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第一章 まだ目覚めぬ月
番外編②広がる世界
サフィアンと出会ってから、ジオの世界は少しずつ変わり始めていた。
それまでの世界は、とても狭かった。
薬屋。
森。
マーサ。
それだけで十分だったし、それ以外は必要ないと思っていた。
けれどサフィアンは違った。
新しい景色を見つける度に、まるで宝物でも見つけたみたいにその青い瞳を輝かせる。
そして、その度にジオの手を引いた。
当然のように。
まるで最初からずっとそうであったみたいに。
ある日、サフィアンはジオを連れてパン屋へ向かった。
「おばちゃん! パンちょうだい!」
店へ入るなり大声を出す。
「こらこら、大声で叫ぶんじゃないよ!」
奥から顔を出した女性が苦笑した。
そしてサフィアンの隣にいるジオへ視線を向ける。
ジオは思わず身体を強張らせた。
知らない大人は少し苦手だった。
相手がどんな顔をするか分からないから。
けれど
「この子がジオ君かい?」
返ってきたのは優しい声だった。
「いつもサフィアン君から聞いてるよ」
そう言って微笑む。
ジオは少し戸惑った。
「今日はサービス!」
おばさんは小さなクリームパンを差し出した。
「え……」
「ほらほら、受け取りな」
隣でサフィアンがにやにやしている。
「ここのクリームパンめっちゃ美味いぜ!」
恐る恐る受け取る。
「……ありがとう」
小さな声で言うと、おばさんは嬉しそうに笑った。
その日初めて食べたクリームパンはとても甘く、ジオにとって一生忘れられない味になった。
◇
別の日、二人は北門へ向かっていた。
「おーい! サフィアン坊ちゃん!」
門番の男性が手を振る。
日に焼けた顔。
大きな体。
少し怖そうに見えるが、よく笑う人だった。
「また森か!」
「また森だよ!」
サフィアンも元気よく手を振り返す。
「いつも元気だなぁ」
門番は豪快に笑った。
そして隣のジオへ目を向ける。
ジオは少しだけ身構える。
けれど
「ジオ坊も気ぃ付けろよ」
ぽん、と頭へ大きな手が乗った。
「最近森の奥で魔物見たって話もあるからな」
「……うん」
「うちの息子もお前らと同じ歳だけどなぁ」
門番は苦笑する。
「家でゴロゴロしてばっかだ」
「それなら俺の方が勝ちだな!」
サフィアンが胸を張る。
「何の勝負だよ」
思わずジオも呟いた。
門番は声を上げて笑う。
「仲良しだなぁ、お前ら」
その言葉にジオは少しだけ照れくさくなった。
◇
九歳の頃。
その日、ジオは初めてソルト家の屋敷へ足を踏み入れた。
「ほんとに大丈夫だって!」
隣を歩くサフィアンは、いつものように楽しそうだった。
「でも……」
ジオは大きな屋敷を見上げる。
石造りの立派な建物。
広い庭。綺麗な門。
薬屋とは全く違う場所だった。
「俺、迷惑じゃ……」
「なんで?」
サフィアンは不思議そうに首を傾げる。
「ジオは俺の友達だろ?」
その一言に、ジオは何も返せなくなった。
「おかえりなさいませ、サフィアン坊ちゃま」
玄関の扉が開く。
出迎えたのは、白髪の男性だった。
ソルト家の執事、レオン。
穏やかな雰囲気の人物だった。
「ただいま、レオン!」
サフィアンは笑顔で返す。
そして少し後ろに隠れるように立つジオへ視線を向けた。
「今日は友達連れてきた!」
レオンはジオを見る。
一瞬だけ驚いたように目を瞬かせる。
けれどすぐに、優しく微笑んだ。
「初めまして。ジオ様ですね」
「……え」
名前を呼ばれて、ジオは戸惑う。
「サフィアン坊ちゃまから、よくお話を伺っております」
「オレの話……?」
「はい。森で見つけたものや、薬草のことなど」
レオンは柔らかく笑った。
「どうぞ。皆様がお待ちです」
案内された部屋には、すでに何人もの人がいた。
「サフィアン、おかえりなさい」
優しく微笑む女性。
母、レイラ。
その隣には、明るい青髪の少女。
姉のアズール。
そしてまだ幼い双子の弟妹。
「この子がジオ君?」
レイラが穏やかに笑う。
「いつもサフィアンから話は聞いているわ」
ジオは目を瞬く。
するとアズールが勢いよく立ち上がった。
「あなたがジオ君ね!?」
「え……」
「まぁ……!」
じっと顔を見つめる。
「可愛い顔してるじゃない!」
「姉ちゃん……」
サフィアンが呆れた声を出す。
「急に距離近いって」
「だって!」
アズールは楽しそうに笑った。
「サフィが毎日のように話してる友達よ?」
「え!?」
ジオが驚いてサフィアンを見る。
サフィアンは気まずそうに頭を掻いた。
「いや……その……」
「森で何したとか、どんな薬草見つけたとか」
「ジオは凄いんだって何回も言ってたわよ」
「……」
ジオの胸が少し熱くなる。
そんな風に話してくれていたなんて知らなかった。
その時小さな足音が近づく。
「じお?」
「じおくん?」
双子の弟妹が、ジオの前までやってきた。
大きな青い瞳で見上げる。
「……」
どう接すればいいのか分からない。
ジオが固まっていると、サフィアンが笑った。
「大丈夫だって」
「二人とも、人見知りしないから」
その言葉通り。
二人はすぐにジオの手を握った。
「ほら!」
サフィアンが嬉しそうに声を上げる。
「うちのシェフのお菓子、めっちゃ美味しいんだって!」
テーブルへ並べられた色とりどりのお菓子。
次々と皿へ乗せられていく。
「ちょっと、そんなに食べきれないよ」
ジオが困ったように言う。
「大丈夫!」
なぜか自信満々なサフィアン。
「美味しいから!」
促されるまま、小さな焼き菓子を一口。
「……」
ジオの目が少し開く。
「美味しい……」
その言葉にサフィアンは嬉しそうに笑った。
「だろ?」
それからサフィアンの話は止まらなかった。
森で見つけた秘密の道。
珍しい動物。
一緒に拾った石。
そして。
「あとジオさ、オレが木から落ちた時もちゃんと手当てしてくれるんだぜ!」
「サフィアンしょっちゅう落ちるよね」
ジオが小さく突っ込む。
「そうそう!」
「認めるんだ……」
そのやり取りを見て、レイラ達は楽しそうに笑っていた。
しばらくして扉が開く。
「ただいま」
入ってきたのは、サフィアンの父、コバルトだった。
ジオは慌てて立ち上がる。
「は、初めまして……」
緊張した声。
するとコバルトは、優しく目を細めた。
「初めまして、ジオ君」
「君のお祖母様には、いつも世話になっているよ」
「……」
「いつもサフィアンと仲良くしてくれてありがとう」
その言葉にジオは少し戸惑う。
ーーありがとう。
そんな風に言われたことなんて、あまりなかった。
けれど嫌な感じはしなかった。
胸の奥が、少し温かくなる。
「……はい」
小さく頷く。
その顔に、ほんの少し笑みが浮かんだ。
コバルトはそんなジオを見て、サフィアンへ視線を向ける。
「サフィアン」
「ん?」
「良い友達を持ったな」
サフィアンは胸を張る。
「当然だろ!」
その即答に、部屋いっぱいに笑い声が響いた。
帰り道。
夕焼けの中。
ジオはいつもより少しだけ軽い足取りで歩いていた。
世界には怖い人ばかりじゃない。
自分を見て、笑ってくれる人もいる。
それを教えてくれたのは、隣で楽しそうに歩く、青い瞳の少年だった。
それからジオは、何度もソルト家へ足を運ぶようになった。
そこはいつしか、薬屋とは違う、もう一つの大切な居場所になっていた。
◇
その事件は突然起きた。
ある日の朝、薬屋の前に馬が現れた。
正確には、馬に乗ったサフィアンが現れた。
「ジオーー!!」
元気な声が響く。
ジオは店の外へ出た。
そして固まった。
「……馬」
「そう、馬!」
サフィアンは得意げだった。
「乗馬訓練抜けてきたんだ!」
「怒られるよ」
「後でな!」
全く反省していない。
ジオは呆れながらも馬を見る。
近くで見るのは初めてだった。
大きい。
想像よりずっと大きい。
黒い瞳がこちらを見ている。
少し怖い。
するとサフィアンが手を差し出した。
「乗ろうよ!」
「え」
「ジオと一緒に乗りたかったんだ!」
「乗らない」
「乗る!」
「乗らない」
「乗る!」
それからしばらくして。
なぜかジオは馬の上にいた。
サフィアンの後ろで。
「ほら、大丈夫だろ?」
「……怖い」
「大丈夫だって」
最初はゆっくりだった。
馬はのんびり歩く。
いつもと違う景色。
風が気持ちいい。
少しだけ安心する。
けれど。
「よし!」
サフィアンが突然言った。
「ちょっと速くするね!」
「え?」
次の瞬間。
馬が駆け出した。
「っ……!?」
景色が一気に流れ始める。
風が顔を叩く。
「サフィ!!」
「ははは!」
「やめて!!」
「楽しいだろ!?」
「楽しくない!!」
ジオは必死にサフィアンへしがみついた。
だがその時、馬が小さく跳ねた。
「わっ!」
身体が浮く。
落ちる!
そう思った。
「ジオ!?」
サフィアンの声が変わる。
慌てて片腕でジオを引き寄せた。
心臓が止まりそうだった。
数分後。
二人は馬から降りていた。
ジオは涙目だった。
本気で。
「もうサフィとは馬乗らないからな!」
「ごめんて!」
「乗らない……」
「次はゆっくりやから!」
「乗らない」
「ジオ〜!」
「乗らない!」
サフィアンは肩を落とした。
ジオは腕を組む。
しばらく睨み合った後。
「……でも」
ジオが小さく言う。
「最初は、ちょっとだけ楽しかった」
サフィアンの顔がぱっと明るくなる。
「だろ!?」
「でも乗らない」
「なんでだよ!」
二人の声が青空へ響く。
森が揺れる。
風が吹く。
気付けば、ジオの世界は少しずつ広がっていた。
パン屋のおばさん。
門番のおじちゃん。
ソルト家。
初めて見る馬。
そしていつも隣で笑っている友達。
サフィアンと出会わなければ知らなかった景色が、少しずつ増えていく。
それはジオ自身も気付かないうちに始まっていた、世界と繋がるための、小さな一歩だった。
コメント
1件
うおおお〜〜番外編も尊すぎる…!!😭💕 パン屋さんのクリームパン、門番のおじちゃんの「仲良しだなぁ」、ソルト家みんなでお菓子パーティ…どのシーンもジオがじわじわ世界に馴染んでいくのが伝わってきて胸がぎゅってなったよ!! 特に「サフィとは馬乗らないからな!」「でも最初はちょっとだけ楽しかった」ってとこ、ジオのツンデレっぷりが可愛すぎて悶えた…🥺💞 co-miさんの描く日常シーン、心がぽかぽかする〜〜続きも楽しみにしてるよっ⋆♡
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