コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
猛暑の盛りも過ぎて、夕暮れにはどこか涼しさが混じるようになった頃
店に兄が訪れた。
見慣れた顔に一瞬驚いたけど
すぐに「ああ、またか」と呆れたような気持ちになったのは
兄の纏う空気がいつにも増して「可愛い弟を見に来たぞ!」というブラコンオーラを放っていたからだ。
案の定、兄は僕の働く様子を満足げに眺めた後、突然切り出した。
「楓、今週末、8月31日。この辺りで大きな花火大会あるらしくてさ。一緒に行かないか?」
突然の誘いに、正直少し戸惑った。
「え、夏祭り?そんな急に言われても俺浴衣とか持ってないし……普通に普段着でいい?」
僕がそう言うと、兄はフッと鼻で笑って得意げに胸を張った。
「安心しなさい。それならお兄ちゃんがちゃんと用意しといたから」
語尾に星マークが着きそうなその言葉に、思わずため息をついた。
(…用意周到すぎでは?)
心の中でそう呟きながらも
兄は一度言い始めると引き下がることはない
結局俺はその誘いを受けることにした。
◆◇◆◇
そして迎えた夏祭り当日
兄が用意してくれたサイズも誂えたようにぴったりの浴衣に袖を通し
待ち合わせ場所で兄と合流した。
兄は俺の浴衣姿を見るなり
「うおぉやっぱりいいじゃんか!こんなに可愛い男
お前ぐらいだよ楓…可愛すぎてずっと部屋閉じ込めておきたいぐらい……っ」
なんて、気持ちの悪いことを連発する。
どうやら祭りを楽しむことよりも、俺の浴衣姿をめ称えることの方がメインらしい。
「その発言、第三者が聞いたら通報されかねないからマジでやめて」
祭りの会場に入ると、兄はまるで専属カメラマンになったかのように俺の後を付き纏い
あれこれとポーズを指示してはスマホで写真を撮りまくってくる兄に苛つきつつ
顔を隠すように手のひらをカメラに向けた
「いい加減写真ばっか撮ってないで前見て歩いて?
事故に巻き込まれたら兄さんのせいだから」
「笑いながら怒ってるじゃん…は一悲しい」
そうやって人混みを縫って歩いていると
ふと、見覚えのある顔を見つけた。
以前、岩渕に誘拐された時に、すぐ隣に居た少年
だ。
確か14歳くらいだったと思う。
驚いて声をかけると、少年はこちらに気づき
どこか怯えたような、それでいて縋るような目を向けた。
話を聞けば
「家を追い出され、親に捨てられた」という。
「名前、聞いてもいい?」
男の子に聞くと「たっ、田沼…巴」
と小さく答えた。
横にいた兄が「でもなんで祭りの会場に?ここまで歩いてきたの?」と腰を曲げて聞くと
巴くんは「暗かったから…暗いとこ怖くて……明かりがあるところまで走ってきたんだけど、スマホしか、持ってなくて……」
と言い、走って来たからなのか、お腹からぐ〜〜っという音を鳴らした。
「巴くん、一緒に祭り回る?色々食べ物の屋台もあ
るし」
祭りの賑わいから切り離されたような、途方に暮れた様子の彼を俺は放っておけなかった。
「え……?でも僕お金持ってなくって…」
それは兄も同じなのか
「そんなん俺が買ってあげるって、ほら、あっちに焼きそばとかたこ焼きあるから行ってみよ!」
それから三人で祭りを歩き始め
焼きそばやチョコバナナを買い食いしながら
射的やくじ引きなんかをしているうちに巴くんとはすんなり打ち解けることができた。
そうしてしばらくした頃、遠目に知り合いの姿を見つけた。
長身で目を引く二人組、仁さんと将暉さんだ。
(あれ、仁さん?)
「おーーい、仁さーん…!」
俺が手を振って声をかけると、仁さんはこちらに気づいて
一瞬目を見開いた。
少し驚いたような顔をして将暉さんと共に近づいてきた。
「か、楓くんも来てたんだ?」
隣にいた将暉さんも、俺と兄、俺の隣に立つ見慣れないくんの顔を見て首を傾げた。
「そちらは?」と、将暉さんがうちの兄に向かって手の平を向けて聞いてくると
兄は陽気に「楓の兄で一す」とお祭り気分で答える
それに対し
将暉さんはいつものチャラ加減で
俺と兄の顔を交互に見て
「兄弟で祭りとは仲良いね~」と言ってきて
調子に乗って
「ははっ、そう見えますー?ラブラブですから」
と笑う兄の腹に俺は軽く拳を入れ
「違いますただのブラコンです気にしないでください」
と満面の笑みで訂正した。
「ん?その子って?楓ちゃんの弟?」
「あっ、この子は…」
そう言って、俺は少年との出会いから
親に捨てられてしまったらしい彼の事情までを掻い摘んで説明した。
話を聞き終えた二人
将暉さんが顎に手を当てて考え込む素振りを見せた後、提案してくれた。
「あー、じゃあ俺の会社で担ってる孤児院くる?
Ω保護施設とかカウンセリングルームとかもあるからさ、そこ連れて行った方がいいかもしれないな」
「安全な場所に保護できるし、専門家にも診てもらえる」
それは確かに、巴くん一人でどうにかするよりもずっと良い選択肢だ。
兄も俺も頷き、話がまとまりかけた
その時だった
将暉さんの言葉を聞いていた巴くんは
αであるにさんと将暉さんの二人を前にフルフルと震え始めた。
見開かれた瞳には、はっきりと恐怖が宿っている。
巴くんは何かから逃れるように胸にギュッと抱きつき
消え入りそうな声で「αは嫌だ…っ」と呟いた。
その小さな肩は小刻みに震え、瞳には涙が滲んでいる。
突然の彼の反応に、将暉さんはバツが悪そうに苦笑いして
「あー…ごめん。怖がらすつもりじゃなったんだけどな……」
と優しく声をかけてくれた。
だけど、巴くんの震えは止まらない。
その様子を見た僕は、胸が締め付けられるような痛みを感じた。
無理もない、あのときαの男に強姦されたんだ
俺と深刻度が違うとは言えど
まるで、過去の自分を見ているようだった。
αというだけで体が硬直し、全身が拒絶反応を起こす。
あの時の、どうしようもない絶望感と恐怖。
俺はそっと巴くんの肩に手を置き
しゃがんでその小さな体と目線を合わせた。
「そんなに怖がらなくても大丈夫だよ」
「αでも、君に酷いことしてきた連中とは違うよ」
優しく頭を撫でてそう言うと
巴くんは、涙で潤んだ瞳で縋るように俺を見つめてきた。
「本当に…?」
俺は力強く頷いて
「ただ、助けようとしてくれてるだけ。
ですよね?将暉さん」
将暉さんの方に視線を送り、そう聞くと
将暉さんは、巴くんの怯えた様子と、僕の問いかけをしっかりと受け止めてくれた。
その表情に、先ほどの苦笑いはなく、真剣な光が宿る。
「もちろん、楓ちゃんの言う通り、安全なところに保護したいだけだよ。」
将暉さんが柔らかい声でそう言うと
さらに安心させるように、俺は付け加えるように言葉を続けた。
「巴くん、よく聞いて」
「ちゃんとΩを一人の人間として考えてくれるαもいるし、ここにいる二人は、少なくともそういう人間だよ」
「くるしいこと、しなくていいの……っ?」
「大丈夫、もうあんな暗闇に行くことはないし、そんな非道な人たちじゃないよ。だから、信用してみて」
背中を撫で、そう言い切ると
巴くんはしばらくじっと俺の顔を見つめていた。
怯えと迷いと、言じたいという思いが、その瞳の奥でせめぎ合っているのが分かる。
しかし、彼はほんの少しだけ
腕に込めていた力を緩め
俺のシャツを掴む小さな手が、わずかに震えながらも落ち着きを取り戻していった。
「………っ、楓お兄ちゃんが、言うなら…」
か細い声でそう呟いた巴くんに、俺はもう一度力強く頷いた。
「そうだよ、きっと大丈夫。」
それを受けて、将暉さんがふっと表情を和らげ
「よし、じゃあせっかくだし、みんなでこの後ちょっとお祭り回ってみる?せっかく来たんだし、少しでも楽しい思い出作れた方がいいでしょ」
と提案してくれた。
その提案には兄も「それいいね」とすぐに乗ってくれて、仁さんも「賛成」と笑った。
最初は戸惑っていた巴くんも、俺や兄が隣にいることに安心したのか、小さく「うん…っ」と返事をした。
こうして、妙な組み合わせの五人で夏祭りの屋台を回ることになった。
巴くんはまだ少し緊張している様子で、俺は兄の体の影に隠れるようにぴったりとくっついていた。
将暉さんやさんが話しかけても、最初は小さな声でしか返事ができなかった。
しかし、射的で仁さんと将暉さんがコルク銃を構える真剣な横顔を見たり
たこ焼きの湯気を見て仁さんが嬉しそうな顔をしたりするうちに
巴くんの表情は少しずつ和らいでいった。
将暉さんは子供慣れしているのか
巴くんに優しくゲームのルールを教えてくれたり、取れた景品を渡してくれたりした。
仁さんは口数は少ないけれど、巴くんが興味深そうに屋台を見ていると
そっと指差して「あれ食う?」「一緒にやるか」と促してくれた。
二人が、決して巴くんを急かしたりせず
怖がらせたりしないように、細心の注意を払っているのが伝わってくる。
その優しさに触れるうちに、巴くんの中のαへの恐怖心が、少しずつだが溶けていってるんじゃないかとも思う。
そして、とあるお面屋台の前を通りかかった時
ふと、仁さんの真横に立った巴くんに、俺は悪戯っぽい笑みを浮かべて耳打ちした。
「ね、巴くん。このおじさ……ゴホッゴホッ、お兄さんも、怖いの外見だけだから。話すと意外と面白いんだよ」
すると、すかさず仁さんが
「いま楓くん俺のことオジサンって言わなかった?」と食いついてきた。
「え?ま、まさか、気のせいじゃないですか?」
「絶対言いかけた、てか俺ってそんな外見怖い?」
「怖いというか…覇気が出てるだけかと!」
「それ怖いってことにならないか?」
「ええ…なんか、こう、百獣の王みたいな?」
「ふっ…なにそれ」
「いや、8月10誕生日だし野獣先輩っていう方が正しいかも…?」
「いや、それただの淫夢だから」
「あっ、このネタ通じるんですね」
「ったく、楓くんってば…」
俺と仁さんのそんなくだらないやり取りの間に挟まれたくんはというと…
それまでずっと緊張で強張っていた顔が、ふっと緩んだかと思うと
「はは……っ」と小さな笑い声を漏らしたのだ。
仁さんと将暉さんは、巴くんのその笑顔を見て
驚いたような、そして心底ホッとしたような表情を浮かべていた。!
巴くんの笑い声は小さかったけれど、それは確かに、彼の心が開かれ始めている証だった。
かくいう俺も巴くんの笑顔を見て、胸の奥が温かくなるのを感じた。
夏祭りの賑わいが徐々に落ち着きを見せ始める頃
遊び疲れた巴くんは
僕の腕の中で完全に寝息を立てていた。
彼の顔には、先ほどの怯えの色はなく、穏やかな寝顔が広がっている。
「寝ちゃったか」
巴くんの寝顔を見た将暉さんが、優しそうに目を細めた。
「助かりました、本当に。巴くん、最初は怖がってたけど、将暉さんたちのおかげで笑顔になって…」
「安心してくれたんなら結果オーライかな。」
そう言い、将暉さんは眠る巴くんを見て
「このままタクシーで孤児院まで送っていくよ。夜も遅いし」
付け足すようにそう言ってくれた。
「ありがとうございます。お願いします」
兄さんと二人で頭を下げる。
将暉さんは慣れた手つきで巴くんをそっと抱き上げ、おんぶするように背中に乗せた。
小さな体が将暉さんの大きな背中にすっぽりと収まっている。
「じゃ、俺たちはこれで。また連絡するよ」
将暉さんはそう言い残し、巴くんを背負ったまま
人混みを掻き分けてタクシー乗り場の方へ向かっていった。
その後ろ姿を見送りながら、俺の心には温かい安堵感が広がっていた。
巴くんのことが一段落つき、さて俺たちも帰るか、ということになった。
兄さん、仁さん、そして俺の三人で、来た道を戻り始める。
祭りの熱気はまだ残っているものの、通りは家路を急ぐ人々で混雑していた。
三人並んで歩く
兄さんは少し前を歩き、仁さんと僕はその数歩後ろを並んで歩いていた。
昼間は賑やかだった通りも、この時間になると少し静けさを取り戻し始めていた。