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12月に入った途端、俺がたった一人で営む小さな花屋「陽だまりの向日葵」は
まるでクリスマスツリーの飾りが一斉に点灯したかのように、突如としてその輝きを増した。
店の窓を飾る煌びやかなリースは、夜になると小さな電飾が瞬き
エントランスに置かれた真っ赤なポインセチアの鉢は、街行く人々の視線を吸い寄せる。
同時に、俺の日常は一変して師走の嵐に巻き込まれた。
穏やかに流れていた時間が、まるで激流に飲まれたように加速していくのを感じた。
クリスマスパーティーを彩るための、華やかで贅沢なバラとカスミソウの豪華なアレンジメント。
年末の挨拶として贈られる、凛とした胡蝶蘭や、縁起の良い松を添えた上品な鉢物。
そして、お歳暮に添える愛らしいシクラメンや、冬の季節感を演出する色とりどりの花々。
花屋にとって、この時期は一年で最も華やかで、同時に最も過酷な戦場と化すのだ。
この小さな花屋のすべてを俺一人で回している以上、その重圧は俺の肩にずっしりと乗しかかっていた。
普段は昼過ぎにようやく客足が落ち着く静かな店内に、今は朝から晩までひっきりなしに人の出入りがある。
まだ夜の帳が色濃く残る午前7時
店のシャッターをガラガラと開ける頃には、すでに俺の携帯電話がけたたましく鳴り始めている。
立て続けにかかってくる注文の電話に対応しているうちに
開店時間になると同時に店先にはすでに何人もの客が列をなしていることさえあった。
息つく暇もなく、時間の流れが普段の何倍にも加速しているように感じていた。
睡眠不足で重たい瞼を無理やりこじ開け
鏡に映る自分の疲労困憊した顔を見て、思わずため息をつく。
疲労はすでに骨の髄まで染み渡り、肩から背中にかけては鈍い痛みが常につきまとっている。
しかし、立ち止まることは許されない。
一本、また一本と、花を束ね、アレンジし、水を替え、電話に出る。
「はい、陽だまりの向日葵です。……白と赤のポインセチア、大鉢で三つですね!承知いたしました。発送は、はい、明日の午前中ですね。はい、かしこまりました」
電話を左の耳と肩で器用に挟み込みながら、右手はすでに次のアレンジメント用の真っ赤なバラを迷いなく束ねている。
親指の腹でトゲをそぎ落とし、素早くラッピングペーパーを広げる。
その指先は、一日中冷たい水に触れ
硬い茎を扱うことでひび割れ、ところどころは赤く腫れ上がっていた。
水仕事のせいで乾燥した肌は荒れ放題だ。
絆創膏を貼る暇もなく、荒れた指先は荒々しく花材に触れていく。
それでも、不思議と花の感触だけは指が覚えていて、滑らかな花びらの手触りや、ずっしりとした茎の重みを感じ取る。
店の奥にある大きな作業台は、もはや花材の小山と化していた。
色とりどりのバラ、カーネーション
そして冬に咲き誇るチューリップが色鮮やかなグラデーションを描き
ユーカリやモミの枝ものが爽やかな香りを放っている。
さらに、様々な色のリボンや透き通るようなラッピングペーパーが、まるで店の床面積が倍になったかのように所狭しと並べられている。
足元には、切り落とされた葉や茎、そして花びらが、まるで雪のように散らばっている。
忙しさにかまけて掃除をする暇もなく、時折
客が花を踏んで滑りそうになるのを見ては
「ツルツルしてますから、気をつけてくださいね」
と声をかけ、またすぐに次の注文に取りかかる。
華やかな花の香りの奥には、湿った土や水の匂い
そして俺自身の疲労と汗の匂いが混じり合い
もはや何が何の匂いなのか、感覚が麻痺し始めていた。
感覚のすべてが、ただ「目の前の仕事をこなす」という一点に集中している。
開店から数時間が経ち、時計の針が正午に近づく頃になると
店の扉を押し開けて入ってくる常連客の顔ぶれもさらに増えていく。
「楓くん、いつものユリ、お仏壇に飾るのお願いね。大輪でお願い」
「急ぎで花束作ってほしいんだけど、間に合うかな?今日これから渡したいんだけどさ」
といった親しみのこもった声が飛び交い、俺は笑顔で応じる。
「はい、いつもありがとうございます、もちろんです!少々お待ちくださいね」
お客様一人ひとりに、少しでも温かい気持ちになってもらえるよう、精一杯の笑顔を向ける。
そんな忙しいやり取りの合間に、ふと、ある人の顔が脳裏に影を落とす。
仁さんだ。
以前は週に3度、いや、多い時には4度
必ずと言っていいほど店に顔を出してくれていたはずなのに。
いつも、昼下がりの少し落ち着いた時間帯、静かに扉を開けてふらりと店に現れては、決まって店の奥までやってきてくれた。
会計の時や、目が合ったときには
「今日も頑張ってるね、楓くん」
なんて優しい声で声をかけてくれたものだ。
その声を聞くと、どれだけ疲れていても、不思議と心が軽くなり、もうひと頑張りできる気がした。
あの温かい声と、いつも穏やかに微笑んでいた顔が、俺の心の支えになっていた。
最後に会ったのは、たしか9月の終わり頃だったか。
あれから三ヶ月、ここでは彼の姿を全く見なくなった。
(仁さん、前ならこの時間ぐらいに来てくれてたけど…今日はくるかな…)
そんな淡い期待が、忙しさの合間にふっと胸をよぎる。
しかし、期待はすぐに現実の仕事に押し流されていく。
次々と舞い込む注文を捌き、客の細かな要望に応え、時には花束の仕上がりを褒められてはにかむ。
「ありがとう、これで子供たちも喜ぶよ」
「おかげで素敵なクリスマスになりそうだわ」
そんな温かい言葉が飛び交うたびに、頭を下げる。
どんなに疲れていても、その言葉が今の俺を動かす唯一の原動力だった。
疲れた体を引きずりながらも、今日も一日、この花屋の灯りを絶やさずにいられる。
そのことに、俺は少しの誇りと、わずかな虚しさを感じていた。