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「これ?」
彼はわたしのデスクに行くと、開いたままにしていたエクセルデータを見つめた。
「はい…。ええと…いちから数字を入力しているんですけど、どうしても時間がかかっちゃって。元の資料はデータであるからそれを利用すればいいんですけど…うまく活用できなくて…」
「ふぅん。初級以下過ぎて、驚き」
辛辣なお言葉がまたも、グサ。
「キミさ、もう少しエクセルの勉強した方がいいよ。有り得ない」
「わ、わかってます…。だから練習も兼ねて残業がんばってたんです」
「ま、見た感じ新卒だろうから、そう簡単に使いこなせないのもしょうがないだろうけどさ。こういう時はさ、こうすればいいよ」
と言いながら、彼はキーボードに手をかけた。
しゃくだけど、どうやってやるのか見て覚えなきゃ。昨日はほとんど寝惚けてたし…って、
計算式、手入力…!?
彼はキーボードの上で長い指を素早く動かすと、次々とセルに英数字を入力していった。
普段使わない計算式を組み合わせて、応用に応用をきかせているみたいだ。ど素人のわたしには、もう暗号文みたいにしか見えない…。
「あとは、ここにこうして…はい、終わり」
「え、もう??」
「次にデータを入力する時は、ここにこれを入力するだけで全部出来上がるようになってるから…もうこんな単純な資料に時間とられなくてすむよ」
「すごーい!」
「ってことで、残業終わり」
「すごいすごーい!」
もう、大感激の一言。
ムッとしていたのも忘れて、ぴょんぴょん飛び跳ねて喜んでしまった。
「…そんなに感動することでもないけど…」
「そんなことないですよ!すっごいです!!」
この膨大な資料をどう処理していいのかお手上げだったのに…また披露されちゃった!魔法!
尊敬の念を込めて熱いまなざしを向けると、きれいな顔はツンとした表情から一瞬驚いたような表情に変わった。
けど、すぐに余裕のある微笑を浮かべた。
「じゃ、これでキミは晴れて自由の身?」
「はい、おかげさまで」
「そう。じゃあ……えっと、そういえばまだ名前聞いてなかったな」
「あ!三森です。総務部に今年から配属されました、三森亜海です」
「そう。亜海ちゃんね」
い、いきなり名前呼びですか…。
セクハラ、なんだろうけど、この人になら照れしか感じない。
「俺は遊佐(ゆさ)」
「遊佐…さん…」
あれ、どっかで聞いたことあるな…。
「あの…部署はどちらで」
「それは内緒」
「え?」
「でも一応課長さんやってるから『遊佐課長』でいいよ☆」
いいよ☆って…。
それにしても…「遊佐」って名前、どこかで聞いたことあるんだよなぁ。思い出せそうで思い出せない。どこかの部署の人だったかなぁ。
でも課長職でそんな名前の人はいなかったはずだし…。
「ね、亜海ちゃん」
「…あっ、はいっ!」
突然、きれいな顔にのぞきこまれて、飛び上がった。
「これから予定はある?」
「え?いえ、まっすぐ帰るだけですけど」
「そう。お腹空いてるんじゃない?よかったら、これから付き合わない?」
「付き合う?」
「そ。実は俺、軽く夕食でもとろうと思って出かけるところだったんだ」
「まぁ、そうだったんですか」
なら時間をとらせて悪いことをしてしまった…。
そう言えば、小腹すいてたんだ。
騒いだせいで、かなり減ってきたなぁ…。
「行きつけの店が近くにあるんだけど、よかったらい」
「それなら、おにぎり食べませんか?」
「え?」
「わたし今日お夜食持って来てたんです。実はいつ残業になってもいいように、最近はちょっとした軽食を持ってくるようにしていて…情けない話ですけど……って、あれ?」
課長、笑ってる?
吹き出しそうなのをこらえるように、肩を震わせている。
「ど、どうしたんですか?」
「魔法、妖精ときて次はこれかぁ。キミって天然って言われない?」
「て、天然…!?…ボケ子っては、先輩によく怒られますけど…」
ああ!もっと笑いだした!
しかも涙まで浮かべて!
「わ、わたし、そんな変なこと言いました!?」
「うん。…まぁじゃあいいよ。お言葉に甘えて今日はおにぎりをいただこうかな。キミの手作り?」
「はい。家に帰ったら夕飯はこれにしてスープでも作って終わりにしようかと思ってたんですけど…夜も遅いしおにぎり二個はちょっと多いなって思ってたんです。ちょうどよかったぁ。ありがとうございます」
「はぁ、まぁ…こちらこそどうも…ぷぷ」
来客用のソファに座って待っててもらうと、わたしは給湯室の冷蔵庫に入れていたおにぎりをレンジで温めて、お茶と一緒に出した。
「お待たせしました。おかかとしそ味噌どっちがいいですか」
ほんのりと湯気がたっているおにぎりを見つめたまま、課長は黙りこんでいた。
はっ!
しまった。おかかとしそ味噌なんて…どちらも渋好み過ぎるじゃないっ。
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