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ゆっくりと5つ数えて顔を上げたティアは、ユザーナと目が合った。
ユザーナは、無表情でティアを見つめていた。不機嫌や不愉快というわけではなく、ただ微笑んでいない。
自分が表情の乏しい人間だと自覚しているティアは、ここでユザーナと血のつながりを感じて、ふっと笑う。
それが少し気まずくて、ティアは目の前のテーブルに視線を移す。お茶会らしく三段のケーキスタンドがある。
下からサンドウィッチ、温料理、デザートと綺麗に並べてあり、別の皿にはスコーンやジャムにクリーム、チョコレートが添えられている。ちなみに梨はない。
普段の夕食より多い量だ。さすがに完食するのは無理だが、せっかくアジェーリアの父親が用意してくれた席だ。何にも手を付けずに帰るのは失礼だろう。
一先ずティアは、冷めてしまったお茶を一口飲む。茶葉の匂いと花々の匂いが相まって、得も言われぬ優しい気持ちになる。
メゾン・プレザンの大掃除が終わった後に飲むお茶の味にとても似ている。
そんなことを考えながら、ティアはゆっくりとお茶を飲む。お茶会の作法など知らないから、何から手を付ければいいか困ってしまう。
そんな取り留めもないことを考えているティアを見つめるユザーナは、とても歯がゆかった。
過去最大級のおめかしをしているティアだが、ユザーナにとっては質素すぎる装いだ。
娘の小さな手は少し荒れていて、爪も短く切り揃えている。一度も磨いたことがないようだ。いや、爪を磨くという行為すら知らないのかもしれない。胸元にも手首にも白い肌を飾る宝石がない。
ユザーナは、ウィスタリア国の宰相だ。この国で2番目に権力がある。財産だって引くほどある。
その娘が質素な衣装を身に着けているのに、満ち足りた表情で幸せだと言った。
この程度で、と不満に思うし、不憫でならないユザーナは、一足飛びでこんなことを口にしてしまった。
「ティア今更だが、私は君と一緒に暮らしたいと思っている」
「え?」
「私は本当はずっと、そうしたいと思っていた」
「は?」
スコーンに手を伸ばそうとしていたティアは、唐突に切り出されたユザーナの提案に目を丸くした。
「ティア、君は自分の母親を捨てた私を憎んでいるか?」
「いや、だから憎んでいませんよ」
しつこい質問に、ティアはつい雑な返事をしてしまう。
「なら、問題ないだろう。ティア、一緒に暮らそう」
「いや、それは……ちょっと……あの……なんていうか、その……」
ティアはユザーナから視線を逸らして、もごもごと意味不明な言葉を紡ぐ。
はっきり拒絶できないが、上手に話を逸らすことも濁すこともできないだけなのに、ユザーナは別の意味に受け取ってしまったようだ。
おもむろに懐に手を入れたかと思えば、ユザーナは四つ折りにした紙を取り出した。
「見てくれ」
それはユザーナが長い間肌身離さず持ち歩いていたと思わせるほど、くたびれたものだった。
ティアは、ぼろぼろになったそれを受け取り、慎重な手つきで中を開いてみる。すぐ、軽く息を呑んだ。
その紙は──ユザーナとメリエムの結婚誓約書だった。しかも、国王のサインが入っている。
「本当は式の際に書くものなのだが、私は待ちきれなくてメリエムに先にこれを書いてもらっていたんだ。だから君は、正式な私の娘だ。誰にも誹謗中傷など受けさせない。絶対に」
ぎゅっと拳を握りしめながらそう言ったユザーナを目にして、ティアは変な顔になった。
ユザーナがこれを見せた理由はなんとなくわかる。多分、ユザーナは自分が認知されていない子供だと気にしているとでも思ったのだろう。
だが、ティアはそんな世間一般の常識に囚われる人間ではないし、誹謗中傷を受けることなど怖くない。
万人に好かれたいと思ったこともないし、人の目など気にしたこともない。大切なものが何か知っているから、それ以外に嫌われたとしてもどうでもいい。
そんなふうに思っているのに、何だか自分の予想の範疇を超えることが起きてしまっている。こんな未来を誰が想像できたであろうか。
ティアは望まぬ展開に、内心、ぐぬぬっと呻いてしまう。
もしユザーナが、自分の母親であるメリエムの面影を求めて、一緒に住もうと言ってくれたのなら、ティアはきっぱり断ることができた。
けれど、自分を見つめるユザーナの眼差しは、バザロフが自分に向けるものと同じ類のもの。だから、困ってしまう。
ロムに結婚を迫られた時は、苛立って。
グレンシスに求婚されたときは、戸惑って。
ユザーナからの申し出には、無下に断ることに抵抗を覚えてしまう。
しかもこのタイミングで、母親と同じゴールドピンクの髪が良かったと駄々をこねる自分に、母親が「ママは、あなたの髪色に少しでもブラウンが入っていて嬉しいのに」と言われたことすら思い出して、ティアは頭を抱えたくなる。
ユザーナは正真正銘の父親で、ティアを大切に思ってくれている。親子なら、そんな人と一緒に住むのは当たり前のこと。だからユザーナの申し出に、頷くべきだ。
でも、ティアは嫌だった。望む場所があり、もう18歳で成人している。
べったりと親子ごっこをするより、つかず離れずの関係で、ゆっくりと距離を埋めていきたい。
だが、その気持ちを伝える上手い言葉が見つからない。何か言おうとすれば、喉の奥に何かがつっかえたように詰まってしまう。
「……ティア、頼む」
ユザーナは今にも泣きそうな張り詰めた顔で、ティアに懇願する。
その視線に耐え切れず、ティアは視線を逸らす。その先に、グレンシスがいた。考える間もなく、ティアは唇を動かす──助けて、と。
すると、突然、グレンシスが自分の視界から消えた。
(そんな殺生な……!)
よもやあの騎士は面倒事を嫌ってここから逃げたのか!?ティアは心の中で悲鳴を上げた。
でも、そうじゃなかった。
「失礼します」
空気を一閃するような、凄みのある声が耳朶を刺す。
一瞬、誰の声かわからなかった。声の持ち主が誰かわかったと同時に、ティアの身体がふわりと浮いた。
ティアはもうこの流れを何度も経験しているので、今更、暴れることはない。大人しくその太くたくましい腕に収納される。
ティアを抱き上げたその人も、これが当たり前といった感じでティアに視線を向けない。
ただただ真っすぐユザーナの方を向き、再び口を開く。
「恐れながら宰相殿、ティアは先日怪我を負って、まだ傷が癒えておりませぬ故、この辺りで失礼させていただきます」
慇懃な言葉遣いの中、有無を言わせない鋭さを秘めたグレンシスの口調に、ティアはぞわりと背筋に冷たいものが走った。
その反面、ティアは心の底から安堵していた。泣きたくなるほどに。