テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
沙里央
239
柘榴とAI

252
swingout777
1,157
39
辛い、苦しい。
生きてたって無駄だ。
こんな人生、誰かにくれてやる。
そんな時、目の前に不思議な宝飾店が現れるらしい。
「その人にぴったりのジュエリー」を用意してくれるんだって。
+
目覚めると、僕は『さっき』と同じアンティーク調の椅子に座っていた。
さっきまで飲んでいたはずの紅茶のカップは、いつの間にかサイドテーブルの上から無くなっていた。
「お久し振りですね」
店の男性は、僕に手鏡を渡しながらそう言った。
「『お久しぶり』って、まだ全然時間が経ってないじゃないか」
だが僕はすぐに違和感を覚えた。
声がしゃがれていて、自分のものではないような感覚だったからだ。
恐る恐る覗いた鏡の中には、シワだらけの老人の姿が映っていた。
僕の表情に合わせて、寸分の狂いもなく動く鏡の中の老人の姿。
「何だよ、これ。鏡じゃなくて、画像がどこかと連携してるとかじゃないの?」
複数の血管が浮いた手の甲にやっと気が付き、それを翻して、ざらついた頬に触れる。
「流石に冗談だろ……」
僕はついさっきまで、十四歳の中学生だったのだ。
だけど僕はある事に気が付いてニヤリと笑った。
「やっぱりドッキリか何かでしょ?だってお兄さんは全く歳を取ってないじゃないか。紅茶に睡眠薬とかを入れて、僕が眠っている間に特殊メイクとかしたんじゃないの?声が変になったのもやっぱり紅茶に何か入れて……」
僕はカリカリと顔面の皮膚を引っ掻いたが、直に痛みが走った。
まるで本物の皮膚みたいだ。
「それでは一度、外の世界を覗いてみましょうか」
店の男性が外に通じる扉を開けた。
皮膚が痛いのはきっと、協力な糊とかが張り付いているからだ。
外へ出たら、きっとネタバラシされるのだろう。
そう思いながら椅子から立ち上がろうとした途端、よろけて転びそうになった。
「ご無事ですか?」
「……う、うん」
店の男性が即座に助けてくれたのでよかったが、何なのだろうこの身体の違和感は。
体がダルいというか、思うように動いてくれない。
目も霞んでるし、ヤバイ薬を盛られたのかな。
「さあ、参りましょう」
店の男性は涼しげな笑顔を見せながら僕をさりげなく支え、扉の外側に連れ出した。
扉の外には、|陰鬱《いんうつ》とした廊下が広がっている。
そう。ここは廃墟ビルの最上階。
突き当たりにある階段を上りきった所にあるドアを開けると、『さっき』まで僕がいた屋上があった。
「……『七十年前』にあなたと私が出会った場所です」
数メートル先にあるフェンスは、霞んでしまっている目を凝らして見ても、さっきよりも劣化している事が分かった。
男性から離れてゆっくりと歩みを進め、確認してみる。
『さっき』まで僕が両手でしっかりと握りしめていたはずのフェンスは腐敗し、既に『掴める』というような状態ではない。
フェンスの向こう側に広がる景色を見てみる。
さっきまで見ていた風景とはまるで違う。
見た事もないような色や形をした建物。
恐る恐る下を除き込むと、カラフルでおかしな形をした車が沢山走っている。
だけど、まだ信じられない。
「信じていただけないのなら、もう少し外の世界を覗いていただきましょう」
店の男性はさっき屋上へ出たばかりのドアの方向へ、指を揃えた手の平を向けた。
再び店の男性に支えられ、屋上のドアの方へ戻る。
店の男性が、さっき閉めたばかり屋上のドアを開いた。
「え……、なんで……?」
階下へと続く階段があったはずなのに。
ドアを抜けた先には、僕が通っている中学校の正門が、数メートルの道を挟んだ真正面に建っていた。
しかも創立十年にも満たないはずの校舎はかなり古びている。
「ど◯でもドア……?」
「そのアニメは三十年前に最終回を向かえています」
科学的に説明ができない現象を前に、僕は『七十年経った』という店の店の男性の話を信じざるを得なくなった。
「…………ド◯えもんの最終回はどんなだったの!?コ◯ンの黒幕は結局誰だったの!?」
口をパクパクさせてから数秒経ってやっと出た言葉がこれだ。
どれだけ僕の人生は薄っぺらいのだろう。
「残念ながら、時間はございません。七十年前、私は確かに伝えました。『あなたが他の方に人生を貸し、あなたの人生を借りた方が亡くなった後、一時間だけあなたの意識が戻る』と。ですので、私はあなたに残りの僅かな時間で『あなたの七十年間の人生』をお伝えしなければならないのです」
「黒幕の名前くらい五秒で言えるじゃん……」
店の男性は少し困った顔をしながら僕の耳に手を添え、囁いた。
その声を捕らえた僕の瞳孔は、かなり大きくなっていたに違いない。
「……そうだったんだ!!経緯が全く分からないけど!」
「時間がございません。さっそく当店に戻り、『あなたの人生』に何があったかご説明させて頂きます」
再びドアをくぐると、あの不思議な宝飾店が目の前に現れた。
++
地獄のような日々だった。
無視されるのもノートに落書きされるのも当然。
更に文字にするのも躊躇れるような酷いイジメ。
教師は見て見ぬ振りだった。
給食の時は班ごとに机をくっつけるのだが、前や隣との机の感覚が少しでもあいていると、担任が「お前、イジメしてんのか!?」と、ものすごい|剣幕《けんまく》で怒鳴る。
掃除の時間に僕がゴミ箱を持って焼却炉に行く途中で、違うクラスのイジメっ子逹が僕からゴミ箱を奪って手間を取らせる。
それを三階の教室のベランダから見ていた担任は、やっと教室に戻ってきた僕に「お前、違うクラスの奴等と遊んでただろ!!」と再び怒鳴る。
ズレてるんだよ、あんた。
担任だって結局、『あっち側』の人間なんだ。
学生時代もいじめる側だっただろ? |担任《こいつ》に真剣に相談したって解決しないのは分かりきっている。
両親に打ち明ける勇気もなかったし、心配も掛けたくなかった。
身体的な加害の方も苦しかった。
苦しむ僕を見て、イジメっ子達は爆笑する。
そんなイジメっ子達を、僕は|虚《うつ》ろな目で見上げながら考えていた。
『一体何が面白いのだろう』と。
人が苦しんでいる姿がツボにハマる。
そういった感情は僕にはなかったので、到底理解できなかった。
理解できてたまるもんか。
だけどこいつらみたいな人間の方が、人生をうまく渡っていける|術《すべ》に|長《た》けているという事を僕はよく知っていた。
ただ訪れる平日の朝に、毎回絶望しながら登校するしかなかった。
そんな毎日の中で僕は『死にたい』と考える事はなく、『早く歳を取って死に近付きたい』と思っていたのだ。
だけど、考えれば考えれるほど、時間の流れが遅く感じられた。
+
ある日の放課後、僕はいつものように廃墟ビルの屋上にいた。
いつも通りフェンスを軽く握り下を眺める。
走っている車も、歩いている人間も、ちっぽけに見える。
誰にも危害を加えられない、僕の落ち着く場所だった。
今日は、えーっと……第二月曜か。
週末の休みまで、後4回も学校に行かないといけない。
第二金曜日の授業が終わるのが何よりの楽しみだったが、土曜日の夜には『明日で休みが終わってしまう』と名残惜しくなり、日曜にベッドに入る時は気分が最悪になる。
そんな事を気にしないで朝を向かえられたらどんなに幸せだろう。
この先、僕はどうなるのだろうか?
高校に入ってもうまくやっていける自信はない。
大学?就職?
何より人間関係の不安でいっぱいだ。
もしも一瞬で歳を取れたなら、人生を早送りできたなら、どんなに嬉しいだろう。
「その願いを叶えましょうか?」
その声に驚いて振り向くと、僕から数メートル離れた所に背の高い男性が立っていた。
この廃墟ビルに人がいるなんて。
ここは僕の唯一の隠れ家なのに。
「人生を早送りしたいのでしょう?その趣旨とは少し異なりますが、似たような使い道ができる商品が当店にはございますよ」
何故、この男性は言葉にしていない僕の願望を言い当てる事ができたのだろう。
言葉に詰まり沈黙を貫いていると、男性はにこりと笑った。
「当店で紅茶でも飲んでいかれませんか?気分が落ち着きますよ」
「当店って……?」
やっと声を絞り出せた僕を招くように、男性は指を揃えた右手を屋上のドアの方へ向けた。
足が、自分の意思とは別にドアの方へと向かう。
当店って何だよ。
ここは廃墟ビルだし店なんかない。
ビルから出たらどこかに連れていかれるのか?
こいつは『どっち側』の人間だ?
+
店の男性が出してくれた紅茶はとてもいい香りだった。
「おいしい……」
普段は学校の昼食時に配られる牛乳や、自宅の冷蔵庫に入っているジュースや麦茶しか飲まないので、何だか新鮮だった。
廃墟ビルのはずなのに、最上階の一室の扉を男性が開けると、この店があったのだ。
店の男性は目を細めながら僕を眺めていた。
紅茶を飲み干し、カップをソーサーの上に戻しながら周りを見渡す。
へぇ、ここは宝飾店なのか。
僕には縁がない場所だけど。
他に客はいない。
地主が趣味で売れない店をやっているような感じなのかな。
男性はこのビルの所有者なのかもしれない。
勝手に忍び込んでいた事を怒られなくて良かった。
「少し落ち着かれましたか?」
店の男性が話しかけてきた。
「うん。ありがとう。いつもより気分がスッキリしてる」
だけど……。
「『だけど、人生に対する虚しさはなくならない』と言ったところでしょうか。C様」
どうして僕の名前を?
……そしてこの男性は、僕の考えている事が分かるのか?
店の男性の、彫刻のように整った顔立ちをまじまじと見つめる。
まるで美術室の準備室に置いてある石膏像のようだ。
「分かっていただけたのなら、とても話が早いです。早速、当店の商品をお試しになりませんか?」
いつの間にか、店の男性の手には|金色《こんじき》に輝く懐中時計が乗っていた。
「宝飾店なのに懐中時計とかもあるの?」
店の男性が、|目映《まばゆ》く光る懐中時計のチェーンの部分を持つと、時計本体が意思を持っているかのようにゆっくりと回り出す。
「身体に直接身に付ける物だけが宝飾ではありませんよ。懐中時計も立派な宝飾品です。装身具とも言いますね」
「ふーん……、そうなんだ。それでこの懐中時計と僕と、どう関係があるの?」
「この懐中時計は、『人生を貸す懐中時計』なのです」
「へ?人生を貸す?」
全く意味が分からなかった。
「あなたは人生に絶望し、悲観しておられます。不安な状態で過ごされるよりも、『他の誰か』に『自分の人生を歩んでもらう』方が楽だとは思いませんか?」
「あの、もう少し分かりやすく……」
何だ?詐欺か?
三十万の壺を買わされるのか?
「つまり、本来なら亡くなって天に召されてしまうはずの方の魂があなたの体に入り、あなたとしてあなたの代わりに自分の人生を歩むという事です」
頭がおかしいのか?
そうか、僕が子供だからってからかっているんだな。
暇な地主がやりそうな事だ。
「そしたら僕の魂はどうなるの?僕が変わりに死んじゃうって事?」
仕方なく、僕は店の男性の話に乗ってやる振りをした。
「寿命が訪れる日が来るまで魂のまま『休んでいただく』という表現の方が近いでしょうか」
この男性は、きっといろいろと|拗《こじ》らせているのだろう。
「迷われるのも疑われるのも当然です。無理強いは致しません。 じっくりと考えて、やはり当店の商品が必要だと思われた時にまたいらしてください。いつでもお持ちしております」 突然目の前の景色が歪み、目眩がした。
+
気が付くと僕は先程の廃墟ビルの屋上にいた。
歩みを進め、最上階の一室に通じる扉を恐る恐る開けてみる。
店がない。 さっきまであったはずの宝飾店は姿を消していた。
白昼夢だったのか?
いや、口の中には先ほど飲み干したばかりの紅茶の甘みが残っている。
僕はたった今、特別な体験をしたんだ。
もしかしたら、僕は元々は別の世界の住人で、間違えてこんなクソみたいな世界に紛れ込んでしまったのかもしれない。
ただ記憶を書き換えられているだけで、本当は数々の才能に恵まれた選ばれし人間で……。
ぎゅるるるとお腹がなり、外がすっかり暗くなっている事にやっと気が付いた。
取り合えず今日は帰ろう。
+
次の日、やはり重い足取りで行った学校の音楽の授業は最悪だった。
防音設備の整った音楽室。 音楽教師が弾くグランドピアノから数メートル離れた場所に、緩く弧を描くように壇上が作られている。
生徒は二列になって歌ったり、そこに腰掛けて中年の女性音楽教師の話を聞いたりする。
正面から見て、左からソプラノ、アルト、テノール、バスの順番になっている。
僕はテノールなので一列目の真ん中辺りの位置にいた。
音楽の授業は嫌いだ。
いつも二列目にいるクラスメイト逹に何かされるから。
二曲を歌い終え、音楽教師が話を聞いている時、急に走った激痛に短い悲鳴をあげ、即座に振り返った。
ニヤニヤしているクラスメイトの女子が握っていたシャーペンを見て、制服の上から腰の上の部分に思い切り突き立てられたのだと分かった。
「うわ振り向いた、キモ!」
「感じてるんじゃないの?」
笑いながらヒソヒソと話すクラスメイト逹。
「C君!!先生の話聞いてるの!?」
女性の中年音楽教師が僕を睨み付けながらヒステリックに叫ぶ。
クラスメイト全員が僕に注目する。
だけどこのままじゃ気が済まない。
すぐに真実を話そうとした。
「違います!後ろの人達が……」
「言い訳はいいから、じっとしてなさい!あなた、いつも落ち着きがないわよ!」
クスクスと、後ろから聞こえてくる笑い声が煩わしくて、とても耳障りで、今すぐここから逃げ出したかった 。
……もういいよ。
二度と言わないから。
+
その日のHR。
いつも通り担任が連絡事項を機械的に読み上げている。
HRが終わればやっと家に帰れる。
「連絡はここまでだ。それと今日はもう一つ話がある」
普段から険しい担任の顔が更に険しくなる。
「音楽の先生から聞いた。このクラスにキモい奴がいるのはみんな分かってるな?音楽の時間、そいつが後ろの列の奴等にいつも何かをされているらしい。キモいからってイジメは許されないんだ 分かったか!?」
堪えきれずに吹き出すクラスメイトが何人もいた。
……惨めだ。
音楽教師もきっと、僕がいつも何かされているのを知っていたんだ。
でもそれは全部、僕のせいなんだ。 僕が弱くてキモいせい。
だから苛められるんだ。
+
廃墟ビルの屋上のフェンスをいつもより強く握り、下を走る車や歩く人間逹を眺めていた。
やっぱり遠くから見るとちっぽけに見える。
だけどそれはこの瞬間だけ。
進学しても社会に出ても、きっとこの先もずっと、あいつらみたいな奴等と関わっていかないといけないんだ。
そして僕はその中に溶け込む事ができなくて絶望する。
だからといって死ぬとかまだよく分からないし、何より、最後まで苦しい思いをしなければいけないなんて理不尽すぎる。
だけどこのまま生き続ける事にも疲れた。
だったらこんな人生、他人にくれてやるよ。
僕は気持ちが落ち着いてから屋上を後にし、最上階の一室の扉を開けた。
「お待ちしておりました」
店の男性が笑みを浮かべて立っていた。
「僕の人生、貸してもいいよ」
僕は店の男性にそう言った。
「決心を固められたのですね」
宝飾店の中央にある椅子に座る僕に、店の男性は以前とはまた違う同じ香りの紅茶を出してくれた。
やっぱり美味しい。
この前よりも、ゆっくりと紅茶を飲み干した。
何だかまだ半信半疑だ。
このまま、目の前にいる奇妙な男性に殺されてしまうのではないかという妄想の方が、よほど現実的な気がした。
店の男性は、以前見せた懐中時計を僕に手渡した。
「C様が人生を貸すお相手は、本日、不慮の事故で命を落とされた方です。その方の魂とお話致しました。誰かの人生を借りるという事を納得されています」
「どんな人なの?性別は?年齢は?」
「残念ながら今はお答えできません。次に目覚められた時に、全てをお話致します」
臓器移植を受けたドナー患者も、臓器を託した人の遺族も、お互いが分からないようにするのがルールだから、僕の場合も仕方がないのかもしれないな。
まあ、魂を入れ換えるなんて、前例はないのかもしれないけれど。
……もしも本当に代わりに生きてくれるのなら、僕の人生をよろしく。
僕は懐中時計の蓋を開いた。
白地に、黒いローマ数字の文字盤が瞳に飛び込んできた。
「懐中時計の針を見つめて下さい。次第に眠くなってきます」
言われるがままに懐中時計の針を見つめる。
くるくると右に回り始めたかと思うたと、どんどんと針の速度が増していく。
目が回る。
思考が追い付かない。
おぼろげに浮かぶのはさっきの担任の言葉、クラスメイトの嘲笑。
プールに浮かぶ投げ捨てられた僕の海パン、技術室の机の端に付いている万力で折られた数本のシャーペン。
やっぱりもう、人生に未練なんかないや。
僕は重くなってきた瞼をゆっくりと目を閉じた。
「それではまた……。当店の商品は、きっとあなたのお役に立つ事でしょう」
店の男性が不適な笑みを浮かべた事に、僕は気が付かなかった。
++
そうだ、僕はそのまま眠ったんだ。
「あなたにとっては少しだけ眠っていたような感覚でしょうが、たしかに七十年前、この商品を使って別の方にあなたの人生をお貸ししました」
店の男性の手の平には懐中時計が乗っていて、そこからチェーンの部分がだらりと垂れ下がっている。
「そしてあなたの人生を借りた方は、本来のあなたの寿命である八十四歳を向かえられたので、最期の一時間だけは意識をあなたに返すという形で先ほど人生を終了されました」
「僕が人生を貸した人は僕が目覚めたのと同時に死んだって事?」
「そういう事になります。そして今ここにいるのは、あなたの『意識』。あなたは今から約四十五分後に死亡する運命にあります」
僕は店の男性の説明を受け入れていた。
……だけど、本当に一瞬みたいな感覚だったからまったく実感が湧かない。
本当に人生を貸す懐中時計だったんだ。
七十年も経ったんだから、僕の両親ももうこの世にはいないんだろうな。
そして僕が人生を貸した人は、七十年も『僕』として暮らして幸せだったんだろうか。
「その方の人生がどのようなものだったのか、知りたいですか?」
「うん、知りたいな。教えてよ」
僕は即答していた。
+
「あなたが眠りについた後、その日に命を失った方の魂が『あなた』の体に入られました。ご両親は、いきなり過去の記憶が曖昧になり趣味等が全く変わってしまったあなたに初めは違和感を覚えていましたが、それも束の間。成長と共に性格も変化してきたのだろうと徐々に納得されていきました。イジメはなくなり、あなたの周りには友人が増え、充実した毎日を送られていました」
何だか複雑な気分になった。
本来の僕だったら、そんな日々を送れるはずがなかったから。
店の男性は続ける。
「そしてN高校に進学。高校でも上位カーストの地位は揺るがず。そしてK大学の二回生の頃に高校の同窓会が開かれました。そこで現在の奥様と再会され、交際が始まったのです」
N高校からK大学、難関じゃないか。
僕が人生を貸した人は、そんなに頭が良かったのか。
そして僕は、高校の同級生と結婚したのか。
人生を貸すまでは女子に「キモいキモい」と|虐《しいた》げられていた僕に彼女が出来るなんて。
僕が人生を貸した人はきっと、明るくて人とのコミュニケーションも上手かったのだろう。
いいぞ、悪くない。
「K大学卒業後に大手会社に就職され……、おや、顔色が優れませんね」
さっきから気分が悪いんだ。
心なしか呼吸も苦しい。
「もうすぐ亡くなるのですから、体調が悪くなるのは当たり前です」
「……続きを聞かせてほしい」
「かしこまりました。その前にお飲み物をお持ち致します」
部屋を出た男の口角が、上がっていた気がしたが、更に霞んできた目でははっきりと確認する事ができなかった。
再び戻ってきた男は紅茶を、七十年前と同じように僕に渡した。
中身が溢さないように両手を添える。
ああ、やはりおいしい。
最後の晩餐にはチャーハンと唐揚げが食べたいと考えていたけれど、今は想像するだけで胸がムカムカする。
「この先はこちらをご覧ください。私の言葉で説明させていただくよりも、明確でしょう」
店の男性が先ほど僕が目覚めた時に使った手鏡を再び渡してきたので、その中を覗き込んだ。
その瞬間、僕のしわくちゃの顔がぐにゃりと歪み、別の映像が映った。
「あなたと奥様の結婚式の場面です。お二人とも二十六歳の時ですね」
タキシードを着た僕の姿が映し出される。
背も伸び、顔も大人びて、何より垢抜けている。
どうやらここは協会で、牧師の前で『僕』が、バージンロードを歩いてくる新婦を待っている場面らしい。
父親の腕に手を回し、ゆっくりと『僕』に近付いてくる女。
「なんでこの女が……!?」
二十六歳……十四歳から十二年経った姿を見ても『あの女』だとすぐに分かった。
十四歳の僕が大嫌いだったはずの女が、純白のドレスを着てにこやかに笑っている。
父親の腕に回していた手を離し、僕に笑顔を向けている。
「ねえ、本当にこいつが俺の嫁なの?だってこいつは……」
「あなたをイジメていた人物の一人ですね」
やはり間違いないようだ。
『キモッ!こっち見んなよオタク!』
『学校来ないでよ。空気が汚れるから』
『あんたみたいな奴、生きてる価値ないし』
あの女の、僕に対する罵詈雑言が走馬灯のようによみがえる。
もうすぐ死ぬのだから走馬灯という言葉も、あながち間違っていないはずだが。
「奥様は、雰囲気がガラリと変わったあなたに惹かれたようです。あなたは元々の顔立ちは悪くはないので、流行を取り入れた髪型やファッションを意識すれば、それなりに異性にモテたのです。性格も別人になっていますしね。そして、『あなたが人生を貸した相手』も奥様に好意を抱きます」
なんて見る目がないんだ!
顔だけ良くて、腹は真っ黒の女。
『僕』が人生を貸さずに生きていたら、絶対に関わりたくなたい人間なのに。
はっきり言って汚点だ。
「何でよりによってこいつなんだよ……」
興奮したせいか、ゴホゴホと深く咳き込む。
呼吸がかなり苦しくなってきた。
「あと五分といったところでしょうか。時間がないので、C様の人生を貸したお相手の一生分の記憶を一気に流してしまいましょう」
鏡の中で、先程の結婚式の場面から僕の人生が早送りでどんどん流れていく。
あの女の二度の出産、『僕』は一男一女の父親になり、外資系の仕事をこなしてどんどん出世していた。
夫婦仲も良く、子供達はすくすくと大きくなり、やがて独立。
途中までは順風満帆な人生に見えていた…………、はずなのに。
息も絶え絶えになってきた。
立ち上がろうとして椅子から転げ落ちた僕を見下げながら、店の男性が満足気な笑みを浮かべていた。
「どういう事だよ……!」
僕は店の男性の足首を掴んだ。
+
僕の両親は老いも手伝って徐々に弱っていき、『僕』達と同居するようになったらしい。
体を壊し、寝たきりになった父親と、認知症を発症した母親。
その二人を甲斐甲斐しく介護する妻と、気遣う子供達。
だが実際は違った。
豪邸の一室に閉じ込め、ほとんど食事も与えず放置し、粗相をする度に罵声を浴びせていた。
それを『僕』は黙認していた。
外に連れ出す時だけ家政婦に綺麗に体を洗わせて、綺麗な洋服を着せて、車椅子に座らせて。
「お嫁さん、大変ね。頑張ってるわね」と、何も知らない人達は口を揃えてそう言う。
「いえ。主人と出逢えたのも義両親のおかげですし、妻としての務めですから」
笑顔を浮かべながら謙虚に応える妻。
『僕』の子供達も外面だけは良かったが、僕の両親に暴力を振るっていた。
ベッドで身動きの取れない状態の父親と、母親。
たまに様子を見に来ては力任せに暴力を振るう『僕』を見上げながら、父は「どうして……どうして……」と、繰り返し呟いていた。
母は一時的に認知症が緩和された時に「あなたは本当にCなの……?」と、『僕に問い掛けていた。』 そして、両親を最期に手を掛けたのは…………。
+
「……お……前、ず……っと見……てた……んだ……ろ……?……な……のに………何であんな酷い事を許し……て……きた……ん゙だ……」
もう、声を発する事すら難しくなってきた。
「人生を他人に貸す事に同意したのは、紛れもなくあなたです。まだまだ幼い貴方の思考では、貸したお相手が悪行を働く可能性には気づけなかったようですね。逆恨みもいいところです」
店の男性は、自身の足首にある僕の手を軽く蹴り払った。
「ふざけるなよ……、ふざけるな!!」
ありったけの怒りを込めて叫ぶと、それ以上声が出せなくなった。
「怒れるじゃありませんかイジメられている時は一度も怒った事がなかったのに」
……ふざけるな。
言葉が出なくなった代わりに、瞳から大粒の涙が溢れてきた。
僕が他人に人生を貸したりしたせいで、お父さんとお母さんが……。
二人の最期は、言葉で表せないくらい残酷なものだった。
僕が僕のまま生きていたら、彼女はできなかったかもしれない。
いい学校にも行けなかったかもしれないし、いい職にも就けなかったかもしれない。
だけど、大切に育ててくれた両親に優しくする事だけはできたかもしれない。
「『他人に何かを貸す』というのは、信頼関係が必要です。信頼していても裏切られる事も十分にあり得るのに、顔も素性も知らない人間に人生を貸す事自体が愚かな考えなのです 」
じゃあどうして、あんな|商品《懐中時計》を僕に使わせたんだよ。
「これが私の趣味なのです。愚かな人間の浅はかな行動がどういう方向に向かうのか、この目で確かめたいのです」
この男も、|あっち側《・・・・》の人間だったんだ。
赤ん坊のような体勢で転がったままの僕からは、店の男性の革靴だけ滲んで見える。
「最期に朗報です。あなたが体を貸した人物は、あなたをイジめていた主犯のクラスメイト。バイク事故で命を落とし、魂としてさ迷っておられる時にお声掛けさせていただきました」
……僕が人生を貸していたのは、世界で一番憎んでいたあいつだったのか?
二度目にあの宝飾店に訪れた時、あいつは事故ですでに死んでいたのか?
そして、僕として人生を歩む事にした?
……ははっ、そんなのって有りかよ……。
でも、全ては僕が決めた事。
後悔してももう遅いんだ。
「そろそろ『身体』に『意識』を戻した方がよさそうですね」
嫌だ。このまま死ぬのは嫌だ。
「決めたのはあなた自身です」
嫌だ!
ふっと体が軽くなり、次の瞬間、目の前に移ったのは灰色の天井だった。
「××番、時間だ」
看守に番号を呼ばれ、手錠と腰縄を浸けられた僕は、一連の手順を踏んで執行室に連行された。
両親を残虐な方法で殺害した『僕』には死刑が言い渡された。
今日は執行の日らしい。
部屋の中央の踏み板に付けられた印の上に立つと、首にロープが掛けられた。
ごめんなさい。ごめんなさい。
僕のせいで。
お父さん、お母さん、ごめんなさい。
勝手だけど、生まれ変わったらまた二人の子供に生まれてきたいな。
二人とも、本当にごめんなさい……。
執行官がボタンを押し、僕の足元の踏み板が外れた。
++
「ここまでがシミュレーションになります」
その声を聞き、ゆっくりと目を開く。
薄暗い空間に目が慣れない。
どこがに寝かされているようだ。
「いかがでしたか?|人生を貸す懐中時計《当店の商品》は」
シミュレーション?
「ええ。今までの体験は全てシミュレーションでございます」
ここはどこ?
「私の工房の奥にある一室です。具合が悪くなられたようなので、こちらにお運び致しました」
「……僕は、生きてるの?」
やっと声が出た
「ええ。生きておられますよ」
ベッドからゆっくりと身体を起こすと、数メートル向こう側に宝飾店の灯りが見えた。
次の瞬間、僕は再びアンティーク調の椅子に腰掛けていた。
「お疲れになったでしょう」
そう言いながらカップに紅茶を注ぐ店の男性。 僕の右手には先程の手鏡が握られていた。
恐る恐る、鏡の中を確認する。
僕だ。14歳の僕の姿だ!
「ほっとしましたか?」
店の男性の声に、僕は「心底ほっとした」と答えた
「様々な壁にぶつかりながらも、悩み、試行錯誤を繰り返しながら人生を歩んでいけるのは、|自分《・・》だけなのです。他人が決めるなんてもってのほか。分かったでしょう? ここはあなたの来るべき場所ではありません」
「そうだね。……ありがとう。僕、もう行かなきゃ!」
僕は急いで紅茶を飲み干すと、「ごちそうさま!」と言って椅子から立ち上がり、扉の方へ向かった。
扉の向こう側は廃墟ビルを囲むブロック塀の外だった。
最上階を見上げるが、あの店の輝きはどこにも見つけられない。
廃墟ビルを後にし、僕は家路へと急いだ。
++
あれから20年近くが経ち、あの廃墟ビルは取り壊された。
ビルがなくなったという事は、僕があの時に見た『70年後の風景』は、やはり|幻覚《シミュレーション》だったのだ。
+
宝飾店を最期に訪れた次の日、僕をイジめていた主犯のクラスメイトも普通に通学してきて、いつものように僕をイジめた。
いつもと違ったのは、僕が一度だけ反撃した事だ。
目一杯の力を込めて挑んだはずの|渾身《こんしん》の右フックは見事にかわされ、取り巻き数人にボコボコにされた。
一人では解決できないと思い、両親に相談した。
学校側は『イジメはない』と主張したので、自宅から通える別の中学に転校する事になった。
転校してからも少しいじられる事はあったが、前の中学ほどの酷いイジメはなく、無事に卒業できた。
高校では友人もできた。
卒業前に別れてしまったが、大学では数ヶ月間だけ彼女ができた。
今は中小企業に就職し、サラリーマンとして日々を送っている。
実は、今の職場で三社目だ。
生きていたら、誰しも苦手なタイプの人間と|出会《でくわ》す。
だけど日々を重ねていくにつれ、嫌な人間ばかりではないという事も知った。
あの頃は、教室という狭い枠の中と、自宅だけが全てだと思い込んでいただけだった。
両親も健在で、独り暮らしを始めてからも三人でたまに食事に行ったりもする。
今でもあの時、イジメの事を相談してよかったと心から思える。
あの頃の僕は、今でいう中二病だった。
僕は特別な人間などではなかったらしく、今も特別な才能はこれと行って見当たらない。
だけど週末は、大学時代に始めた趣味を楽しみながら穏やかに過ごしている。
今後またあの店が目の前に現れたとしても、僕はもう誰かに人生を貸そうだなんて思わない。
これからもずっと、自分の人生を自分の足で歩んで行きたいから。
コメント
1件
## 美月ゆめかの感想だよっ🌸 うわあ…めっちゃ深いお話だった…!!😭💕 「人生を貸す」って言葉の重みが、シミュレーションだったラストで更にグッときた…! 主人公が最後に「自分の人生を自分の足で歩む」って決意するところ、本当に良かった…✨ 沙里央さんの描く世界観、引き込まれる…!続きもめっちゃ気になるよ⋆♡