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アルファルドの放った言葉に、レグルスが不快そうに眉をひそめた。
「なんだ? お前のものだとでも言う気か?」
「もちろん、私のものでもない。エステルはエステルのものだ。彼女の心も自由も、誰にも奪う権利などない」
レグルスが苛立ったように声を荒らげた。
「なら、エステルを抱くその手を離せ! エステルはお前に騙されたんだ! 彼女は僕のことを愛していたのに!」
レグルスの怒鳴り声に、エステルはびくりと肩を揺らした。
こんなにも感情的になった彼の姿は見たことがなかった。
(……私が、はっきり気持ちを伝えなかったのがよくなかったのかもしれないわ)
とにかくレグルスから逃げたくて、何も言わずに姿を消してしまった。
そのせいで彼の心を乱してしまったのかもしれない。
「……アルファルド様、降ろしていただけますか?」
アルファルドの顔を見上げ、エステルが声をかける。
「しかし……」
「もう大丈夫です。レグルス様にわたしの気持ちをお伝えしたくて」
その言葉をどう思ったのか、レグルスが表情を和らげてエステルに微笑みかけた。
「ああ、エステル。やっぱり君は僕のものだよね?」
「……レグルス様、たしかに以前のわたしはレグルス様に惹かれていました。ですが、レグルス様の想いが次第に恐ろしく感じるようになったのです。あの日、ナイフでわたしの髪を切り落としたとき、あなたと一緒にはいられないと思いました。だから逃げたのです。何も言わずにいなくなってしまったことは申し訳なく思っています」
エステルの語る真実に、レグルスの顔から笑みが消えていく。
「嘘だ……そんなはずない……」
「聖女の力のせいで居場所を知られないよう、力を封じてもらうためにアルファルド様を頼りました。そこでアルファルド様と、もう一人、愛らしい男の子と一緒に暮らすことになりました。三人で暮らす毎日は、本当に心穏やかで楽しい日々で……いつしか二人はわたしにとってかけがえのない存在になっていました。わたしはアルファルド様に騙されてなんかいません。自分の意思で一緒にいたのです。どうかもう、わたしのことはお忘れください」
真っ直ぐな眼差しを向け、勇気を振り絞って気持ちを伝えたエステルを、レグルスが呆然と見つめる。
そのまま無言の時間がしばらく続いたあと、部屋の中に乾いた笑いが響いた。
「はっ……ハハハッ!」
レグルスが片手で顔面を押さえ、気が触れたように笑い続ける。
「レグルス、様……?」
困惑するエステルをレグルスの片目が射抜く。
「分かったよ、エステル。よく分かった」
「分かっていただけたのですか……?」
「ああ、すべてを手に入れることはできないときもあるよね。残念だけど諦めるよ」
「レグルス様……」
どうやら、本当に分かってくれたようだ。
これでもう、エステルにロザリー姫の幻想を見ることもやめてくれるだろう。
エステルがほっと安堵の溜め息をつく。
「そうだ、さっき君から外したネックレスを返そう。こっちへ来てくれる?」
「あ、はい……!」
ミラとアルファルドがくれた大切なネックレス。
もう取り戻すことはできないと思っていたから、返してもらえると聞いたエステルは喜んで受け取りに行った。
それがレグルスの嘘とも気づかずに。
「待て、エステル!」
「えっ?」
アルファルドを振り返ろうとした瞬間、エステルの腕がレグルスに掴まれる。
「レグルス様……!」
レグルスがエステルを勢いよく抱き寄せ、赤い魔石を押しつけた。
「エステル、君は酷いお姫様だね。本当は君の心も手に入れたかったけど、無理なら仕方がない」
「レグルス様、やめ……うっ……!」
明らかに様子のおかしいレグルスから逃れようとした瞬間、エステルの足に痛みが走った。
どうやら抱き寄せられたときに捻ったらしい。
痛みに顔を歪めるエステルの耳元で、レグルスが囁いた。
「──僕は抜け殻になった君だって愛せるよ」
エステルを胸に抱いたまま、レグルスが呪文を唱える。
「聖石よ、この者の心をその身に封じよ」
たちまち魔石から赤黒いオーラが立ちのぼり、エステルの体を包みこんだ。
「アルファルド様……」
体から力が抜け、意識が失われていく。
そのとき、アルファルドの声が響いた。
「石よ、聖女の力を解き放て!」
アルファルドが掲げた若葉色の石から、眩い光が広がる。
真っ白な光がエステルを取り巻く赤黒いオーラを打ち払う。
行き場を失ったオーラは、エステルのすぐそばにいたレグルスへと向かった。
レグルスの全身が赤黒いオーラに包まれ、その身から複雑な色を宿した何かが奪われていく。
「違う、僕じゃない! やめろ……!」
レグルスは抵抗するように踠いたが、何かが魔石に完全に取り込まれると、糸が切れたようにその場に倒れ込んだ。
「エステル!」
よろけたエステルをアルファルドが抱き止める。
「大丈夫か、エステル!?」
「はい、大丈夫です……今の光は一体……?」
アルファルドに支えられながら、エステルが問う。
「あれは、魔石に封じていた君の聖女の力だ」
「そんな……わたしの力があれほど強いはずは……」
植物を早く成長させるくらいしかできなかったエステルの力が、王家の魔石の強力なオーラを跳ね返せるわけがない。
しかし、アルファルドはエステルを見つめて優しく微笑んだ。
「いや、あれは間違いなくエステルの聖女の力だ。君は本来、とても強い力を持っていたんだろう。あの邪悪な力に対抗できるほどの。私も今日、君が落とした魔石のペンダントを拾ったとき、それに気づいた」
「なんだか信じられません……」
「では、その足の怪我に聖女の力を使ってみるといい。その傷も捻挫もきっと一瞬で治るはずだ」
「まさか……」
治癒はたしかに聖女であればできるはずの行為だが、完全に治すまでにはそこそこの時間がかかる。一瞬で治癒するなどあり得ない。
けれど、アルファルドから「私を信じて」と言われ、エステルは自信はないながらも試してみることにした。
恐る恐る足首に触れ、聖女の力を込めると……。
「嘘……! 治った……!?」
足首の傷はあっという間に跡形もなく消え去り、捻挫の痛みも引いていた。
「どうして急にこんな力が……」
「それは分からないが、私も欠けていた心が戻ってから、さらに魔力が強まった気がする。聖女の力にも心の在り方が深く関わっているのかもしれない」
アルファルドの推察を聞いて、エステルは腑に落ちたような気がした。
あの森の隠れ家での暮らしで、エステルの心は溢れるくらいに満たされていた。
そのおかげで、今まで抑えられていた力が発揮できるようになったのかもしれない。
「アルファルド様、本当にありがとうございます」
こちらに向けられた紫色の瞳を見つめて、エステルが感謝を伝える。
「助けに来てくださったことも、森での暮らしも、何もかも。アルファルド様とミラのおかげで、わたしは初めて自分の人生を心から楽しいと思えるようになりました」
「エステル……」
「わたし、アルファルド様のそばでは自分らしくいられると気づいたんです。だから、もうミラのお世話係はできませんが、これからも──」
ふいに、エステルの唇がアルファルドの人差し指で塞がれた。
途切れた言葉の代わりに、アルファルドが続ける。
「エステル。私たちの関係は、君の依頼から始まったものだったが、今度は私からお願いさせてほしい。どうか、これからも私と一緒にいてくれないだろうか。私は君と出会って、やっと自分の人生を取り戻せた。もう君のいない日々に戻ることはできない。だから、お願いだ。ずっと私のそばにいてくれ」
アルファルドの瞳の揺らめきから、さまざまな感情が伝わってくる。
それは繊細で、張りつめていて、不安げで。けれど、とても熱くて、純粋で、真っ直ぐな想いだった。
エステルが恥じらいに頬を染めて微笑む。
「もちろんです。これからも、アルファルド様のおそばにいたいです──……きゃっ!」
言い終わるのと同時に、エステルの体がアルファルドの両腕に包まれた。
「ありがとう、エステル。すごく嬉しい。……それから、すまない。今度は抱きしめたい気持ちを抑えられなかった」
「ふふっ、大丈夫です。わたしも、こうしたい気分でしたから」
エステルもアルファルドの背中に両腕を回して、ぎゅっと抱きしめる。
触れ合った場所から温もりと愛しさが広がっていく。
この幸せな気持ちは、アルファルドとだからこそ感じられるものだ。
エステルは、初めて知った幸福を噛みしめるように、そっと瞳を閉じた。