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*****


月曜、八時四十五分。

俺はT&Nホールディングスの十二階、大会議室の一席にいた。

俺は久し振りに顔を合わせるグループ各社の重役たちと挨拶を交わして、様子を窺った。今回の取締役会の出席者は役職付きの三十名のうち二十九名と役職なしの俺。出席者の半数は築島の親族。

今回の臨時会議は充兄さんが招集をかけたようで、出席者は誰も議題を知らなかった。

「よう」

声をかけられて振り向くと、和泉兄さんが立っていた。

「おはようございます」

俺は立ち上がって、一礼した。

「お前も呼ばれたか」

「はい」

和泉兄さんは議題を知っているのだろうか。

知っていても話さないだろうし、数分後にはわかることだ。

俺は聞かなかった。

「蒼、お前はお前の思うように動け」

いつも余裕の微笑みを絶やさない和泉兄さんが。真剣な表情で言った。

和泉兄さんが席に着くと、父さんと充兄さんが入ってきて、全員が起立し、一礼した。父さんの顔色が悪いことに気が付き、俺は不安を覚えた。

父さん、代表取締役会長が上座中央に着席すると、全員が一斉に着席した。

「おはようございます」と充兄さんが立ち上がって挨拶を始めた。

充兄さんと一緒に入ってきた秘書らしい男性が、末席でモニターのセッティングを始める。

充兄さんがお決まりの挨拶を終えると、秘書がノートパソコンを開いて、操作を始めた。

「本日の議題は、当事者だけでなく、グループとしてもかなりデリケートな問題ですので、情報管理の観点から、口頭とモニターでの説明のみとさせていただきます」

全員が充兄さんに注目する中で、父さんだけはテーブルに肘をつき、顔の前で両手を組んで、目を伏せていた。

取締役会は父さんの承認がなければ招集できない。父さんは充兄さんから議題の説明を受けて、承認した。そして、いつもは気丈な父さんが、青ざめた顔でうつむいている。

恐らく、この場にいる全員が只ならぬ事態を察している。

「皆さんご存知の通り、四月某日に発覚いたしましたホールディングス総務部経理課長清水大介による不正経理と横領、性接待及び集団婦女暴行の疑い、それに伴う事業の不正入札の疑いについて、私が独自で調査いたしました結果をご報告させていただきます」

会議室内がざわめいた。

誰もが真相を知りたがっていたが、清水の懲戒免職の通知と共に箝口令が敷かれていたのだ。


充兄さんが……清水の調査を――?


「この件では、現在も監査室及び情報システム部で清水と共犯関係にあった社員の特定と処分を進めておりますが、私は清水に犯行を指示した社員を特定し、接触しました」


清水に指示をしたって……川原のことか?


「証拠が揃うまでその社員の実名は伏せますが、ここにいるグループ重役の一人から指示を受け、犯行を計画し、清水に実行させたと証言しています」

出席者は言葉を失い、互いの顔を見合わせていた。

そして、モニターに写真が表示された。

顔に薄くモザイクのかかった男性から分厚い封筒を受け取っているのは、和泉兄さんだった――。


これ……、まさか、あの時の?


咲が川原を挑発した日の夜、川原は和泉兄さんに接触し、それを真さんと侑が目撃した。

モニターの写真が切り替わる。

二枚目は和泉兄さんのアップで、封筒の中身を確認している手元に札束がはっきりと確認できる。

三枚目では、和泉兄さんが封筒からUSBメモリを取り出している。

和泉兄さんは動揺を見せず、黙ってモニターを見ていた。


和泉兄さん――。


「ここで和泉社長が手にしているUSBメモリの内容がこちらになります」と充兄さんが言うと、モニターが切り替わった。

日時と場所、社名、役職、人名、担当事業、金額、ファイル名がずらりと並ぶ一覧表。

「なんだ? これ……」

代表取締役を務めるT&N建設社長の叔父が言った。

「ファイル名は情報システム部で精査中の、清水大介のパソコンに保管されていたファイル名と合致しました。そして、こちらがそのファイルの中身です」


まさか――。


モニターに映り出されたのは、咲と真さんと一緒に見た清水のコレクションの一枚。

こちらも顔に薄くモザイクはかかっているが、女性が三人の男に弄ばれていることは疑いようもなく認識できた。


どうして、これを充兄さんが――?


次々と映し出される、二人以上の男女のセックス写真。

充兄さんが正規の手続きを踏んでこの写真を入手したとは思えない。もし、そうなら情報システム部部長である新条百合の許可が必要だろう。そうなれば、咲と侑の耳にも入るはずだ。咲はともかく、週末に会った侑がそんなことを知っている素振りは少しも感じなかった。

「なんてことだ――」

項垂れて嘆息したのは、創立時からフィナンシャル副社長を務めてきた取締役副社長の慎治おじさん。彼は父さんの従兄弟で、父さんがフィナンシャルの社長だった頃から副社長として補佐し、和泉兄さんを社長として育て上げた人物。若く経験の浅い和泉兄さんが社長に就任することに懸念の声が上がった時も、自分が完璧に補佐すると周囲を黙らせた。

子供のいない慎治おじさんにとって、和泉兄さんは我が子同然だから、落胆のほどは俺たち家族と変わらないだろう。

卑猥な写真が十数枚ほど映し出された後、また資料の画像に切り替わった。今度は、入出金の詳細な内訳のようだ。

「これは先にお話しした証言者が記録していたもので、和泉社長の指示で管理していた金の帳簿になります。この帳簿の日付と先ほどのUSBメモリに保存されていたデータの日付には関連性があることは確認済です」

「和泉、反論はないのか?」

慎治おじさんは、藁にも縋る思いで聞いた。

「僕から話すことはありません」

和泉兄さんは言った。

充兄さんの用意した証拠の入手経路や、信ぴょう性、川原の実名を伏せていることなど、和泉兄さんへの疑いは、あくまで『疑い』の域を出ない。けれど、和泉兄さんが一言も弁解しないという現実が、『疑い』を『事実』にしてしまった。

慎治おじさんはがっくりと肩を落とし、それ以上何も言わなかった。

父さんもモニターを見ようともしない。

俺は咲が川原に放った言葉を思い出していた。

『やったかもしれない』と『やっていない』のどちらの証明が出来ますか?

充兄さんが提示した証拠で和泉兄さんが『やったかもしれない』ことは証明できる。けれど、『やっていない』証明は出来ない。

それをわかっているから、和泉兄さんは弁解しないんだ。


この状況をどう打破するつもりなんだ、和泉兄さん――。

このスキャンダルをどう収束させるつもりなんだ、充兄さん――。


「以上のことから……」

モニターが消え、全員が充兄さんに注目した。

「私は和泉社長の解任を要求します」


やっぱり……。


「仕方がないな」と開発の代表取締役副社長が言った。

「残念だが……」と観光の取締役常務も頷いた。


このままじゃ、マズい――。


俺は脳をフル回転させて考えた。

このままでは、今、目にしたものだけが『事実』として処理されてしまう。和泉兄さんが解任された後で、やっぱり間違いでした、なんて通用しない。

違う。このまま和泉兄さんが解任されてしまったら、この件はこれで幕引きだ。川原のバックにいる人間は無傷のまま、野放しだ。

『蒼、考えて』


咲の声が聞こえた……。


『蒼はT&Nをどうしたいの』


咲の顔が見えた……。


『蒼はT&Nのために何をするの』


俺は……。


『蒼はT&Nを欲しいと思わないの?』


思わないわけじゃない。

思わないようにしてただけだ。


「待ってください」

俺は立ち上がった。

「現時点で和泉社長が疑わしいことは確かですが、確信を得るには至りません。証言者については一切わかっていませんし、証拠の精査も充社長が証言者の情報をもとに秘密裏に行っただけでは、信ぴょう性に欠けます」

兄弟で争いたくはない。

けれど、この状況には納得できない。

「和泉社長の解任は性急すぎます」

『蒼、お前はお前の思うように動け』と和泉兄さんは言った。

「では、庶務課長さんはこの状況を黙認すると?」

充兄さんが挑発的に言った。

「そうではありません」


咲には、こうなることがわかっていたのだろうか?


「和泉社長は事態が収束するまで謹慎していただき……」


咲は、何も知らない俺がどう動くのかを見たかったんじゃないだろうか。


「証拠の精査には第三者を介入させるべきだと考えます」


咲は、何も知らない俺が何を決断するのかを知りたかったんじゃないだろうか。


「謹慎となると、業務に支障もきたすでしょう」と観光の代表取締役社長である内藤広正伯父さんが言った。

広正伯父さんは父さんの姉の夫で、義兄。そして、充兄さんの上司。今年いっぱいで退任することが決まっている。

「和泉社長の謹慎中は副社長に社長代理を務めていただき、一時的に副社長補佐を置くのはどうでしょう」

「その、補佐といい、先ほどの第三者といい、適任者に心当たりがあるのですか?」

充兄さんが言う。

「状況が状況ですから、よほど信頼がおけて、かなり有能でなければ務まらない。しかも、公平な判断が出来る人間でなければならない」

「証拠の精査には、ホールディングス総務部藤川真総務課長を推挙します」

「総務部?」

会議室内が再びざわめく。

無理もない。

「彼は今回の事件を告発した張本人です。清水の言動に不信感を持ち、独自に調査の上、確固たる証拠を入手して上司に報告しました。彼の正義感と行動力、判断力からして、適任だと考えます」

「そんなに有能な人材が総務課に埋もれているとは信じがたいが……」

広正伯父さんは難色を示した。

「フィナンシャル副社長補佐の方は?」

会議が始まって一時間、父さんが初めて口を開いた。

「副社長補佐は……」

『蒼の目指す未来に、私は必要?』と、咲は聞いた。

もちろん、必要だ。

咲のいない未来なんて考えられない。

けれど、咲が求めている答えはそんなものじゃない。


咲が求めている答えはきっと――。


俺は父さんの顔を真っ直ぐに見据えた。

「僕にやらせてください」

咲が求めているのは、俺の目指す未来に、咲が一緒にいるだけの価値があるか。

「僕が副社長を補佐し、事件の収束に努めます」


俺が、咲に、試されてるんだ――。

女は秘密の香りで獣になる

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