テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
馬場の熱意に負け、奈緒子はついにボイスレコーダーの音声を聞くことを決意した。
再生された音声に耳を傾けた瞬間、奈緒子は息を呑んだ。
そこから聞こえてきたのは、紛れもなく父の声だった。
「最初は信じられなかった・・・」
奈緒子は静かに語る。
「でも話している内容が『凶弾に倒れた』とか
『死ぬ瞬間を見せてしまった』とか
明らかに死後の話だったから・・・」
それは、生前に録音されたものではあり得ない内容だった。
信愛は奈緒子の話を聞き、ようやく腑に落ちたように頷く。
「だから本物だと思ったわけですね」
「ええ・・・」
そこで朝陽が口を開いた。
「これで謎が解けましたね」
「謎?」
茜が首を傾げる。
「さっき話したじゃないですか」
朝陽は馬場へと視線を向けた。
「レコーダーの音声をバス会社の人と
遺族が本物だって認めなかったら
どうするつもりだったんだろうって」
その言葉を聞いた焔垂が、合点がいったように声を上げる。
「事前に聞かせてた訳か」
馬場は当然のことのように答えた。
「世間に公表する前に、まずは
バス会社の人間と遺族だからな
許可をもらう前に、あんな記事出せねーよ」
つまり馬場は、世間に音声を公開するより先に、関係者たちへ事実を伝えていたのだ。
奈緒子は静かに口を開いた。
「ですから私は記事と音声の公表をお願いしたの」
そして、どこか呆れたような、それでいて愛おしそうな表情を浮かべる。
「でも・・・父らしいわ」
奈緒子の脳裏に、父の声が蘇る。
「人の死に際を見せて申し訳ないだなんて」
小さく息を吐き、奈緒子は苦笑した。
「まったく・・・」
「奈緒子さん・・・」
信愛が心配そうに見つめると、奈緒子は穏やかな表情を向けた。
「それから馬場さんにあなた達の事を聞いたのよ
あなた達が居たから、父の声を聞けたんだって」
その言葉に、焔垂は納得したように呟く。
「なるほど・・・」
奈緒子は信愛たち一人ひとりの顔を見つめた。
「だから一度会って、お礼を言いたかった」
そして、優しく微笑む。
「ありがとうね」
一瞬、声を詰まらせるようにしてから、奈緒子は続けた。
「みんな・・本当に・・・ありがとう」
#普通
野々さくら
543
805
44
ありあ
159
そう言って、奈緒子は深々と頭を下げた。
「いえ・・そんな」
信愛は戸惑いながら答える。
自分たちは、ただ真実を知りたくて動いただけだった。
それでも、その行動が一人の娘に、もう二度と聞くことのできないはずだった父の声を届けたのだ。
しばらくして、奈緒子がゆっくりと顔を上げた。
「正直私はね?」
その表情から、先ほどまでの柔らかな笑みが消える。
「父の死が重荷になってしまってたの」
「重荷?」
朝陽が聞き返した。
奈緒子は静かに頷く。
父は、多くの乗客を救うために自らを犠牲にした。
世間から見れば、英雄だった。
しかしそれが奈緒子にとっては、いくら振り払おうとしても振り払えない重荷だった。
「お前の父は乗客の為に
その身を犠牲にした英雄なんだから
お前もそんな父に恥じない人間になれ
って・・周りからそう言われ続けてたの」
信愛は何も言えなかった。
「それが重荷だった」
奈緒子の声に、長い年月をかけて積み重なった苦しみが滲む。
「私はお父さんじゃない!」私は私だ!
って反抗してグレた時期もあったりしたわ」
茜たちは黙って奈緒子の言葉に耳を傾けていた。
「なんで家族より他人を優先するのよ!
って父を恨んだ時だってあったわ・・」
父を英雄と称える世間とは反対に、奈緒子は父を恨んだ。
乗客を救った英雄。
けれど、奈緒子にとってはたった一人の父親だった。
英雄として語られるたびに、父を失った娘の悲しみだけが置き去りにされていくようだった。
だが──。
「でも父は私たちを忘れ訳じゃなかった」
あの声を聞いて、ようやく分かった。
死の間際まで、父は家族を想っていた。
「そのことが知れてよかった」
奈緒子の表情に、穏やかな笑みが戻る。
「これも全部、あなた達のおかげ
まさか死後の父の声を聞けるなんて
夢にも思ってなかったわ・・・」
そして奈緒子は、もう一度信愛たちを見つめた。
「ありがとう・・・」
声が、わずかに震えていた。
「亡くなった母も喜んでるわ」
奈緒子はそう言うと、再び深々と頭を下げた。
その姿を見つめながら、信愛たちは何も言わなかった。
ただ静かに、その感謝を受け止めていた。
英雄と呼ばれた一人の男。
その最期の声が救ったのは、あの日バスに乗っていた人々だけではなかった。
長い年月、父の死を背負い続けてきた娘の心もまた。
時を越えて、ようやく救ったのだった。
信愛は、それ以上何も言えなかった。
父は死の間際まで、自分のことよりも他人のことを気にかけていた。
その事実こそが、何よりも奈緒子の知る父そのものだったのだろう。
やがて馬場が席を立った。
「じゃあそろそろ俺たちは行くな」
奈緒子の方へ視線を向ける。
「奈緒子さんを空港まで送ってくるからさ」
「あ、私たちも──」
信愛が立ち上がろうとする。
だが馬場は、すぐにそれを制した。
「いいっていいって」
そして笑いながら付け加える。
「ゆっくりしてな。つーか俺の車じゃ全員乗れねーから」
「あ、そっか・・・」
信愛が納得したところで、馬場は何かを思い出したように財布を取り出した。
「あとこれ──」
取り出した一万円札を、テーブルの上へ置く。
「これで好きな物注文して良いから」
「あ、いや、こんなに貰えませんよ」
信愛が慌てるが、馬場は気にするなと言わんばかりに笑った。
「いいって!君らには散々世話になったからな」
そして、一万円札を指先で軽く押さえる。
「せめてもの礼だと思って受け取ってくれよ」
「ありがとうございます」
茜が素直に礼を言う。
「食べ放題だと思ってたらふく食ってくれ」
馬場は豪快に笑った。
「釣りはいらねーからさ」
「ありがたくいただきます!」
焔垂が元気よく答える。
馬場は満足そうに頷くと、奈緒子へ声をかけた。
「じゃあ奈緒子さん、いきましょうか」
「ええ・・・」
奈緒子は席を立つと、信愛たちを振り返った。
「みんなありがとうね」
「いえ、とんでもないです」
信愛が微笑んで答える。
馬場も最後に振り返り、皆へ向かって手を上げた。
「じゃあみんな!また機会があったらな!」
そう言い残し、馬場と奈緒子は店を後にした。
信愛たちは、二人の姿が見えなくなるまで静かに見送っていた。
一人の男が死の間際に遺した声。
その声は長い時を越え、ようやく伝えるべき人のもとへ届いた。
そして今、長く止まっていた奈緒子と父の時間も、ようやく再び動き始めたのだった。
◇ ◇ ◇
馬場と奈緒子がファミレスを出たあと、残された信愛たちはテーブルを囲んでいた。
「なんか一万も貰っちゃったね」
信愛が、テーブルの上に残された一万円札を見ながら呟く。
茜は少し困ったように眉を下げた。
「お釣りはいらないって馬場さん言ってたけど
流石に申し訳ないからさ」
そして、もっともらしい顔で続ける。
「今度会えた時に返そっか」
その言葉に、焔垂が感心したように声を上げた。
「お!茜にしては常識的な言葉が出てきたな!」
「し、失礼ね!」
すかさず茜が言い返す。
そのやり取りを見ながら、信愛はテーブルの一万円札に目を落とした。
「でも茜の言う通りだよね・・・」
全員分の食事を頼んだとしても、さすがに一万円すべてを使い切ることは至難の業だろう。
「全員分頼んだとしても、4、5千円残るだろうし」
焔垂も苦笑しながら頷く。
「半分以上貰うのは、さすがにね・・・」
すると茜が、何気ない調子で口を開いた。
「それに雑誌記者ってそんなに
お金持ってるイメージないし」
「ちょ!茜先輩!それは言っちゃダメ!」
慌てて朝陽が制止する。
茜は一瞬きょとんとしたあと、自分の発言の失礼さに気づいたらしい。
「あ、これは失敬」
しんみりとしていた空気は、いつの間にかいつもの調子へと戻っていた。
コメント
1件
いやあ、もうグッとくる話だった……。英雄の娘としての重荷をずっと背負ってた奈緒子さんが、父の最期の声を聞いて「父は家族を忘れてなかった」って気づくシーン、泣けるわ。娘の視点から英雄を見直す構成が上手いし、馬場さんがちゃんと段階踏んで関係者に聞かせてたのも納得の誠実さ。一万円札を残して去る馬場さんの大きな背中も良かった。毎回思うけど、キャラの感情の置き方が丁寧で刺さる回だった🔥