第81話:イロハ家計簿の朝
朝のキッチン。
まひろの母は、エプロン姿で
湯気の立つ味噌汁をよそいながら、
スマホサイズの家計端末〈カチョ〉を指でなぞっていた。
まひろは水色のTシャツに黄緑の短パン。
寝癖がぴょこんと飛び出し、まだ片目がとろんとしている。
「おかあさん、その画面なに見てるの?」
母はやわらかい声で微笑んだ。
「家計のまとめよ。ほら……今日はイ枠が多かったの」
まひろは首をかしげて近づき、背伸びして画面をのぞきこんだ。
端末には、昨日のスーパーでの購入記録が並んでいた。
・ミライタマゴ ロ枠
・未来柿 ハ枠
・協賛パン イ枠(夕方イ割)
値段はどこにも書かれていない。
代わりに、右上には淡い緑色で
〈今日の安心指数:ロ〉
と表示されている。
「……おかあさん、“イ枠”ってお金のこと?」
まひろが目をぱちぱちさせながら聞くと、
母はポットの蓋を閉め、ふんわり答えた。
「そうよ。大和国の家計簿は、むずかしい数字を見なくてもいいようにできてるの。
“イ枠=よくがんばった日”、
“ロ枠=ふつうの日”、
“ハ枠=ちょっと安心した日”。
そういうふうに見るのよ」
「でも……お金がいくら使ったか、知らなくていいの?」
まひろの声は無垢で、どこか心細い。
母は温かい手つきで、まひろの頭をなでた。
「ええ。心配しなくても大丈夫。
今の大和国では、“感じる”ことのほうが大事なの。
お金の数字にふりまわされるより、今日の過ごし方を安心することが一番って言われてるわ」
その瞬間、〈カチョ〉の画面がふっと明るくなった。
〈支出:順調です〉
〈今日の過ごし方:イ → 朝食
ロ → 外出
ハ → 休息〉
まひろは画面をじっと見つめた。
「……なんで、過ごし方まで決めてくれるの?」
母はカップを並べる手を止めず、ゆっくりと答えた。
「みんなが安心できるように、よ。
ほら、考えすぎると疲れちゃうでしょ?
だから“イロハの順番どおり”で動くと、一日がちゃんと流れるの」
まひろは唇を噛んだ。
「でも……もしハ枠ばっかりになったら?」
母は少しだけ間を置き、
優しい声で言った。
「ハはね、“休めば大丈夫”ってことよ。
お母さんも昔はハが続いたことがあるけど、
そのときは“安心相談”の人が家に来てくれて、
“どう暮らしたいですか”って聞いてくれたの」
それは本当の優しさなのか、
ただの監査なのか——
まひろには判断できなかった。
まひろは小さく呟いた。
「……お金って、むずかしいんだね」
母は笑顔で返す。
「ええ、むずかしいの。
だからこそ、大和国のやり方は“安心でやさしい”のよ」
その言葉に、
壁に埋め込まれた翡翠核端末が淡い緑で応えた。
静かに脈打つ光の中で、
イロハはまたひとつ、
まひろの世界を形づくっていった。







