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#ハッピーエンド
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三十四階層の夜は、焚き火のはぜる音と、寄せては返す波音が溶け合っていた。
薄雲越しの月明かりと、吊るされたランプの灯り、焚き火の炎が、野営地に三色の光を落としている。濡れた砂と岩場が光を受け、揺れる影が長く伸びた。
じゅうう、と肉の焼ける音が夜を割る。脂が弾け、立ちのぼった煙が潮の湿りをまといながら香ばしさを運んだ。
「できたぞ」
ダリウスが笑顔で振り返る。
「キタ! キタ!」
ミラはよだれを拭うのも忘れ、椅子の上でぴょんと跳ねた。魔導書を読んでいたエドガーが「ほう」と立ち上がり、丸くなって居眠りしていたオットーも「んあ?」と目をこすりながら起き上がる。
皿が、即席の木のテーブルに次々と並べられていく。
「ハンバーグ!!」
ミラの目がランプの光を弾き、フォークとナイフを握った両手がきゅっと前に出る。背筋まで伸びて、完全に“臨戦態勢”だ。
皿の上には彩りの良いサラダと、丸く盛り上がったハンバーグ。表面にはこんがりとした焼き色がつき、上からとろりとしたソースが艶の筋を描いていた。近づけた鼻先に、酸味を含んだ香りが先に届く。
「いただきまーす!」
ミラが勢いよくナイフを入れる。さくり、と表面が割れた瞬間、中から熱でとろとろに溶けたチーズがゆっくりと溢れた。白と黄色の境目がぐつぐつ泡立ち、肉汁と混じって皿の縁へ流れていく。
「……これはまた、暴力的な見た目ですね」
エドガーが喉を鳴らした。
「美味けりゃなんでもいいんだよ」
オットーがへっへっへと笑う。
「本当に味、わかってるんですか? あなた、九割が“量”で判断してません?」
「バカ野郎」
オットーが自分の腹を、どん、と叩いた。三段腹がぷるんと揺れる。
「酒と飯に関しては俺はうるさいんだ。この腹が証拠だ」
あまりにも真剣な顔で言うものだから、
「そんな真剣に言わないでくれ、信じてるから!」
ダリウスが腹を抱えて笑い出した。
「ふっふっふ……さすがオットーね。じゃあ、これも食べる?」
ミラが得意げに袋をごそごそ漁り、一粒の丸いものをつまみ出す。指先の油が光った。
「お?」
「サハギンの目玉か!!」
オットーの目が見開かれた。
「酒のつまみに合うんだ! わかってきたじゃねぇか、ミラ!」
「お酒は、一日二杯までですよ」
エドガーが釘を刺すようにさらりと言う。
バカみたいで、くだらなくて、どうでもいいことで笑い合う時間が、焚き火のまわりに広がっていく。ミラは肉を頬張ったままむぐむぐ喋り、エドガーは真顔で突っ込もうとして結局笑ってしまい、オットーは「この腹が証拠だ」と胸を張る。ダリウスは肩を揺らして笑い、火加減を確かめる手だけは休めない。
焚き火の火花がぱちぱち弾け、そのたび四人の影が砂の上で揺れた。
その輪の、少しだけ外側。
エリーだけが、そこに加わらなかった。
焚き火から離れた岩に腰をかけ、干し肉をつまんでがりりと齧る。噛む顎だけが動き、喉は一度も鳴らない。口の中の味を確かめる仕草もない。
目の前には闇に沈む海。月の光を受けた波が白い線を引き、寄せては返すたびに光が砕けた。
エリーの瞳は、その砕ける白を追っていない。視線が固定されたまま、瞬きだけが遅い。
エドガーが、焚き火の輪からそっと離れた。
砂を踏む音をできるだけ殺し、岩の方へ近づく。月の淡い光が、干し肉を齧る横顔の鼻筋を細く縁取っていた。
「今日も一緒に食べないんですか?」
すぐ後ろまで歩み寄り、エドガーはできるだけ柔らかい声で問いかける。
エリーは振り返らない。
短くも長くもない沈黙。波の音だけが、二人の間を往復した。
干し肉が、歯の間で小さく裂ける音がした。エリーはそれを飲み込まず、しばらく頬の内側に留めたまま、喉の奥で息を押し出した。
エドガーはそれでも微笑みを崩さない。
「ダリウスのご飯は、とても美味しいんですよ。それから、みんなで笑い合って……」
ちらりと焚き火の方を振り返り、肩をすくめるように続ける。
「……実は、私はこの時間が好きでして」
エリーの指先が、干し肉をつまむ位置をわずかにずらした。岩に置いた膝の上で、爪がきゅっと立つ。
「私は嫌い」
ぽつりと落ちた声は、海の方へ落ちていった。波にかき消される前に、耳にだけ残る。
エドガーは軽く肩をすくめる。
「そうですか……」
笑みは保ったまま、目元だけがわずかに揺れた。
「……すいません。余計なことでしたね」
背を向けかけた、その時。
「あなたがいちばん、困るのよ」
鋭い声が飛ぶ。
エドガーの足が止まる。砂が靴底で、きゅ、と鳴った。
「……私の気持ちに、ずかずか入ってこないで」
ピシャリと打ちつけるような声音。エリーは干し肉を握り潰しかけ、指先が白くなる。口に運ぶ手が止まり、唇の端がほんのわずかに震えた。
エドガーは少し目を伏せ、それからまた顔を上げた。
「そうですか……」
微笑みは崩さない。だが、その笑みはさっきより薄く、置き場所を失ったみたいに宙に残る。
「……失礼しました」
それだけ言うと、今度こそ背を向けた。焚き火の方へ戻っていく背中は真っ直ぐで、足音の間隔も変わらない。
エリーはその背中を追わない。闇の海を睨みつけるように見たまま、吐き捨てる。
「だから嫌なのよ……」
風が岩肌を撫で、髪の先を揺らす。顎の端に残っていた雫が一つ、落ちた。砂に触れる前に、潮風にさらわれる。
焚き火のそばで、ダリウスは食器を洗っていた。
木皿にこびりついたソースを布でこそげ落とし、水桶にちゃぽんと沈める。皿と皿が擦れ合う、かさり、という乾いた音が繰り返される。焚き火の笑い声は背中側から届くのに、手元の音だけが妙に近い。
桶の水面に、揺れる炎が映る。そこへ皿を入れるたび、炎がちぎれて散った。
(オットーもエドガーも、新しい力をつけて……確実に、攻撃のパターンは増えた)
縫い合わされたウツボの口。爆ぜた斧の軌跡。糸の帯が自分の腰を引いた感触。砂を擦って転がった瞬間の、喉に刺さった潮の匂い。
(じゃあ俺は、なんだ……)
今日、息が上がった瞬間。尾が迫り、呼ぼうとした声が詰まった瞬間。引き戻されて砂を噛んだ瞬間。
桶の中で器がぶつかり合い、鈍い音が一つ鳴る。ダリウスの指が止まった。次の皿を取ろうとして、空を掴む。
彼は布を握ったまま、突然自分の頬をぱしんと叩いた。
「……っ」
痛みがじんと広がり、息が一度だけ深く入る。肩が落ち、指先がまた動いた。
皿をすすぎ、拭き、重ねる。木の縁を指でなぞり、欠けがないか確かめる。
(いかんいかん。考えすぎるのが、俺の悪い癖だ)
布で水気を拭き取る手つきが、少しだけ丁寧になる。
(もう若くない。若い頃みたいに、全部一人でなんとかしようとするな)
焚き火の方から、ミラの笑い声が跳ねた。オットーの太い笑い声が重なる。エドガーの「それは違いますよ」が続き、ダリウスの手元にも、ふっと呼吸が戻る。
皿を一枚、静かに重ねる。
(無理をせず、少しの歩みでいい。わずかでもいいんだ)
次の皿を拭きながら、笑い声の方へ一瞬だけ目を向ける。炎の向こうで、ミラがチーズを伸ばしているのが見えた。
(一歩、一歩……進もう)
言葉を飲み込み、手を動かし続ける。
賑やかな輪の笑いは変わらず温かい。だが、その輪の外側では、海を見つめたままの背中が一つあり、洗い桶の前では、拭いたはずの布が何度も同じ皿をなぞっていた。