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桜城
308
#恋愛
ばたっちゅ
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#ファンタジー
comi
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王立アカデミー科学研究所。
「キイィィン……」
静かな下降音だけが、密閉された空間に染み込んでいく。地上の喧騒から完全に断ち切られ、深い、深い“沈黙の井戸”へと落ちていくようだった。青白い照明が天井から均質に落ち、国王、バルティス、ラマズド、そしてリヴァン首相の顔を青白く照らし出す。
エレベーターはほとんど振動を伝えない。それがかえって、不自然な静けさを際立たせていた。誰も言葉を発しないまま、随行員たちの腕時計の秒針音だけが、不釣り合いに響いていた。そんな中で、イーサム王はふと視線を巡らせた。
「ラマズド。ジン博士の姿が見えぬようだが。今日は同席しておらぬのか?」
問いに、ラマズド科学技術長官がわずかに肩をすくめる。
「……はい、陛下。
おそらく、ジン博士は時空間研究が佳境に入り、離席できない状況かと」
国王は、わずかに眉を寄せた。
「あれほど、同行を願っていたジン博士がいないとはな」
ラマズドは、ほんの一瞬だけ視線を伏せてから答えた。
「ジン博士自身の判断にございます。今は、研究を止めることができぬと」
「そうか……博士らしいと言えば博士らしい。だが今日の視察は、国家の未来を左右する場だ。直に交わすべき話は山ほどあったが……致し方あるまい」
ラマズドは頭を垂れたが、その笑みはどこか薄く、冷たかった。まるで、その場をやり過ごすための貼り付けられた仮面のようだった。
横に立つバルティスは、表情こそ整えていたが、胸中には不穏なざわめきが広がっていた。
(ジン博士が陛下の視察に同行しない……御前会議でも度々、特別研究区への随行を懇願していた人物だ。それほどまでに、研究が切迫しているということなのか……?)
「陛下のご厚意は、博士にも必ず伝えましょう」
国王はしばらく黙っていたが、やがて思い出したように口を開いた。
「ところで、ルーフの研究はどうなっておる? せっかくここまで来たのだ。一般研究区にも立ち寄り、あの研究の進捗をこの目で確かめたい」
ラマズドの表情が、ほんの一瞬だけ止まった。
「一般研究区、でございますか……」
「言ったはずだ。私は王研を視察すると。特別研究区を視察するとは言っておらぬ」
国王の言葉に、ラマズドは一瞬、返答をためらった。
「……承知いたしました、陛下。
地下二十階の一般研究区をご視察の後、特別研究区へご案内いたします」
ラマズドはそう答えたものの、その笑みには先ほどまでとは異なる硬さが滲んでいた。
そして、その会話を黙って聞いていた者がひとり。リヴァン首相である。
エレベーターの壁に軽く寄り掛かり、薄闇に沈むその貌は、どこか“人ならざる静けさ”を纏っていた。
「ジン博士には博士の務めがあるということでしょう。今日の視察は陛下、我々で十分でしょう」
そう述べた声は穏やかだった。だが、その瞳の奥には別の“温度”が宿っていた。赤黒い光が横に走る。
「ご安心ください、陛下。特別研究区は、必ずや王国の未来を拓きましょう」
エレベーターはさらに深く潜った。
階数表示がB12、B15、B18と切り替わっていく。
密閉された空気は、地下へ降りるほど冷たさを増していた。
やがて、表示がB20へと変わった。
「チン」
到着音とともに、エレベーターが静かに停止した。
扉の上部に、青白い文字が浮かび上がる。
**“B20・GENERAL RESEARCH AREA(一般研究区)”**
ゆっくりと扉が開いた。
その先には、白い照明に照らされた清潔な廊下が、真っ直ぐに伸びていた。
ラマズドが一歩前へ出る。
「陛下。こちらが一般研究区でございます。ルーフの研究室へご案内いたします」
イーサム王は静かに頷いた。
一行は、地下二十階の一般研究区へと足を踏み入れた。
王研・生命科学部門 地下20階 ルーフゲノム研究室前――
地下にあるとは思えないほど、王立科学アカデミー研究所の一般研究区は、明るく開放感に満ちていた。
この空間は、ジン博士を筆頭に、研究員や職員たちの幅広い意見を取り入れながら、長い年月をかけて整備されてきたものだった。
中央には美しい地下噴水が設けられ、静かな水音を奏でている。その周囲を囲むように各研究室が配置され、吹き抜けの天井からは柔らかな間接照明が降り注いでいた。
床のタイルは清潔な白色で統一され、至るところに水生植物や季節の花々が飾られている。その彩りは、無機質になりがちな研究施設に生命を吹き込み、訪れる者の心を和ませていた。
環境BGMには、ピアノを基調とした穏やかな旋律が流れている。
まるで植物園と最先端研究施設が融合したような、心地よい空間だった。
ラウンジスペースでは、研究員たちがカップを片手に談笑し、研究データを見せ合いながら意見を交わしていた。
そこには、研究者同士が自由に議論し、新しい発想を生み出していく活気があった。
イーサム王は、その光景を見渡し、思わず顔をほころばせた。
「ほう……これは見事なものですね。地下二十階に、これほど明るく開放的な研究環境が整っているとは……」
バルティスも感心した様子で頷いた。
「まことに。陛下。研究施設といえば、無機質な設備に囲まれ、研究員たちが黙々と作業に没頭する印象がございましたが……ここは随分と雰囲気が異なります」
「うむ。ジン博士が職員たちの意見を積極的に取り入れていると聞いておったが、なるほど。こういうことか」
国王は噴水のそばで足を止めた。
「研究とは、設備や技術だけで成り立つものではない。そこに携わる者たちの知恵と情熱があってこそ、成果が生まれるものだ」
バルティスが微笑んだ。
「陛下のおっしゃるとおりでございます。これほど恵まれた環境であれば、研究員たちも存分に能力を発揮できましょう」
そのとき、国王の目に、資料を抱えて歩いていたリアム研究員の姿が留まった。
「そこのあなた。忙しい中すみません。少し時間をもらってもいいですか?」
「は、はい!」
突然、国王から声をかけられたリアム研究員は、慌てて足を止めた。
「へ、陛下……!」
「国王の肩書で緊張しなくてもいいですよ。少し話をお聞かせください」
国王は穏やかに微笑んだ。
「あなたは、ここでの研究にやりがいを感じていますか?」
「はい! もちろんでございます!」
リアムは背筋を伸ばした。
「この研究所では、自分の研究テーマについて、上席研究官や他部門の研究員とも自由に意見を交わすことができます。若手の提案にも耳を傾けていただけますし、研究に必要な設備も充実しております」
「そうですか。それは素晴らしいですね」
「それに……失敗した研究についても、結果を隠さず共有する文化がございます。週に一度皆で集まって話し合っています。失敗から学び、次の研究に生かすことができるのです」
国王は深く頷いた。
「なるほど。失敗を恐れず、互いに知恵を出し合うか。それこそ、科学の発展に欠かせぬ精神であろうな」
バルティスも満足げに口を開いた。
「研究員たちが自らの仕事に誇りを持っている。これは何よりの財産でございますね。陛下」
「そうですね。バルティス。彼らの誇りがこの国の科学技術を支えていることは間違いありません」
その言葉を聞いていたラマズドの眉が、わずかに動いた。
リヴァンもまた、国王と研究員のやり取りを無言で見つめていた。
二人は一瞬、互いに視線を交わした。
ラマズドの目には、どこか怪訝そうな色が浮かんでいる。
(研究員の遣り甲斐か。……やはり一般研究区は空気が甘すぎる……)
ラマズド口元に、冷ややかな笑みが浮かんだ。
リヴァンは、かすかに首を傾けた。その表情からは、国王の言葉に共感しているのか、それとも別の思惑を巡らせているのか、読み取ることができなかった。
「陛下。研究員たちが充実した環境で働けることは、私としても喜ばしい限りです」
リヴァンは穏やかな口調で続けた。
「しかし、国家が多額の予算を投じている以上、それに見合う成果を求めることも、我々の責務ではないでしょうか」
国王はリヴァンを振り返った。
「無論、成果も大切だ。だが、リヴァン。成果を急ぐあまり、研究に携わる者たちの心を置き去りにしてはならぬ」
「……おっしゃるとおりでございます」
(好きに言わせておこう……理想ばかりを延々と語る、この鬱陶しい老いぼれめ……)
(まぁ……いいだろう。今はな)
その口元には、薄い笑みが浮かんでいた。
国王は再びリアムに向き直り、穏やかに微笑んだ。
「これからも、王国の未来のために研究に励んでください。あなたの研究が、いつの日か人々の暮らしを豊かにする大きな力となることを願っています。でも、研究だけに人生を費やしてはいけませんよ。ご自身の健康を大切にし、家族や大切な人と過ごす時間も忘れずに。仕事も私生活も充実させて、あなた自身の人生を存分に謳歌してください」
「はっ! ありがとうございます、陛下!」
研究員は深々と一礼した。
国王は満足げに頷き、再び歩き始めた。
ラマズドとリヴァンは、その背中を静かに見つめていた。
やがて一行は、生命科学部門の奥に位置するルーフゲノム研究室の前へと到着した。
研究室の内部は、この恵まれた環境の中でも一際整然としていた。
保育器やモニター、各種解析装置が幾何学的に配置され、すべてが機能美と合理性に基づいて設計されている。
壁際にはゲノム操作に関する論文やデータディスクが整然と収納され、どの資料も即座に参照できるようになっていた。
保育器に浮かぶ人型モンスターは、ルーフの“芸術”の象徴であり、羊水を模した特殊培養液の中で静かに息づいていた。
どこか神聖さすら感じさせるその光景は、まさに生命創造の最前線だった。
ルーフはこの空間に、自分の個性と才能、そして未来への野心をすべて詰め込んでいた。
国王一行が研究室の入口に近づいた。
「ルーフ主任研究員は在室中かね?」
ラマズドの声に、研究室の奥で培養槽を見つめていたルーフが振り向いた。
その視線の先には、羊水を模した特殊培養液に浮かぶ、金髪で端正な顔立ちの人型モンスターがいた。
「……陛下!」
ルーフは驚いた様子で姿勢を正し、深々と一礼した。
「突然の訪問ですまないね。ルーフ。研究は順調ですか?」
「はい、陛下。おかげさまで、順調に進んでおります」
国王は培養槽へと歩み寄った。
「ほう……これは、人間によく似ているな」
ラマズドが一歩前へ出た。
「ルーフ。陛下に研究の趣旨を説明したまえ」
その声には、どこか有無を言わせぬ強さがあった。
「はい、長官」
ルーフは静かに頷き、培養槽に目を向けた。
「こちらが、現在開発を進めている、人に寄り添うことを目的とした人型モンスター《ジャックエルフ》です」
「人に寄り添う……?」
イーサム王が興味深そうに尋ねた。
「はい。ジャックエルフは、人間と共に暮らし、家族のような絆を育むことを目的として開発しています」
ルーフは、培養槽のガラスにそっと手を添えた。
「例えば、身寄りのない高齢者や、家族を失った子どもたち。あるいは、誰にも悩みを打ち明けられず、孤独を抱えている人々……」
ルーフの声が、わずかに柔らかくなった。
「この子たちは、そうした人々の話に耳を傾け、喜びや悲しみを分かち合い、日々の暮らしを支える存在になることを目指しています」
「なるほど……家族のように寄り添う存在、ということですね」
「はい。ただ命令に従うだけの従者ではありません。人間の感情を理解し、自ら考え、共に生きる存在です」
イーサム王は、培養槽の中で眠るジャックエルフを静かに見つめた。
「……素晴らしい理念ですね。大戦で家族を失った者は、今も少なくありません。帝国が送り込んだモンスターによって、多くの命が奪われました。人々がモンスターを恐れるのも無理はないでしょう」
イーサム王は、保育器の中で眠るジャックエルフを静かに見つめた。
「ですが、モンスターにも心や感情があるのなら、すべてを恐れ、憎むべき存在と決めつけることはできません。この研究が、人間とモンスターが互いを理解し、共に生きるきっかけになるかもしれませんね」
国王は穏やかに微笑んだ。
「いつの日か、この子たちが人々の心に寄り添い、戦争で傷ついた人々を救う存在となることを願っています」
ルーフは嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとうございます、陛下。私も、そう願っております」
イーサム王は、培養槽の中で静かに眠るジャックエルフを見つめた。
「大戦から十年……我が国がここまで歩んでこられたのも、こうした研究者たちの努力があってこそなのでしょうね」
ルーフは少し照れたように頭を下げた。
「ありがとうございます、陛下。まだ完成には至っておりませんが、いつの日か、この子たちが人々の暮らしに溶け込み、誰かの心の支えになれることを願っています」
国王は穏やかに微笑んだ。
「その日が来ることを、私も楽しみにしていますよ」
そして、もう一度、研究室を見渡した。
ここには、王国の未来があった。
過去の大戦で失われた時間を取り戻すように、積み重ねられてきた科学と人々の努力。エルフエナジーは、もはや神秘の力というだけではない。その力を科学技術によって応用することで、傷ついた王国を再び立ち上がらせ、人々が未来へ歩み出すための希望となっていた。
「ゴホン……」
そのとき、ラマズドがわざとらしく咳払いをした。
「陛下。そろそろ、次の視察へと参りましょう」
国王が振り返った。
「そうでしたね。ラマズド長官」
「これより、王立科学アカデミー研究所が誇る、最高の頭脳と最先端技術を結集した特別研究区へご案内いたします」
ラマズドは胸を張り、誇らしげに続けた。
「そこでは、これまでの科学の常識を覆す、革新的な研究が進められております。陛下にも、きっとご満足いただけることでしょう」
「ほう……それは楽しみです」
イーサム王は期待に満ちた表情で頷いた。
その傍らで、リヴァンが静かに微笑んだ。
「陛下。どうぞ、ご期待ください。王国の新たな時代を、その目でご覧いただけるはずです」
国王は満足げに頷き、ルーフへと向き直った。
「ルーフ。これからも研究に励んでくださいね。成果を楽しみにしていますよ」
「ありがとうございます、陛下!」
ルーフは深々と一礼した。
国王一行は研究室を後にし、再びエレベーターへと向かった。
背後では、地下噴水の穏やかな水音と、ピアノの優しい旋律が響いていた。
やがて、エレベーターの扉が静かに閉じる。
その音を境に、温かな空気が遠ざかっていった。
ラマズドが操作盤に手を伸ばし、地下三十階のボタンを押した。
**B30――SPECIAL RESEARCH AREA(特別研究区)**
「キイィィン……」
エレベーターは、再び深い地下へと降下を始めた。
「チン」
到着音とともにエレベーターの扉が静かに開いた。
その先には、黒を基調とした長い通路が一本、真っ直ぐに伸びている。床に埋め込まれた誘導灯だけが淡く足元を照らし、まるで「この先へ進め」と命じるかのように、闇の奥へと光の筋を延ばしていた。
通路の入口では、施設長マルヴィンと上席研究官カリムが深々と一礼し、国王一行を恭しく出迎える。彼らの表情は礼儀正しい。だが、笑みを浮かべる口元とは裏腹に、その目だけはまったく笑っていなかった。
「陛下。リヴァン首相。ようこそ、特別研究区へ」
その傍らで、薄闇に溶け込むように立つリヴァンだけが、まるで見えない何者かと囁き合っているかのような、不吉な微笑を浮かべていた。
国王は先導するリヴァンたちとわずかに距離を置き、侍従長バルティスへ低く耳打ちする。
「バルティス……気を緩めるな。どうも、胸騒ぎがしてならない」
「御意にございます、陛下」
張り詰めた返答が、地下深部の静寂へと吸い込まれていく。
やがて通路の突き当たりに、漆黒の重厚な扉が姿を現した。
そこには、
《地下三十階・特別研究区エントランス》
とだけ刻まれている。
王国でも限られた者しか足を踏み入れることを許されず、創設者であるジン博士ですら例外ではない――禁断の研究区画。
マルヴィンが認証装置へ手をかざした。重厚な扉が低い駆動音とともに左右へ開き、その隙間から青白い光が静かに漏れ出した。
国王とバルティスは、その光景を目にした瞬間、思わず息を呑んだ。
マルヴィンが一歩踏み出す。
「どうぞ、こちらへ」
施設長マルヴィンの後を、イーサム王が静かに歩を進める。
金属床に響く足音だけが耳に届き、まるで外界とは隔絶された異世界へ足を踏み入れたかのような錯覚を覚えた。
まず国王一行が視察したのは、研究員たちの執務スペースだった。
パーティションで整然と区切られたそれぞれの区画には、研究者たちの個性と執念が色濃く刻まれている。
寸分の乱れもなくファイルを並べている者もいれば、机を資料で埋め尽くし、崩落寸前の「知の山」を築いている者もいた。
その壁には、赤い文字で二つの標語が掲げられていた。
【失敗は存在しない】
【結果こそが真実だ】
イーサム王は、その赤い標語を見つめたまま、息を呑んだ。バルティスも、思わず言葉を詰まらせた。
やがてラマズド長官に促され、国王一行は次の区画へ足を踏み入れた。廊下の両側には、分厚い防爆ガラスが途切れることなく並んでいた。
「こちらでは、エルフエナジードリンクの作用機序について研究しております」
ラマズドが、ガラス越しの研究設備を指し示す。
「また、エルフエナジーを応用したこのドリンクには、魔物から受けた外傷を速やかに修復し、傷口を閉鎖する作用がございます。陛下もご承知のとおり、現在も軍で特別に使用されておりますが、将来的には一般の医療機関でも利用できるよう、改良研究を進めているブースでございます」
その説明だけを聞けば、王国の医療技術を発展させるための、至って健全な研究に思えた。
だが、室内に漂う空気は、どこか冷たかった。研究員たちは一言も交わさず、バイオセーフティーキャビネット越しにロボットアームを操作している。
シャーレには、損傷させた組織片が置かれていた。
そこへ薬液が一滴、滴下される。
薬液が組織へ染み込み、やがて損傷した部分から新しい組織が形成され始めた。
「肉芽形成、確認」
「増殖誘導因子を追加……」
ロボットアームが動き、薬液を正確に吸い上げる。
「エルフエナジー抽出物も追加するか……」
その研究員の背後で、イーサム王が足を止めた。
「お仕事中失礼します。あなたは、この研究にやり甲斐を感じておられますか?」
研究員は、一瞬だけ王を振り返った。
「国王様、研究の邪魔をしないでください」
それだけ言うと、すぐに実験台へと視線を戻した。
イーサム王は、研究室の様子を静かに見渡した。
(……ルーフの居た一般研究区とは、明らかに空気が違う)
(あそこでは、研究員たちが目を輝かせ、自らの研究について熱心に語っていた……)
国王は、黙々と作業を続ける研究員たちに目を向けた。
(だが、ここにいる者たちは……まるで生気が感じられぬ……)
その表情には疲労の色が濃く、誰一人として、研究に喜びを見いだしているようには見えなかった。
イーサム王の眉間に、深い皺が刻まれた。
(あれほど御前会議で注意したはずなのに……)
(……リヴァン。ラマズド。お前たちは、いったい何をしているのだ!!)
イーサム王一行は、さらに奥へと歩みを進めた。
重厚な隔壁が開くと、その先には無数の培養槽が整然と並んでいた。黄緑色の培養液の中には、半透明の肉塊が浮かんでいる。
それらは培養液から養分を取り込みながら、ゆっくりと形を変えていた。表面には細い血管のようなものが浮かび上がり、内部では微かな収縮が繰り返されている。
まだ人間ともモンスターとも判別できない、不完全な生命の姿だった。
イーサム王は思わず足を止めた。
「……これは?」
「こちらが、リヴァン首相の肝いりによる、高度知能化家政婦モンスター計画の研究ブースになります」
個体にはカニューレやセンサーコードが繋がれ、心拍、体温、血中データが複数のモニターにリアルタイムで表示されている。
その直後、背後からかすれた声が漏れた。
「あと一体……」
イーサム王が振り向いた。
「あと一体、完成させれば……俺は、選ばれる……」
その瞳に宿っていたのは、飢えた獣のような、異様な執着だけだった。
「こ……これは、あまりにも……」
イーサム王は言葉を失い、目を細めた。
「……この場には、“温もり”がまるでない」
ラマズドが、淡々と言葉を継いだ。
「陛下。この区画は、国家戦略にもとづく先端研究施設です。研究成果を最優先とするため、研究員には厳格な守秘義務を課しております。そのため、外から見れば……冷たく感じられるかと」
ラマズドは、それ以上何も語らなかった。ただ、淡々と事実を報告しただけだった。
イーサム王は顔をしかめた。
「……マルヴィン。ここは、ルーフの一般研究区とは違う。あまりにも殺伐としている。このような環境で、研究員はやり甲斐を持って仕事ができるのだうか」
マルヴィンは、無表情のまま頭を下げた。
「いいえ、陛下。彼らは他者と関わらず、自らの課題を自らの力で解決しているわけです。本研究区は、未来を切り開く“特別区”にございます。
「王研本来の姿とは、時に異なる形を取っているだけでございます……」
イーサム王の表情が、さらに険しくなった。
「……ラマズド。私は御前会議で、はっきりと命じたはずです。特別研究区を廃止し、研究情報を共有せよと」
国王の声が、低く響いた。
「しかし、ここで目にしたものは何ですか。研究情報は隠され、研究員たちは生気を失い、生命の尊厳すら軽んじられている……」
ラマズドの表情が強張った。
「陛下、それは……」
「弁明は無用だ!」
国王の一喝が、研究室に響き渡った。
「王令に背き、私の命を反故にしたことは明白。もはや、あなた方に王国の未来を託すことはできぬ」
国王はリヴァンとラマズドを鋭く見据えた。
「リヴァン・カイザ首相。ラマズド・ラドメル・ズドーラ科学技術長官。
両名を、この場をもって……」
その瞬間だった。
リヴァンの眼が、赤黒い光を帯びた。
その視線が、イーサム王の瞳を射抜いた。
「……っ!」
国王の身体が、びくりと震えた。
視界が大きく揺らぎ、足元から崩れ落ちていくような感覚に襲われた。
先ほどまで胸を満たしていた怒りの感情が、何者かによって吸い取られるように、
急速に薄れていった。
「陛下!」
バルティスが慌てて駆け寄り、国王の身体を支えた。
「……何だ、これは……」
国王は額に手を当てた。
ほんの数秒前まで確かだった意識が、まるで深い霧に包まれるように霞んでいった。
(……私は、何を言おうとしていたのだ……?)
思い出そうとしても、考えがまとまらない。リヴァンとラマズドを罷免しようとしていた、その強い決意さえも、意識の奥へと沈んでいった。
そのとき、リヴァンが静かに前へ出た。
「陛下。少しお疲れのご様子です」
その声には、動揺の欠片もなかった。
「FR6室にて、陛下の大切な方がお待ちです」
イーサム王は、ゆっくりと顔を上げた。
「……私の、大切な者……?」
リヴァンは、静かに微笑んだ。
国王は何かを問い返そうとした。しかし、言葉が浮かばない。
ただ、リヴァンの言葉だけが、不思議なほど自然に胸へ染み込んでくる。
「……そうか。わかった」
国王は、虚ろな眼差しで頷いた。
その様子を見届けたリヴァンの口元が、わずかに吊り上がった。
マルヴィンは、その表情に気づき、一瞬だけ視線を揺らした。
「では、こちらへ。この先の階段を下った最深層にございます」
リヴァンは静かに身を翻した。バルティスは国王の身体を支えながら、その背を追った。
一行は、さらに深い地下へと歩みを進めた。
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# 感想 うわ、この特別研究区、雰囲気が完全にヤバいやつだ…!地下に潜るごとに静けさと冷たさが増していく感じ、国王の「胸騒ぎ」も納得。ジン博士がわざと外されたみたいなのも気になるし、「研究の邪魔をしないでください」って国王に言い放つ研究員とか、「あと一体で選ばれる」って呟くやつとか、全員なんか憑りつかれてない?あの赤い標語も含めて、この研究区、絶対何か闇抱えてるわ…リヴァン首相の最後の「陛下の大切な方がお待ちです」がめっちゃ不気昧で続きが気になりすぎる🔥