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洞窟を抜けると、外の世界に出た。そこは、空が紫色に淀み、植物は枯れ果てた死の世界だった。
地面はひび割れ、黒ずんだ土がむき出しになっている。 どこかで鴉のような鳴き声がするが、姿は見えない。
生き物の気配がない。ただ風が遠く音を立てているだけだ。
(何なんだ、この世界は……)
荒れた道を夢猫と二人で歩く。
さっきまで濃厚なキスをして、ワンちゃんと呼び、撫でてきた彼女はもういない。
夢猫が配信を終了させると、彼女の手元にスマホのような端末が現れた。
その端末の画面を見ながら鼻歌を口ずさんでいる。
(あの時のキスは……? ワンって言わせたのは何だったんだ?)
「夢猫ちゃん……?」
恐る恐る話しかけてみる。声が震えて、情けなかった。
「ん? ああ、お疲れー。アーカイブの再生数、コメント数、いい感じだよ」
その声は、バイト終わりの同僚のように驚くほどあっさりしていた。散々配信で見ていた姿とも、先ほど見ていた狂気とも異なるドライな感じだった。
「そ、そっか……」
(魔物を前に怯えていた姿も、あの時の甘い毒も、斧を振るう狂気も、全ては数字のための演技だったのか? )
あまりの虚無感に、何も話せなくなってしまった。
……なのに。
彼女はピッタリと俺の隣にくっついて歩いている。
広い道幅があるのに、わざわざ俺のすぐ横を。
歩くたびに、彼女の柔らかい肩が俺の腕に触れた。甘い匂いが鼻をかすめる。
(……え、何なんだ?)
配信を切ってから急にドライになったのに。
離れないで欲しいのか、ぴったりとくっついてる体温を求めてきている。
(気があるのかないのか、どっちだ……?)
心臓がバクバクして止まらなかった。
この掴みどころのなさは、まるで猫のようだ。俺は無意識に歩幅を狭め、彼女の速度に合わせていた。
――
しばらく歩き続けると、突然明るい光景が現れた。
楽しげな市場の喧騒。
どこからともなく漂う、焼きたてのパンとスープの香り。
周囲の闇とはあまりに不釣り合いな、完璧すぎる安らぎの空間。
あの血と腐臭の広がる洞窟とは真逆の世界。 俺の張り詰めていた緊張の糸が、プツリと音を立てて切れた。
(……やっと休める)
目の前に広がる明るい町に、吸い込まれるように入っていった。
――
町の中に入ると、人々が行き交っている。
どの人を見ても、その世界で生きている生々しさがあった。
(配信で繋がってるとは言え、現実世界とは違う……異世界なのだろうか)
すると、腰を曲げたおばあさんがこちらに歩いてくる。
「ほうほう、お前さんたち。あの洞窟に行って生きて帰ってくるとは。凄いの」
「あ……ああ」
返事をすると、わらわらと人が集まってくる。
「洞窟の魔物を倒したって?」
「凄い! かっこいい!」
「おう! あんちゃん! 生きて帰ったのか。若いのに大したもんだ」
豪快な声をしたおじさんに、ガハハと笑いながら背中を叩かれる。
「いや。そんな大したことは……!」
満面の笑みに囲まれて、ついつい照れてしまう。 俺は反射的に背筋を伸ばし、頭を下げた。
(何だよここ、天国かよ)
社畜時代、誰にも褒められなかった。呼吸をしているだけで怒られた。
今この瞬間、確かに生きている、と感じ取れた。
「うっ、うう……夢猫ちゃん」
涙ぐみながら、つい隣にいた夢猫に話しかけてしまう。
「俺、この世界なら人間らしく生きられるかもしれない……」
ブラック企業でこびりついた毒を、全て洗い流してくれるような気がした。
「……ふーん」
彼女は冷ややかな目で俺を見ていた。
自分以外の人間に懐く飼い犬を見るような目つきだった。
(もしかしたら、この世界に救いを見出しているのは、俺だけなのかもしれない)
――
俺は時間も忘れて褒められていた。
「あの洞窟の魔物、強くなかった?」
「天才だな、あんちゃんは!」
「今夜は祭りだ、新人の生還を祝おうじゃねえか!」
俺の胸は、じんわりと温かくなっていった。
だが、気づくと町を包んでいた光は、紫色の闇に侵食され始めていた。
ついさっきまで温かかった風が、急に冷たさを帯びて肌を刺す。
褒められてデレデレになっている俺に、夢猫の冷たい声が刺さる。
「ねぇ、もういい? 夢猫、疲れたんだけど」
機嫌の悪そうな声だった。
彼女を付き合わせてしまっていたから、怒っているのだろうか。
「ん? あぁ、そうだよな。ごめん、夢猫ちゃん。……でも、最高の場所だね、ここ」
「……全然。最悪だよ」
吐き捨てるように言うと、彼女は俺の二の腕に、コツンと頭を押し付けてきた。
完全に怒っている。
……なのに、体だけは離れようとせず、むしろ体重を預けるように寄せてくる。
(……もしかして、他の人と話してたから拗ねてるのか?)
俺は焦りながら答える。
「休む場所、どうしようか」
「うーん。真守くんと一緒だと、身の危険を感じるからなぁ…… 」
「はぁ!?」
(拗ねたり甘えてきたりしたかと思えば、何なんだ、この子は!?)
俺は鈍感な頭で必死に考えた。
俺のことを「ワンちゃん」と楽しそうに呼ぶ彼女の笑顔が浮かぶ。
(これはきっと、私以外の人間に懐いてんじゃねーよ、というご主人様からのお叱りってことか……?)
面倒くさい。でも、その独占欲が少しだけ嬉しいと思ってしまう俺は、もう手遅れなのかもしれない。
すると、先程まで一緒にいた男性が話しかけてくる。
「君たち、日が沈む前にはどこか建物に入った方がいいよ」
さっきまでガハハと笑っていたおじさんが、無表情で言った。
その目は、もう俺を見ていなかった。
町の入り口にある、古びた結界の松明を見つめている。
「??」
「この町は日が沈むと、結界が消え、本当の住民が歩き出す……」
「!!」
背筋がゾワっとする。さっきまであんなに賑やかだった市場の通りから、一気に人の気配が消えていく。
青ざめていると、腰を曲げたおばあさんもこちらをチラッと見て口を開く。
「命が欲しければ、どこか宿を探すんだね」
「死なないように気をつけて」
人だかりが、不自然な早さで消えていく。
「お、おいっ! 待ってくれよ! どういうことだよ!」
振り返る人は、もう誰もいなかった。
(あんなに優しくしてくれていたのに……!)
松明の火が、一斉に消える。 残されたのは、不気味に蠢く紫色の闇と、呆然と立ち尽くす俺と夢猫ちゃんだけ。
(……ああ、やっぱりか。こんなにうまい話があるわけがない)
拠点だと思っていた場所が、一瞬にして、巨大な墓場に変わってしまった。