—— ハヤマ ミュージカルインストゥルメンツ 副社長 葉山 圭
奏は両手でそれを受け取り、視線を落として頂いた名刺を見つめていると、怜が不機嫌そうに兄に言った。
「お前、ちゃっかりしてるな。俺ですら、まだ音羽さんに名刺を渡してないのに……」
「お前こそ何言ってるんだ? だったら今、彼女に名刺を渡せばいいだろ?」
「いや、俺は音羽さんと二人の時に名刺を渡すから」
同じようなイケボで、言い合いみたいになっているイケメン双子のやり取りを見やった後に、圭の婚約者、真理子に視線を送る。
彼女は慣れているのか、彼らのやり取りを見て、いつもの事だと思っているようだ。
気まずく感じた奏は、慌てて男前ツインズに口を挟む。
「あ、あの、園田さんを放っておくのはどうかと思いますが」
真理子は奏が気を遣っていると感じたのか、苦笑しつつもやんわりと奏に答えた。
「二人は、いつもこんな感じで軽く言い合いみたいな事をしてるので、お気になさらずに。お気遣い、ありがとうございます」
しかし、イケメンの双子が声優ばりの声色で言い争いなんてしたら、眼福ならぬ耳福じゃないか? なんて呑気に考えている奏。
思い切り勘違いしていた事に対し、怜に謝罪をしなければ、と奏は思った。
でも、その場合、『葉山さん』って呼んだら、怜も圭も反応するだろう。何て呼ぼうか、と考える。
「弟の方の葉山さん」
「はい。ってか、そんな呼び方しなくても、普通に『怜さん』って呼べばいいのに」
「いや、一週間ほど前に知り合ったばかりなのに、そんな馴れ馴れしく呼べません。先ほどは失礼な事を言ってしまい、すみませんでした……」
奏は怜に深々とお辞儀をした。
「いや、気にしてないから大丈夫だよ。よく勘違いされるんだ」
怜は苦笑しつつ、彼女の謝罪する様子を見て何かを思いついたのか、奏に『そうだ、お願いがあるんだけど』と前置きしながら言葉を掛けた。
「実は、歓談の後なんだけど、このパーティで、圭と園田さんの婚約を発表する事になっているんだ。そこで俺はサックスを演奏するんだけど、伴奏無しのサックスソロだと味気ないから、君に伴奏をしてもらってもいいかな?」
「え? 私ですか!?」
突然の怜からの頼み事に、奏は虚を突かれ、間抜けな声を出していた。
思いの外大きな声が出ていたせいか、奏はハッとして周囲をキョロキョロしながら、両手で口元を隠す。
「えっと、何の曲の伴奏をすればいいですか?」
怜は、意味深な含み笑いを奏に向けながら、事もなげにサラっと答えた。
「俺と君が一番好きな、あの曲。先日の結婚披露宴では、君はピアノソロにアレンジして弾いてただろ? なら伴奏もできるかなって思ってさ」
「はぁ!?」
考えもしなかった、T–SQUAREの『WHEN I THINK OF YOU』の伴奏依頼。
しかも、これまたぶっつけ本番である。
「何であの曲なのか? って顔をしてるな。その理由は、圭は園田さんが大好き過ぎて、彼女の事で頭がいっぱいだから」
なるほどね、と奏は思う。
それにしてもイマドキの男性は、恋人または妻が好きで好きで堪らない人が多いのだろうか?
先日の結婚式の時に見た、親友、奈美の夫の彼女に対する半端ない愛情の注ぎっぷり。
そして、先ほど見た怜の兄、圭がフィアンセの真理子の腰を抱き、顔を近付けて甘く囁いていた時の蕩けた表情。
「当然だが、俺はあのハイパーサックスプレイヤーのように、メロウで色気のある音色を出せない。だが、少しでも近付けるように頑張って吹くよ。それに、一度でいいからピアノの伴奏でサックスを演奏してみたかったんだ。だから音羽さん、頼む……!」
怜はかなり本気なのか、奏に深々と一礼したまま、動かない。
男性の方がベタ惚れな状態のカップルを、この一週間で二組も目の当たりにした。それも怜の関係者カップルだ。
奏は、『私で良ければ』と控えめに怜の頼み事を引き受けた。
「ああ、良かった! 断られたらどうしようって思っちゃったよ。音羽さん、また会場へ戻って演奏の仕事をするんだろ? その間、俺は音出ししてくるから、本番よろしく」
奏と怜の会話を聞いていた圭は微笑みながら軽くお辞儀をし、婚約者の真理子は奏に辿々しく会釈をする。
どことなくだが真理子の表情が、困惑しているように奏は感じていた。
「弟の突然のお願いを聞いて下さり、ありがとうございます。二人の演奏を、真理子とともに楽しみにしております」
「はい。頑張って演奏させて頂きますね」
奏の返事を聞いた圭と真理子は、再び奏に会釈をした後、パーティ会場の中へ消えていく。
(あと三十分、本来の仕事しなきゃ……)
奏も、もうひと仕事するために、パーティ会場へ戻って行った。
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