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転勤初日の朝。
俺は港町の県警捜査一課・特別捜査係のドアを押し開けた。
中は思ったより静かで、電話の呼び出し音だけが響く。
何人かの刑事がパソコンに向かい、こちらに視線を寄越すが、すぐに戻す。
歓迎ムード……ではない。
「三木誉です。本日付けで配属になりました。よろしくお願いします。」
俺が軽く頭を下げると、課長が書類を一枚差し出してきた。
「これ、今回の担当だ。ざっと目を通しておけ。」
受け取った瞬間――頭の奥が焼けるような痛みに襲われた。
視界が歪み、紙の向こうに別の光景が浮かび上がる。
血の臭い。泣き叫ぶ女性。暗い倉庫の壁に飛び散った赤黒い染み。
そして、冷たい視線を持つ誰かの後ろ姿――
「……っ」
呼吸が荒くなる。紙を放り出し、トイレに駆け込む。
冷たい水で顔を洗い、鏡を見る。
蒼白な顔。……いつものことだ。
深呼吸をして、何事もなかったように席へ戻る。
昼、休憩室。
刑事たちが弁当を広げ、談笑している。
俺は端の席で黙々と食べていたが、耳に入ってくる言葉に箸が止まる。
「……また藤堂さん、一人で現場行ったらしいぜ。」
「相変わらずだな。あの人、普通の捜査って知らねぇんじゃないか?」
「でもよ、未解決事件を全部解決してきたんだろ? マジ伝説だわ。」
「伝説っていうか……あれはもう、人間じゃねぇな。」
藤堂――聞き覚えのない名前。
だが、刑事たちの声色には畏怖と好奇が入り混じっていた。
午後、課長が俺の席に来た。
「三木、しばらくは通常業務をやってもらう。少なくとも一週間は、こっちのペースを覚えてくれ。」
「了解しました。」
その時だった。
廊下の向こうから、ゆっくりと男が歩いてきた。背筋を伸ばし、重い足取りでこちらの前を横切る。
誰も声をかけない。
ただ、空気が一瞬で重くなる。
あれが……藤堂定久か。
――もっと年上かと思った。
聞いていた話では50歳だというのに、若々しく引き締まった顔立ちはどう見ても三十代にしか見えない。
そのギャップに、思わず息を呑んだ。
俺は一瞬だけ視線を交わしたが、すぐに逸らした。
この人と関わることはないだろう――そう思い、俺は机に向かい、仕事を始めた。