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テラーノベルの小説コンテスト 第3回テノコン 2024年7月1日〜9月30日まで
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母屋の正面、南廂《みなみひさし》では、透明で清らかな、篠笛《しのぶえ》の音色が流れている。


時おり現れる、押さえている指を上げ下げし、指穴を打って音を切る、指打ちの技法が、ともすると、寂しげに感じえる旋律に華やかさを添えていた。


徳子《なりこ》は、うっとりと、耳を傾けている。


奏でるのは、守近で、正面に備わる、板の両面に格子を組んだ戸──、蔀戸《しとみど》を一枚上げ、夜空が伺えるようにしていた。


演奏を終え、守近が言う。


「季節外れの月見、ですが、今の季節ならば、夜風に震えることもないでしょう。徳子姫のお体にも障らないのでは?」


はい、と、徳子は、頷いた。


「しかし、守恵子《もりえこ》は、あの池へ落ちたのですか……」


寝殿造、母屋の前に広がる庭に備わる池を見つめ、守近は、顔を歪めた。


「ええ、釣り殿から、池を眺めていたらしく、足を滑らせ……」


徳子の言葉に、守近は、少し、苛立ちを見せながら言った。


「あー、もっと、我が家の姫君は、動くべきですね。他所の姫君の様に、籠っていては、体が弱る。それでは、臥せってばかりで、家の存続も危うくなります」


「……ですが、今の様に、北の対の内でのみ、と、条件は、必用かと……」


そうでなければ、誰が姫で、誰が女房か、わからなくなる。何より、品位というものが、無くなってしまうと、徳子は答えた。


「うーん、確かに、徳子姫の言うことも一理ありますがねぇ……」


「ふふふ、私《わたくし》は、今のままでも、十分ですわ。このように、自由にできるなど、到底考えられない事ですもの」


「……母上が……よく、嘆かれていたのですよ」


喜んでいる徳子を側に、守近が、ポツリと言った。


「男子《おのこ》は、良いと、羨ましいと。日の光を浴び、自由に駆け回れると。おなごは、鳥だ。籠の中の鳥だ……と」


ふっと、笑む、夫に徳子は、そっと、頭を持たせかけた。


「……私は、まだ、幼かったので、父上と母上が、さほど上手くいってなかったのを、知らなかった。母上は、私達、子供らを側に、置いて、庭の様子を語らせた……。あの方に、とって、外の世界とは、どこの屋敷にも備わる前庭だったのです……それを知り、私は、自分の家族には、男であろうと、女であろうと、房《へや》の外をしっかり見せてやりたいと、思ったのです」


「……それで、私《わたくし》どもに、房から出ることをお許しに……」


「と、いっても、やはり、世間体というものも、ありますからね、ほどほどの、所までしか、できませぬが……」


徳子は、守近を仰ぎ見た。


都でも、一、二を争うモテ男は、今や、深みを増して、都でも一、二を争う、色男、と呼ばれているのを、徳子も、女房伝に耳にしている。


多少、外で羽目をはずしていることも、知っていたが、それを、子供の言い訳のようなことで、誤魔化す所が、妙に可笑しくてならなかった。


知らぬ振りをしていれば、どのような、言い訳を、考えてくるのだろうと、いつの間にか、楽しみにさえなっていた。


思えば、その、余裕も、正妻だから、ではなく、屋敷の中をある程度自由に動けるという、解放感があったから、なのかもしれない。


姫君だから、妻だから、と、簾の内へ押し込められていたならば……。


「そうですねぇ、この子は、もう少し、自由に育てましょうか?池に落ちても大丈夫なように……」


言って、徳子は、大きくなっている腹部を、ゆっくり撫でた。


「おお、なるほど!そうだ!泳ぎを、教えますか?!田舎の者達は、川や、池で、泳ぐそうですよ?」


「まあ!何故ですか?」


「あー、それは、残念ながら、徳子姫、私も、知らないのです」


何故でしょうねぇ、そうですわねぇ、と、夫婦は、共に、首を傾げた。


それも、致し方なし。都に住む、貴族達は、田舎、自体を知らない。都から出たことのない者達に、田舎といっても、他国といっても、実際のところ、まるっきり通じないのだ。


「守近様?上野の国元とは、いかがな所なのでしょう?」


「うーん、仮にも、国府ですからねぇ。遠国であるといっても、我が国の主要なる場所。やはり、都さながら、朱色の門があり、内裏も、備わっているのでしょか?」


「まあ、それならば、上野も、惑うことなく、都同様に、新しい暮らしにつくことが、できるでしょう」


と、どこか、ずれた二人にしかわかり得ない会話を交わしていると……。


「あれっ!守近様!」


「ん?!もしや、あれはっ?!」


守近と、徳子は、夜空を凝視する。


「……様……守近様……お方様……!!!」


聞きなれた声が、屋敷の上空から、響いて来る。


「も、守近様?!牛車《くるま》が、飛んでおりまする!」


「ええ、ええ、徳子姫、わ、私にも、そう、見えます!」


あれ!


まあ!


「徳子姫!あれは!」


「……上野ですわね……ああ、なんて、行儀の悪い……」


若が引く車が、守近の屋敷の上をぐるぐると、回っている。そして、後ろ簾から、紗奈《さな》が顔をだして、守近と、徳子の名を叫んでいた。


「まあ、紗奈らしい、別れの挨拶ではありますが……危ないことをして。また、常春《つねはる》に、咜られるぞ」


「ほほほ、まるで、竹取物語ですわね」


「いやいや、徳子姫、かぐやの姫とは、程遠いでしょう」


笑いながら、守近は、立ち上がると、篠笛を口元へ当て、空高くその音を響かせた。


「今はとて天の羽衣着るをりぞ 君をあはれと思ひ出でける」


傍らで、徳子が言った。

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