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第1話:色の見えない日々
朝の通学路は、香波でゆらめく光が混じっていた。
緑や黄の淡い波が、風に乗ってふわりと漂う。香波者同士には、それがはっきりと見える——だが春瀬拓真の周囲には、ほとんど色がない。
拓真は黒髪を短く刈り込み、黒いブレザーの襟を立てて歩く。平均的な背丈、目立たない顔立ち。唯一特徴的なのは、落ち着いた深緑の瞳。そこに宿る香波の光は、あまりにも薄い。
「おい、また今日も緑かよ」
校門近くで同級生が笑いながらすれ違う。香波の色で強さを判断する空気は、今も学校に根付いていた。赤や橙の強香波者は憧れの的。緑は“安全だけど弱い”の烙印を押される。
昇降口で靴を履き替えていると、背後から低い声がした。
「気にすんな」
振り向くと、庭井蓮が立っていた。背は拓真より頭ひとつ分高く、長めの黒髪を後ろでひとまとめにしている。制服の下のシャツの首元には、黒い金属製のバンド——香波抑制装置が光っていた。
蓮は絶香者だ。常時放たれる強烈な自己香波で、周囲の波を乱す存在。能力は最強だが、その匂いで人から距離を置かれてきた。
「……あんたが平気なの、ほんと不思議だわ」
「鼻、鈍いのかもな」拓真は肩をすくめた。
ホームルームでは、香波系統の授業が行われていた。前方のスクリーンには「攻撃系」「治癒系」「支援系」「干渉系」の分類が映し出される。隣の席の赤香波者が自信満々に手を挙げ、金属香で机を硬化させると、教室がどよめいた。
「春瀬、次」
促され、拓真は前に出る。息を整え、脂腺から香波を放とうとする——が、視界に広がるのは淡い緑の揺らぎだけ。硬化も加速もできない。笑い声が背中に刺さる。
そのとき、蓮の抑制装置がかすかに震えた。香波が一瞬だけ乱れ、拓真の胸が熱くなる。鼓動が早まり、緑が橙色に滲んだ——
「……あれ?」
わずか数秒、波の色が変わった。教室がざわつく中、拓真は自分の中で何かが目を覚ました感覚を覚える。
放課後、蓮が廊下で待っていた。
「見たぞ、色が変わったな」
「……ほんの一瞬だ」
「一瞬で十分だ。そっから伸びるやつもいる」
夕焼けの光が、校舎の外に漂う香波を赤く染めていた。
拓真はその景色を見ながら、小さく拳を握った。
——いつか、この色で誰かを守れる日が来るかもしれない。
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