ベッドの上で身体を起こした瑠璃子はしばらくそのままの姿勢でいた。
大輔がラベンダーの丘の青年だとわかり瑠璃子は涙が止まらない。
あの時倒れた祖母の命を救ったのは当時医学生だった大輔だったのだ。大輔がいたお陰で瑠璃子の祖母は一命を取りとめた。
そして大輔は救急車に乗って病院まで付き添ってくれた。それだけじゃない。戻るとすぐに瑠璃子を心配してくれた。
そこで瑠璃子の瞳からはまた涙が溢れてくる。
瑠璃子のアルバムにあった夏の思い出の写真は全て大輔が撮影してくれたものだろう。父親のいない瑠璃子に夏の思い出を残してやろうと、あの日大輔はわざわざ自宅までカメラを取りに行った。そして何枚も写真を撮ってくれたのだ。
今までピースが欠けていたジグソーパズルが一つずつ埋まっていく。
更にその隙間を埋めようと瑠璃子は慎重に記憶を手繰りよせていく。
瑠璃子が次に思い出したのは祖母の葬儀での事だった。
あの時一命を取りとめた祖母は、その後何年も元気に暮らしていた。しかし瑠璃子が高校生3年生の時に他界する。
悲しみのあまり瑠璃子は葬儀の最中ずっと泣きっぱなしだった。参列者にきちんと挨拶が出来ない程取り乱していた。
そんな瑠璃子の事を少し離れた所から心配そうに見つめている男性がいた。
30歳前後のその男性が誰なのか、当時記憶をなくしていた瑠璃子には全くわからなかった。
しかしその男性は大輔だったのだ。
大輔はあの時瑠璃子に声をかけなかった。それは瑠璃子の記憶が消えている事を知っていたのだろう。
だから声をかければ瑠璃子がパニックを起こしてしまうかもしれない。そう思った大輔はその場で見守るしかなかったのだ。
そんな大輔の優しさに気付いた瑠璃子は更に激しく泣く。
瑠璃子の母が大輔をどこかで見た事があると言ったのもそれで説明がつく。母は祖母の葬儀で大輔と会っていたのだ。
そこでパズルのピースがまた一つ埋まった。
過去の記憶が一気に蘇ったので瑠璃子はかなり混乱していたが、考える事をやめなかった。
せっかく思い出したのだから全ての記憶を手繰り寄せたい。
そこで瑠璃子はハッとする。なぜならもう一つ新たな記憶を思い出したからだ。
それは瑠璃子がまだ看護実習生だった頃に遡る。
瑠璃子が実習に行ったのは以前勤めていた城南大学病院だった。その時受講した『北海道地域医療』の講義の講師が大輔だった事に気付く。
あの日講義を終えた瑠璃子は、混雑した廊下で人の波に押されて転びそうになった。それを助けてくれたのが大輔だった。
その時大輔に礼を言ったのを瑠璃子は今はっきりと思い出した。
あの時も大輔は何も言わずに立ち去った。瑠璃子は大輔を見ても顔色一つ変えなかった。それでまだ記憶が戻っていないと判断したのだろう。
大輔はいつどんな時も瑠璃子を優しく見守ってくれていた。それに気付いた瑠璃子の瞳からまた涙が溢れてくる。
そこで今度は大輔と再会した時の事を思い出す。
大輔と瑠璃子が羽田空港のカフェでぶつかった時、大輔は瑠璃子に気付いていないようだった。
それはメイクや髪型のせいで瑠璃子がだいぶ変わっていたからかもしれない。
そこで瑠璃子はハッとする。
岩見沢駅に着いて大輔の車に乗せてもらった時、瑠璃子は義父の姓を名乗った。だから大輔はわからなかったのかもしれない。
瑠璃子が義父の『村瀬』を名乗るようになったのは岩見沢に来てからだった。それまではずっと旧姓を使っていた。
瑠璃子と義父が養子縁組をしたのは瑠璃子が成人してからだったので、瑠璃子は学生時代からずっと旧姓を使っていた。そして看護学校を出た後も系列の病院へ就職したのでそのまま旧姓を使い続けていた。
だから大輔は瑠璃子に会ってもよく似た別人くらいにしか思っていなかったのかもしれない。
パズルはだいぶ完成に近づいていた。そこで瑠璃子はまたハッとする。
もしラベンダーの丘の青年が大輔だとしたら、瑠璃子はラベンダーの丘へ行くべきではないだろうか? 行って大輔に会うべきなのでは?
瑠璃子は混乱した頭で必死に考える。しかしもう考える必要などなかった。なぜなら瑠璃子は今すぐにでも大輔に会いたかったからだ。
時計を見ると8時を少し過ぎたところだったのでまだ充分に間に合う。
とりあえず瑠璃子は出掛ける準備を始めた。
シャワーを浴びた後メイクをしようと鏡に向かっていると突然携帯が鳴った。母親からの着信だ。
「もしもし、お母さん?」
「瑠璃子、お誕生日おめでとう。昨日プレゼントを送ったから明日か明後日には着くと思うわ」
「ありがとう」
「とうとうあなたも30の大台に乗っちゃったわねぇ」
「何よぉ、その残念そうな言い方は」
そこで瑠璃子がクスクスと笑う。
「だって30を過ぎたらあっという間よ? あ、そうそう、そういえば岸本先生の事なんだけど母さん思い出したわ。あの先生はね、おばあちゃんの命の恩人なの! 嫌だわぁ、私ったらそんな大事な事を忘れてて……岸本先生はおばあちゃんの葬儀にも参列してくれたのよ。本当にもうっ、失礼な事をしちゃったわ……」
母はかなり後悔しているようだ。
母の話によると、大輔は中川のおばあちゃんの娘の長男でおばあちゃんの孫にあたる。あの日大輔は祖母の家に泊まりに来ていた。
そこでパズルのピースがまた一つ埋まった。
「ほら、アルバムに夏の写真が何枚もあったでしょう? あれは全部岸本先生が撮ってくれたのよ。あなたは先生の事が大好きでいつも後ろをくっついて歩いてたっておばあちゃんが笑いながら言ってたわ。あなたは覚えていないかもしれないけど…」
「お母さんっ! それがね、私今朝急に思い出したの。おばあちゃんが倒れた時の場面が夢に出てきて起きたら記憶が全部戻っていたの」
瑠璃子は涙声で訴える。璃子の母は驚いていた。
「そうなのね……きっとおばあちゃんからのお誕生日プレゼントかもしれないわ」
「うん……そうかも……」
瑠璃子はしゃくりあげるようにして泣いている。
「良かったわね、本当に良かった…」
瑠璃子の母は安心したように何度も言った。
これで抜け落ちていたピースは全て揃いパズルは完成した。
大輔こそが『そっと見守るだけの愛』を瑠璃子にずっと実践し続けていたのだ。
あの『promessa』の小説の中の青年と同じように。
瑠璃子の瞳からまた涙が溢れる。それを拭いながら瑠璃子は呟いた。
「またメイクをやり直さなくちゃ……」
そして瑠璃子は両手で顔を覆うとしばらくの間激しく泣き続けた。
コメント
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瑠璃ちゃんの記念すべき誕生日の日にお婆ちゃんからの『記憶』というとても素敵で貴重なプレゼント✨これでためらいなく大輔さんに会いにいけるね、瑠璃ちゃん😊🙌🫶
瑠璃ちゃん、お誕生日おめでとう🎁🎂 記憶が戻ったNew瑠璃ちゃん😌 大輔さんの待つラベンダーの丘へ…❗
大輔さんの思慮深さや思い遣りが胸熱です🥺💛 そんな大輔さんだからこそ2人には幸せになってほしいな✨