とある古びた山寺から、尼の念仏を唱える声が流れている──。
「母上、そう、根を詰められますと、また、寝込みますぞ」
傍らで、若き僧が寝転がり、大あくびを繰り返す。
一心不乱といってもよい、祈りは、ピタリと止み、尼は「秋時!!!」と、叫んだ。
「いや、それは、俗名とかいうやつで、今の私には、なにやら、けったいな名前がついておりましたような」
言いながら、秋時はムクリと起き上がり背伸びした。
「あー、謹慎の末に、出家ですか、この秋時、もうー、退屈で、退屈で。父上もまた、酷なことをなさるわっ」
「ええ!恨みなされ!お前の父をもっと、恨みなされ!!」
両の眼を、カッと見開き、尼──、秋時の母、安見子《やすみこ》は言う。
「ったって、母上は、別に関係ないでしょうに。なにも、私と、共に、出家などなさらなくても」
秋時は、博打の為に、家の金を使い込み、それだけでは足りぬと、出仕の度に宮中から、些細なモノを失敬し、つぎ込んでいた。
その為、役を解かれたのだが、守近に泣き付き、穏便に、そして、表沙汰にならないようにしてもらっていた。無論、内大臣家へ、運び込んでいるモノを盾にして。
その、諸々が、内大臣と守近の手によって、秋時のせいにされた。
とはいえ、秋時一人で、ここまでのことを行えるはずもなく、琵琶法師一団に、怪しげな術をかけられ、操られていたなどと、子供騙しのような理由を付け、主犯は、あくまでも、琵琶法師であると、世をあざむいているのだが、知った、父、斉時《なりとき》は、怒り千万。
髭モジャが、言っとったわー!とか、叫び、秋時を、出家させたのだった。
「まったく、散々だよ。守近様なりが、助言され、とかなら、まだ、堪えられますよ。なんで、そこに、髭モジャが、出てくるのやら?!」
「そうなのじゃ!母も、そなたと一緒じゃ!あの、あの、大納言家さえなければ、いや、徳子《なりこ》さえ、おらねば、今頃は、一の姫君が、帝のご寵愛を一心に受けられていたはずなのじゃ!!」
ったってねぇ、髭モジャは、出てきてないし、そもそも、母上、あなたが、いつまでも過去の願望にすがってるだけでしょうが、と、父、斉時に、出家させら、都から離れた山寺で、日がな一日、母の愚痴を聞く羽目になってしまった、私の立場はと、秋時は、こっそりと、ぼやいた。
しかしながら。母の執念は、執拗で、どこに、そのようなものを隠していたのか、と、さすがの、秋時も、驚くばかりだった。
そして、徳子、徳子と、大納言、守近の正妻を、目の敵にしており、日々の、祈りも、なにやら、口にはできない、怪しく危険なもののようだった。
そもそも、何故に、あちらの、お方様?!
と、尋ねるのも恐ろしい形相で、ひたすら数珠を手に、ブツブツ言っている母の姿は、すでに、夜叉の域に達しているのでは?と、秋時は、思いつつ、みっちー、守ちゃん兄妹《きょうだい》にも、見せてやりたかったなあーなどと、どこまでも、秋時は、秋時だったりする。
「しかし、徳子も、あの歳で、子など……」
はあ、なんと、色に溺れたおなごだこと、と、安見子は呆れている。
「いや、しかし、めでたい、話では、ございませんか?」
と、呑気な事を言う、秋時に、母の激が、飛んだ。
「お前は、いったい、どちらの味方じゃっ!!」
「母上、どちらも、あちらも、秋時は、ただ、山寺へ行けと放り出され、ついでに、僧にさせられただけ。こんな生活、とことん、嫌になりましたよ」
「さても……」
いきなり粗末な引き戸が開けられて、
「……元を、潰す、という手があるが?」
「あれ、あの者に、そのような性根がございましょうか?」
ははは、ほほほ、と、秋時を見下すように、笑う者達が現れた。
「あっ!これは!」
安見子は、慌てて平伏する。
秋時も、うわっ、と、叫ぶ。
女人が外出する時に被り、顔を隠す、市女笠《いちめがさ》が、放り投げられた。
「これは、親方、いえ、琵琶法師様と、三条四つの姫!」
ささ、こちらへと、秋時は、二人の為に、座を用意する。
すたすたと、歩み、上座に用意された場所へ、琵琶法師は、腰を下ろした。
「姫君様は、お疲れでしょう。どうぞ、むさ苦しくはありますが、私の房へ」
安見子は、三条四つの君と、呼ばれた女人を誘った。
「では、法師よ、吾は、裏へ下がるぞ」
「ええ、その者を、使いなさりませ」
と、柔らかな声色で、琵琶法師は、言った。
「うむ、誰かのお蔭で、三条の、我が屋敷は、半焼。折角、法師を囲っておったのに。父上は、あれこれ、手を回し、誤魔化しに働かれておられるしのお、まったく、いい、迷惑じゃ」
こちらは、刺のある言葉で、秋時達を、いたぶってくる。
安見子は、ぶるぶる震えながら、我が子の失態、どうぞ、お許しをと、小さくなっていた。
「まあ、よいではないか、姫よ。お蔭で、面白くなってきた」
「おお、そうよのお、法師よ。都の者は怯えておる!」
「はい、そのようで。都を、火の海にされるとか。はて、こちらは、そのようなこと思いもしませんでしたのに……」
「ほほほ、願っておるのじゃ、その民達の、願いを、叶えておやり!」
「確かに、それも、一興!」
ほほほ、ははは、と、悪どい笑い声が、古びた、房《ぼう》に、響き渡った。
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