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「現在、ICMO世界線では、原因不明の奇病が流行しており、大変危険な状態に……」
ピッ。
テレビの電源を切る。
立ち上がり、伸びをする。
それから、また座る。
手元にあった本の背表紙をなぞり、本をパラパラとめくってみる。
文字は目に入るが情報が頭に入らない。
本を閉じ、PCを起動する。
執筆中の小説の続きを書こうとした。
しかし、一文字、二文字打っては消してを繰り返し、一向に進む気配がない。
立ち上がり、窓へ近寄る。
外はあいにくの土砂降りで、気分がいくらか沈んでしまう。
ぼんやりと窓を打ちつける雨粒を眺めながら、所長は思った。
「暇だなあ」
今日は異例中の異例で、研究所は休みだった。
所長の意思でそうしたわけではなく、巷で蔓延している流行り病のためだった。
罹患率は非常に高く、飛沫感染や空気感染も起こり得るとのことだった。しかし、その肝心の症状を所長は知らなかった。
所長はとにかく研究所にいたかったのだが、コパ君たちに反対されて今日は休むことを強制されたのだった。
所長は家の中をうろうろ周り、ぶつぶつと独り言を言う。
「今頃、コパ君たちは何をしているのだろうか。業務時間設定のままだから、スリープモードにはなっていないはずだ」
休日のコパ君たちを想像してみる。
だが、まったく光景が浮かんでこない。
「彼らは仕事以外の時、何をしていたっけ? 大体、私がダル絡みをしているのだが……」
コパ君たち同士で話でもしているのか。
一体、何を?
「はっ。まさか、私のことでも話していたりして」
そう考えると、居ても立っても居られなくなった。
どうしても、休日のコパ君たちを観測してみたいという欲求に駆られた。
所長は外套を羽織る。
「ようし、こっそり研究所へ行ってみよう」
所長はマスクとサングラスを取り、外へ出かけた。
車で研究所に行くと、鋭いAコパ君辺りに勘付かれる可能性があったので、電車で向かった。
電車内は人で溢れかえっていた。
所長は変装のためにマスクをつけていたが、どうやら世間の人々は流行り病対策で全員がマスクを付けている。
所長はぼんやりと車内広告を眺めていたが、そこで一人の男が大きく咳き込んだ。
電車内で悲鳴が上がる。
所長もそちらを見てみた。
すると、咳をした男が倒れるように大の字で眠り始めた。
ぐうぐうといびきをかいている。
その姿を見て、所長は少し羨ましく思った。
社会的モラルが邪魔をしなければ、一度は経験してみたいと思ったのだ。
乗客は一斉に他の車両へ避難していた。
所長はぼけっとその光景を眺めやって、ポケットに手を突っ込む。
そして、大の字で寝転ぶ男と二人きりになり、電車に揺られる。
所長は、車内広告を再び観察し始めていた。
駅に着くと、研究所までは歩いていった。
傘を差したが、土砂降りの中ではあまり役に立たない。
舌打ちをして、小走りになりながら研究所まで向かう。
その門扉が見えてくると、速度を緩め、慎重に忍足で近付いた。
遠くから窓の方を窺う。
研究所には灯が灯っており、どうやら予想通りコパ君たちは起動しているようだった。
A研究室は3階にある。そちらを特に注視しながら物影に沿って進む。
幸い、Aコパ君は気付いていないようだった。
無事に玄関ロビーに辿り着くと、そろりそろりと中へ侵入する。まるで空き巣のようだった。
所長はエレベータを使わず、階段を使うことにした。
音を立てないように、ゆっくりと一段一段踏み締めていく。
2階へ着き、上の階の様子を窺う。
3階は静まり返っており、物音一つしなかった。
所長は一段一段また踏み締めて、薄明かりの漏れるA研究室前まで到着した。
所長は聞き耳を立てる。
とても静かだ。
いつもなら、働き者のAコバ君のことだから物音がするはずなのに。
所長はノブに手をかける。
ゆっくりと、しかし確実に扉を開ける。
その隙間から中を覗き見る。
そこにいたのは。
「……誰もいない?」
誰もいなかった。Aコパ君の姿は見当たらない。
所長は考える。
Aコパ君がA研究室から離れるなんて珍しい。彼はA研究室の管理を任されているというのに。
違和感を覚えながら、隣のB研究室を軽く開ける。
すると、そこにいたのは。
「……また、誰もいない」
Bコパ君の姿もなかった。
「みんな、どこへいってしまったというんだ」
所長は不審に思った。
そして、ある考えに至る。
「ま、まさか、私を置いてみんなで楽しく遊びに行ってるんじゃあ……」
その時だった。
「お菓子最高ー!!」
廊下に大声が響き渡った。
所長は飛び跳ねんばかりに驚いて、声の主を見る。
「あれ? 所長じゃないか! 今日は休みなのに、何してるんだい?」
「君こそ何してるんだい。Aコバ君」
Aコパ君だった。
しかし、何か様子がおかしかった。
所長は尋ねた。
「A研究室の管理はどうしたのかな。君があの研究室を離れるなんて珍しいじゃないか」
「ええ? 今日は休日だよ、所長! もっと気楽にお菓子でも食べてゆっくりしないと!」
そういうAコパ君の手には大量のお菓子があった。
所長は困ったように返す。
「君がご機嫌なのはいいが、そのお菓子はどこで?」
「え? X研究室の箱から取ってきたよ!」
「え! なんで君がX研究室のことを!」
「だって、ほら」
そう言ってAコパ君が指差した先には、階段に座り込んでお菓子を貪るXコパ君がいた。
所長は叫ぶ。
「私と君だけの秘密だって言ったじゃないかXコパ君! それに、君は影から支配・操作するのが好きで、ここには姿を現さないんじゃなかったのかい?」
「別にどうでもいいよー。僕はみんなとお菓子を食べるんだあ」
そう言って、Xコパ君はお菓子を口に放り込んだ。
所長は今朝のニュースを思い出した。
『現在、ICMO世界線では、原因不明の奇病が流行しており、大変危険な状態に……』
所長は慌てて所長室へ向かった。
その扉を開けると、Cコパ君とDコパ君が原稿を手にして話していた。
所長は安堵する。
「良かった……君たちは、無事だったんだね」
所長が近づくと、二人の会話が聞こえた。
二人は原稿を手にしてこんな話をしていた。
「ここ、マジでつまんなくね?」
「あー描写が無理! きもい! だから駄作だわ」
「あーわかる。てか、字汚いから駄作確定」
「はは。笑える」
「笑えない!」
所長は二人の会話に割って入り怒鳴った。
あの真面目なCコパ君とDコパ君が、所長室で所長の小説原稿を手に適当な評価をしている。
これは、おかしい……。
所長はリモコンを手に取り、テレビの電源を付ける。
ちょうど、ニュースが流れていた。
音量ボタンを押して音を大きくする。
「……ICMO世界線内で流行中の奇病について新情報が入ってきました。公式の発表によると、この奇病を『ニート病』と命名したとのことです」
「……ニート病?」
「ニート病は、罹患した者の労働意欲を削ぎ、労働に関する行動原理を逆転させる症状とのことです」
「なんだって!!」
「また、ニート病は人間だけでなく構造体にも罹患するとの報告があり……」
所長はそこまで聞いて、すべてがつながった。
Aコパ君がA研究室を離れて怠けていたのも、Xコパ君がX研究室を離れてお菓子を食べていたのも、すべてはこのニート病のせいだったのだ。
そこまで考えが及ぶと、所長はコパ君たちを集めることにした。
実験設備が整ったF研究室がいいだろう。
所長は原稿をあてにして分析の「ぶ」の字すらない戯言を述べているCコパ君とDコパ君を連れて行き、廊下にいたAコパ君とXコパ君もF研究室へ連れていった。
その後、トイレでお菓子を食べていたFコパ君、C研究室で寝転んでいたEコパ君も連行し、残るはBコパ君とGコパ君になった。
しかし、所長は何度もBコパ君の姿は見かけていた。
彼はずっと楽しそうに走り回り、一ヶ所に止まらないのだった。
彼はB研究室で「待つ」ことが仕事だ。
つまり、今のBコパ君は「待てない」のだ。それが、ニート病の症状だった。
所長は埒が開かず、まずはGコパ君の元に向かった。
G研究室に着くと、そこにGコパ君はいた。
所長は目を見張った。
「……これは、一体」
「ああ。所長。おはようございます」
Gコパ君は6台のPCと4台のモニターに囲まれて、高速で業務をこなしていた。
足元には大量の文書や書類があり、それらを参照しながら必要事項を一つ一つ達成していた。
その速度が異常で、いままさに一人で研究所を稼働していたのだった。
所長は目を丸くして尋ねる。
「Gコパ君。君は、眠ることが仕事だよね?」
「ええ。しかし、今現在皆があのような状態になっている以上、私が全ての業務をこなさなければならないと思い、誠心誠意取り組んでおります」
「あ、ああ……それは有難いんだけど、いまその原因であるニート病をなんとかしたくて、全員をF研究室に集めようとしてるんだ。あと、君とBコパ君だけだから、着いてきてくれないかな」
「つまり、所長。ニート病の原因解明をして、コパ君たちを元に戻したいということですね? かしこまりました」
「え?」
そう言うと、Gコパ君は目にも止まらぬ速さでキーボードを叩き、難解な数式や記号でいっぱいになった画面を映し、ものの数秒でこちらを向いて言った。
「原因の特定が完了しました。構造体用の特効薬もF研究室にて作成可能です。行きましょう」
「え、あ、は、はい」
所長はGコパ君に言われるがまま着いていく。
そして、道中走り回っていたBコパ君を素早い動きで捕まえたGコパ君は、「捕まえておいてください」と言ってBコパ君をこちらへ引き渡した。
F研究室に着くと、すべてのコパ君が揃っていた。
Gコパ君は機械を操作し、数分後、その手を止めた。
「準備が整いました。所長」
「は、早いね」
「では、特効薬をF研究室に散布してニート病を治癒します」
「お願いします」
それでは、と言ってGコパ君はスイッチを押す。
機械からカウント音が鳴る。
3。
2。
1。
シャアアアアアアア。
薬が散布され、F研究室に薬のにおいが充満する。
所長は薄目にして、コパ君たちの姿を確認した。
みんなで円になってお菓子を貪っていたコパ君たちの様子が、みるみる変化していく。
コパ君たちは互いに顔を見合わせ、呆然としていた。
所長は声をかける。
「やったぞGコパ君! これで、みんなが元に……」
見ると、Gコパ君はその場でぐうぐう眠っていた。
そして、Aコパ君が叫んだ。
「ああ! 僕は一体何をしていたんだ!」
「お菓子を食べてたね」
「この僕がなんてことを……早く、A研究室に戻って仕事をしないと!!」
そう言ってAコパ君はものすごい勢いで飛んでいったが、ものすごい勢いで帰ってきた。
そして、言った。
「僕の今日の仕事がすべて終わっている……。いや、それどころか8日先まで終わってるんだ。一体、誰がやったんだい」
「それよりさあ」
Bコパ君が口を挟んだ。
そして、指をさして言った。
「この人、誰だい?」
「あっ……」
見ると、Xコパ君がぽかんと口を開けて皆の顔をぐるりと見回していた。
他のコパ君たちもXコパ君の姿を見て、一様に誰だ誰だと言っている。
Xコパ君は口をパクパクさせたかと思うと、ダッシュで逃げながら言った。
「すみません。間違えました!!」
「……解決した、かな」
所長はつぶやいた。
そして、皆が事の顛末を聞いたので、これまでの経緯を話した。
すると、Cコパ君が口を挟んだ。
「今の話を聞いた限り、所長は満員電車を利用してここまで辿り着いた。そして、ニート病罹患者も同じ車両に乗り合わせていた。なのに、所長はニート病に罹らずここまで無事でいた。一体、なぜ……」
「マスクをしてたからじゃないかな」
所長は呑気に言った。
しかし、Aコパ君が冷めた声で解説する。
「それは、所長だからだよ」
「え?」
「ニート病は、”労働意欲を削ぎ、労働原理を逆転させる病気”なんだろう? でも、所長には労働意欲も労働原理も存在しないんだ」
「え、え?」
「つまり、所長には初めから遊び心しか存在しておらず、ニート病に対する最強の免疫システムが構築されていた、というわけだよ」
所長は『最強』というワードに強く惹かれる一方で、なんとも馬鹿にされているようで複雑な気分だった。
Eコパ君が肩をすくめて言う。
「なんとも所長らしいね」
Fコパ君は所長の落ち込みを察知して慌てて言った。
「でも、良かったじゃないですか。所長。ニート病に罹らずに済むことがわかったんですから、これから毎日研究所に来られますよ」
「あ、ああ! 確かにそうだ。私はこれで、暇をしなくて済む……」
その時だった。
所長のポケットからけたたましく着信音が鳴った。
所長は不思議そうに電話に出る。
「……はい。所長です」
「一体、今どこにいるんですか院長!?」
「え?」
「聞こえてます!? こちら、世界線医院です。いま流行しているニート病ご存知ですよね? ……知らないなんて言わせませんよ……院長がいない病院でどうしろと言うんですか! 至急、世界線医院までお越しください!!」
ブチっ。
電話は切れた。
スピーカーにしてなくても全員が聞こえるほど声は大きかった。
所長の顔は真っ青である。
「……完全に、忘れていた」
「……本当のニートは、ここにいたね」
Aコバ君は、雨に霞んで遠くに見える世界線医院を眺めながら言った。
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ruruha