「退院時は日向、お前迎えに来られるか?無理そうなら信頼出来る看護師に頼んで家まで送らせるが」
「事情が事情だからな、急ではあるが休暇をもらうよ。今担当の事件も終わったばかりで…… 書類整理はあるが任せられる奴もいるし、一週間くらいは休めると思う」
宮川先生と日向さんが相談を始める中、香坂君の表情がどんどん曇っていく。
「——待って下さい!いくら戸籍上では夫婦だとは言っても、唯先輩はこの人の事覚えていないんですよ?知らない相手の家に寝泊りするのは、先輩も不安だと思います!」
香坂君が急に立ち上がり、宮川先生に言った。
「君の言葉には一理あるが、自宅に戻る方が荷物の事を考えても一番いい。それに、日常をなぞる方が記憶を取り戻す機会は多いかもしれないしな」
「唯…… さんは、どうしたい?休暇中の昼間は食事の準備もあるから家に俺も居るけど、夜は友人の家にでも泊まりに行こうと思っていから変な心配はいらないよ」
宮川先生の話を聞き、日向さんがちゃんと私に考えを訊いてくれる。彼の気遣いを感じられとても嬉しい。
「いえ、そこまで心配しないで下さい。家に帰ります。宮川先生の言う様に何か思い出すかもしれないし」
私の言葉を聞き、日向さんがホッとした顔をした。
「わかった、じゃあ退院の日には迎えに来る」
「ご飯は俺が差し入れしてあげるよ、日向さんは自炊得意じゃないだろう?」と、店長がにこやかな笑顔で言った。
「やだな、昔よりはやれますよ。唯さんに教えてもらいましたからね」
「俺、店長の料理宅配します!知らない奴と二人っきりよりは、知ってる奴が顔出した方が、先輩も落ち着くだろうし!」
香坂君が手を上げて必死に立候補する。その姿に私はちょっと笑ってしまった。
「別にそこまで心配しなくてもいいのに。相手は刑事さんだよ?心配いらないってば」
「唯先輩は、もっと警戒心を持って!」
香坂君のその言葉に、日向さんと店長が無言で深く頷く。よく見ると、他の人達も皆納得顔で頷いていた。
「え!?待って、私ってそんなに警戒心の薄い人間だったの?」
抜け落ちた記憶のせいでか、自分だけ納得が出来ない。
「警戒心が薄いというよりは、鈍感かな」と、日向さんが言う。口元は笑っているのだが、眉が困った時の様に曲がっていた。
「ど、鈍感…… ですか」
「無くなってる記憶と関係無しに、昔からそうですよ先輩は」と、香坂君まで追い打ちをかけてくる。
「初めて意見が合ったな」
日向さんが香坂君に言うと、彼は嫌そうな顔で「アンタとはもう一生意見すら合いたくないですね」と顔も見ずに答えた。
どうやら、この二人は仲が悪いらしい。香坂君が一方的に嫌ってる感が強い。その理由はわからないが、居心地が悪くなるのだけは確かだ。
私ではどうしていいのか分からず、一番この中で穏便に全てを解決してくれそうな宮川先生に視線をやると、先生は無言で頷いてくれた。
「さて、面会時間はもう終わりだ。彼女をちゃんと休ませたいからな、皆そろそろ帰ってくれ。日向、お前はナースステーションに言って、付き添い用のベットを出してもらって来い。書類はもう俺の方から出しておいたから」
「——は!?」
香坂君の声が大きくて煩い。
「分かった、すぐ行って来る」
日向さんは立ち上がって、誇った様な顔で香坂君を見た。
「家族が付き添いで泊まるのは当然だろう?」
「だからって、知らない奴よりは——」と言って香坂君が食い下がる。
「君は学校の元後輩でバイト先の同僚かもしれないが、家族じゃない。覚えていてもらえてた事実だけを喜んで、今は帰りなさい。ここに君を泊める理由は無い」
宮川先生がそう言うと、香坂君は急に黙り、悔しそうにギュッと握り拳を作る。
「…… 香坂君」
彼の服の袖を掴み、名前を呼ぶ。
「はい」
「ありがとう、付き添って来てくれて。こんな時間まで残ってくれて、いっぱい心配させちゃってごめんね。でももう大丈夫、ありがとう」
安心させる様に微笑むと、香坂君が少しほっとした表情になった。
「…… わかりました。今日は帰りますけど、明日また絶対にすぐ来ますね!退院の時間とか、ちゃんと教えて下さいね!」
「うん、わかった。ありがとう、大丈夫」
頷いて答えると、店長が香坂君の腕を掴む。
「ほら、もう行くぞ。唯ちゃん、お前も変な期待をコイツに持たせるなよ」
店長はそう言うと、香坂君をを引きずって病室から出て行った。それに続き、宮川先生も「じゃあお大事に」と言い、廊下へと出て行く。
私と香坂君とのやり取りを無言で見詰めていた日向さんも、宮川先生の後に続くように病室を出てナースステーションへと向かった。
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