出てくるシャリを斜めに並べて、外国から送られてきたカットされた寿司ネタを、あたかも握りましたよ風に乗せて……っと。
醤油と生姜の小袋を入れて、蓋を閉じて、二ヶ所にテープをとめて完成。
値付けシールは開店と同時に、テープを貼って出すから、まだ後、四十分くらいあるわね。
それにしても、松木さんはどうしちゃったのかしら?
いつもみたいにホットの方で、休日のパートさんの悪口に花を咲かせているのとか?
私は、ホットに続くスウィングドアを押し、業務用のフライヤーでメンチカツを揚げているパートさんに聞いてみた。
「ねぇ。まだ松木さんが来てないみたいなんだけど、何か聞いてない?」
パートさんは揚がったばかりのメンチカツをパックの上に並べながら、不思議そうな顔を浮かべた。
「何を言ってるのよ。松木さん、来てるじゃない。さっき更衣室で着替えてた時に、松木さんもいたのに、あなた、私にしか挨拶しないからどうしたのかしら?って思ってたのよ」
……??
私は恐る恐る寿司製造室に戻るが、松木さんの姿は見えていない。
「あら、松木さん、こっちに来たのね。何だか、谷町さんがちんぷんかんぷんな事言ってるのよ」
パートさんの視線は、私にではなく、私の左隣に向けられている。
頭がおかしくなっちゃったの!?
「ちょ……、ちょっと私、お手洗いに!」
私は慌ててその場を離れ、従業員通路に通じるバックヤードの扉を開いた。
するとそこには、あの店の男性が立っていた。
「へっ!?何で!?」
「さぞかし驚かれた事でしょう。当店とした事が、説明不足でしたね」
そう言いながら店の男性はバックヤードに入ってきた。
「ちょっと……。部外者の方の立ち入りは困ります!」
「大丈夫ですよ。私は今、あなた以外の人には見えていませんから」
どういう事?
「谷町さん、どうしちゃったの?今日は何か変よ?」
さっきまで話をしていたパートさんが後ろから私に話し掛けてきた。
「だって、この人がいきなり入ってこようとするから……!」
私は店の男性を指差した。
「『この人』って誰の事を言ってるのよ。誰もいないじゃない。ねぇ、松木さん」
パートさんは左隣の空間に話し掛けている。
「説明致しましょう。今、松木さんはパートさんの言葉を無視して寿司製造室に戻られましたよ」
店の男性は寿司製造室に続くスウィングドアを開けた。
私も店の男性に慌てて続く。
「現在、谷町様は当店の商品のマジェステを着けておられるので、現実世界でミュートしたい人物……、松木様の存在が、谷町様の視界から消えて見えなくなっているのです」
……どういう事?
さては、みんなで私をからかっているのね。
「……もし本当に松木さんの存在が私の中からミュートされていたとしても、仕事の事で松木さんから指示がある時はどうすればいいのよ?確かに苦手な人よ?でも、松木さんの姿が完全に見えなくなっちゃったら、仕事に影響が出ちゃうじゃない」
私は疑問を投げ掛けてみた。
「それは大丈夫ですよ。 ……ご覧ください。今から松木さんが谷町様に仕事の指示を出そうとしておられます」
だから私には松木さんが見えてないんだって……、ん?
店の男性の隣の空間に、ぼんやりと、何かの姿が浮かび上がってきた。
「おはよー!今日も1日頑張ろうねぇー!今日は雨だから、握り寿司は少なめに作ろうねぇー!」
完全に姿を表したのは、松木さんではなく、私の好きなソンリオキャラクター、『ゆでたまん』だった。
「ご飯が炊き上がったよぉー!お酢を混ぜてきてねぇー!」
イラストの世界からそのまま飛び出してきたようなゆでたまんが、可愛らしい声で喋っている。
え、何これ。むちゃくちゃ癒されるんですけど……!
「谷町様の目には、ゆでたまんに見えておられるでしょうが、この方は松木さんご本人です。当店のマジェステを着けていると、苦手な人を自分の好きなキャラクターに置き換えて見る事ができます。しかもゆでたまんの姿に見える松木は、用事がある時だけ谷町様の前に姿が現れ、やり取りが終了すると再び見えなくなるのです」
つまり、目の前にいるのは本当は松木さんだけど、私にはゆでたまんに見えているって事?
そして、何か重要な事を伝える時以外は見えない……。
「その通りです。松木さんご本人の姿よりも、好きなキャラクターに話し掛けられる方が癒されるし毒もないでしょう?同じ言葉でも、好きな人から掛けられるか、嫌いな人から掛けられるかで受け取り方も印象も変わるものでございます」
確かに……。
「それでは、私はこれで失礼致します」
右手を自身の胸の前に添え、お辞儀をした後、店の男性がバックヤードのスウィングドアを押した瞬間、姿が見えなくなった。
+
それから私は|現実《リアル》でもストレスなく過ごせるようになった。
「今日は祝日だから、朝からお寿司を多目に作ろうねぇー!ストックをたくさん作っておいて、昼から値付けして、あたかも出来立てのように見せかけて店に出すようにしようねぇー!」
ゆでたまんの姿をした松木さんが私に話し掛けてくる。
「はーい!分かりました!」
私もそれに元気よく応える。
「どうしちゃったのよ、何か最近。松木さんに嫌味を言われても全然気にしてないみたいだし。あなたがいつもニコニコしてるの、松木さんは不思議がってるわよ?」
酢飯を機械から取り出そうと、ホット部屋に入ると、別のパートさんが話し掛けてきた。
「ええ~?そんな風に見える?」
だって、松木さんの姿は、マジェステを着けてから全く見えていないんだもの。
松木さんの嫌味は私には聞こえてないし。
「そういえば、谷町さん、河合藍斗のオフィシャルチャット。投げ銭ランキングで一位になったって聞いたけど?」
そう。実は最近、藍斗君への投げ銭ランキングの一位に登りつめた。
ストレスはゼロだし、藍斗君とは会えるし、いい事ずくめじゃない?
バチが当たるんじゃないかってくらい、毎日が順調すぎるわ!
+
売り場の|最終時間勤務《ラスト》を一人で任されるようになって数年。
いつものように着替えを済ませた後、エコバッグを持って、こっそりと惣菜売り場のバックヤードに戻る。
実は、店から盗んだ商品を食卓に並べていた。
従業員が商品をバックヤードに持って入っても誰も怪しまないし。
うちは実質、食費ゼロ!
そして、浮いた分の食費を藍斗君への投げ銭に|充《あ》てていたの。
私って本当にやりくり上手よね。
野菜や惣菜、調味料にわたるまで全ての食料品をエコバッグに詰める。
……あら嫌だ。
フライヤーの電源をオフにするのを忘れてた。 赤いランプが付いてたままになっているフライヤーの元に向かおうとした、その時。
「あ~あ、い~けないんだ!見~ちゃった見~ちゃった!僕、見~ちゃった~」
ゆでたまんがバックヤードの扉を塞ぐように立っていた。
私にはゆでたまんに見えているけれど、これは松木さんだ。
今日は休みじゃなかったの……!?
「シフト表を取りに来たら、偶然、見~ちゃった!谷町さんは、お店の商品を泥棒さんしてたんだぁ~!店長に言っちゃ~お!」
ぐでたまんがぐるんと振り返って背中を向け、従業員通路に出ていこうとした。
……駄目よ。ここでバレたら全てがおしまい。
「お願い、待って!違うの!話を聞いて!」
ゆでたまんに見える松木さんの腕を引っ張ると、バランスを崩して、お互い床に転んでしまった。
その弾みで、大きなボウルに入れてあった業務用のパン粉が床に落ち、私達の頭に振りかかった。
グワングワンという、ボウルの床をさ迷う金属音が、惣菜売り場に響き渡る。
「痛いよぉ~!もう僕、怒ったからぁ~!店長~!店長~!」
お願い!黙って!
+
正気に戻ると、私はパン粉まみれの床に両手を付いていた。
呼吸を荒げながら視線を床から上げると、横たわっている人間の足が見えた。
「あ……。松木さん、大丈夫?ごめんなさい、私、気が動転しちゃって……」
顔を上げ、足から上半身の方に視線を移す。
「ひっ……!」
松木さんが動かない。
どうしよう……、死んでる……よね!?
+
私は松木さんの両脇を抱えながら体を引きずり、惣菜部屋専用の冷凍室へ運ぶ。
私自身も手に火傷を負っていたが、まずは死体を隠すのが先。
冷凍室には、大量の冷凍食品が、段ボールや発泡スチロールに入れて保存されている。
私は、冷凍室の奥にある、一番大きい蓋付きの発泡スチロールのケースを見つけ、上に重ねてあった大量の冷凍食品を退かした。
中のメンチカツを取り出し、別の発泡スチロールの隙間に詰め替える。
そして、空になった発泡スチロールケースに、足や手を折り曲げた松木さんの体を何とか押し込んだ。
……大丈夫。
まだ棚卸しまで数ヶ月ある。
藍斗君に会えるまで、私は捕まる訳にはいかない。
松木さんを入れた発送スチロールケースの上に、再び冷凍食品の入った段ボールを積み上げ、冷凍室を出る。
何故か床に落ちていたマジェステを拾い上げ、パン粉だらけになった床にホースで水を撒いく。
私は盗んだ商品を詰めたエコバッグを持ってバックヤードを後にした。
幸い、誰もこの騒ぎに気が付く人はいなかった。
お客さんも少ないし、お隣の精肉売り場の従業員は全員帰っているし。
とにかく難は逃れたかしら……?
++
「ママ、ご機嫌だね」
娘が、ニコニコしながら朝食の食パンの端をかじる。
もちろんその食パンも、店から盗んだ物だけどね。
「今日は河合藍斗に会えるんだから、機嫌が悪い訳ないだろ」
息子がサラダのミニトマトを指で摘まみ、口に放り込む。
「私達は留守番しとくから、今日は楽しんできてよ。お土産も宜しく~」
+
都心に向かう電車の中。
もうすぐ藍斗君本人に会えるなんて、緊張する。
だけど、勇気を出さなきゃ。
『初めまして。谷町|貢子《みつこ》です。私、ずっと藍斗君を応援していました。 あなたは私の王子様です』
『ありがとうございます。実は僕、歳上の女性がタイプで。……貢子さんみたいな』
『えっ、でも私には主人と、まだ学生の子供達が……』
『いつまでも待ちます。それまでプラトニックな関係でいましょう』
「……ぐふふふっ」
頭の中で何度も繰り返したシミュレーションに口元が緩む。
向かいの座席で談笑していた女子高生二人が、私の顔を不思議そうに見てくる。
いいの。
今は、変な目で見られてもいいの。
だって私、今から河合藍斗君に会いに行くんだもーん!
その時、背中にコツンと何かが当たった。
マジェステがまた落ちたのだ。
座席と背中の間に手を入れて取り出す。
普段は皮膚に張り付いているかのようにびくともしないのに。
あの日……松木さんが死んでしまった日もマジェステが取れた。
まったく、嫌な事を思い出させてくれる。
マジェステを着けなおそうと自身の髪に触れた、その時。
「えーっ!!マジで!?」
向かいに座っていた女子高生二人が、スマホを凝視しながら絶叫していた。
ピーチクパーチクとうるさいわね、小娘が。
周りの迷惑を考えなさい。
「河合藍斗、十六歳と淫行で無期限活動休止だって!!」
……………………はい?
「しかも、さっき文秋デジタルが独占でスクープしたばっかり!!事務所もすぐに声明を出したって!」
「ち、ちょっと見せて!」
女子高生のスマホをビーチフラッグの選手よろしく奪い取り、表示された記事を読む。
【河合藍斗、淫行画像が流出!!相手のJKがグループLINEで仲間達に関係を暴露。ハニートラップか!?】
女子高生から奪ったスマホが、だらりと垂れた腕の先に繋がる手の平からするりと滑り落ち、床にカツンと落ちた。
「ちょっとオバサン!人のスマホ何してくれてんの!?画面割れたんだけど!?」
女子高生の言葉は雑音として処理され、内容はまったく頭に入ってこなかった。
私は山手線の車両の中、絶叫に近い雄叫びを上げた。
+
《文秋デジタル×月×号》
河合藍斗(以後河合と表示)は未成年淫行で相手の16歳女子校生と和解したが、無期限休止を余儀なくされた。
女子校生が仲間達に送った河合との淫らな画像とLINEのやり取りのスクリーンショットは、女子校生の|仲間《・・》が文秋に提供してくれた。
【ファンのおばさん達はいいカモになるわww ちょっと甘い言葉を囁いたら、いくらでも投げ銭してくれるんだから。しかも、ファンクラブチャットではみんないい人ぶってるくせに、Twitterでは他のファンの悪口ばっかり言ってるだぜwww俺の公式アカウントを巻き込んでるの気付いてないしwwアホなんって思たww】
SNSに余計な事は書かないに限る。
厳密にはLINEはSNSではないが。
休業宣言が発表された直後に事務所前で奇声をあげていた中年女性は、ファンクラブの投げ銭ランキングで一位になり、河合藍斗本人と会える手筈になっていたようだ。
だが事務所に電話を掛けても一向に繋がらず、河合との対談は叶わなかったらしい。
これまでの話だと、ファンの中年女性は被害者に見えるが、実は加害者でもあった。
『N県スーパー従業員冷凍殺人事件』
連日、ニュースでも大きく報道されていたのをご存知だろうか?
谷町貢子(以下∶谷町被告)は、パート先の同じ部門で働く松木|芳江《よしえ》さんを殺害、冷凍室の発泡スチロールケースに閉じ込めておきながら、平然を装って生活をしていたのだ。
谷町被告と松木さんとの間に何らかのトラブルがあったと見て、動機を調べている。
事件の前月に谷町被告を診察した医師は、「胃が荒れていましたね。揚げ物の食べ過ぎでしょう」と語っている。
《関連記事∶河合藍斗淫行はハニトラ?復帰への道のりは険しいのか》《関連記事∶N県スーパー従業員冷凍殺人事件 主婦に殺意が芽生えた理由は》
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ジュエリーが展示された宝飾店の真ん中に|佇《たたず》んでいる男性が口を開く。
「今回の依頼者は、勤務中に谷町様に『メンチカツって、今から揚げてもらう事できます?』と、声を掛けられた初老の女性です。ご自宅で療養中のご主人が、『揚げたてのメンチカツを食べたい』 と申され、急いで近くにある唯一のスーパーに向かったものの製造を断られてしまい、ご主人の最期の願いが叶わぬまま亡くなってしまわれました。奥様は、谷町様が仕事中にスマホで河合藍斗オフィシャルファンクラブアプリを見ていたのに気付いていらっしゃいました。奥様は谷町様とTwitterで揉めた事も、投げ銭で一位を争った事もありますからね。人間、どこで恨みを買うか分かりません。たまに羽目を外すのは結構ですが、職場では真面目に働いた方が良さそうですね。人間の欲望が費えないかぎり、ジュエリーの制作が追い付く気がしません。それではまた次の機会に……」
店の男性は、右手を左胸の前に添えてお辞儀をすると、くるりと反対方向を向き、奥にある作業部屋に入っていった。
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沙里央さん、第9話読みました…!😭💦 いやもう、最初は「あるある!」って共感して読んでたのに、ラストの展開に衝撃が止まらない!! マジェステの能力が便利すぎて怖い…「見たくないものを見ない」選択がここまで転がるとは思わなかった…。松木さんがゆでたまんになる発想、ツボりました笑。それだけに、最後の冷凍室シーンで心臓止まるかと…。続きが猛烈に気になります!!🙏✨