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深夜。
アルタイル集合住宅付近、朽ちた壁の片隅にぼろ切れが転がっていた。
ぼろ切れはもぞもぞ動き、怯えた顔を出す。
そう、ゼゲルである。
ゼゲルは浮浪者になっていたのだ。
血走った目をきょろきょろさせ、周囲を伺うと、光があった。
ランタンを掲げた奴隷部隊がこちらに寄ってくる。
「嫌だ。コワイ、コワイよぉ」
夜の帝都には魔物や殺人鬼が跋扈(ばっこ)している。
こうした夜の脅威を討伐する為に街を巡回しているのだが、ゼゲルにはその奴隷部隊こそが恐ろしい。
「おい、さっきの連携はなんだ。魔物が怖くて足が竦(すく)んだか? 役に立たない足はいらないな? 切断してやる!!」
奴隷兵に怒鳴り散らし、幅広の魔法剣を振るうのは、かつてゼゲルが児童売春に使った幼女、ハガネだった。
ハガネは凄まじい出世を遂げ、今は奴隷兵をまとめる立場にいるらしい。
しかも、奴隷たちの生殺与奪の権まで持っているようだった。
ハガネに助けを求めようと思ったが、すぐにそんなことは無理だとわかる。
売春の道具にされた恨みが、そう簡単に消えるわけがない。
自分がゼゲルだと気づかれれば、そのまま首を落とされかねない。
ゼゲルにとって、ハガネは殺人鬼や魔物より恐ろしかった。
殺人鬼や魔物は無差別に人を襲うが、ハガネは「ゼゲル絶対殺す幼女」だ。特別念入りにゼゲルを殺そうとするだろう。
ハガネが奴隷兵を蹴り飛ばし、次の地区へと歩いて行く。
ああ、切断はしないんだ。と思っていると、その隣の奴隷兵の左腕のヒジから先がないことに気づいた。どうやら、やる時はやるらしい。
どうしてこうなったのだろう。
借金が払えなくなって、闇の金貸しに身柄を確保されて。
そうだ。
思い出した。
あれは本当に屈辱的だった。
俺の借金は膨らみに膨らみ、1000万セレスを超えていた。
こうなるともう、個人がまともに働いて返せる額ではない。
最初に借りたのは500万セレスだったのに、おかしいと言ったのだが、金利がどうとか言われて一蹴された。
仕方ないので、兼ねてから住んでいた家を売ることになった。
性奴隷たちに客をとらせるために特別に作らせた広い家で、地下には奴隷を閉じ込めるための奴隷部屋もある。
なかなか買い手がつかず、値下げに値下げを続けた。
どうやら長く児童売春に使い、勝手に衰弱死した奴隷も結構いた為、いわく付き物件になっているらしい。
それもこれもあの奴隷商人、アーカードのせいと思っていたら。なんとアーカードが俺の家を買ってくれた。
2000万かけて作らせた家が、売れた時は700万だった。
ちなみにアーカードはその家を大事に使うどころか、燃やした。
炎輝く、深い夜に。
リズ率いる聖堂騎士団たちが聖句を唱える中、忌まわしき悪魔を焼き払うかのように、ごうごうと燃やした。
最後には塩を撒かれ、慰霊碑が立った。
『絶望の死を遂げた聖女たちに捧ぐ』
俺の家を燃やしたアーカードの周囲には人だかりができていた。
奴隷商会のクズどもや、俺が使い潰した幼女の親族、聖堂教会に、奴隷部隊。貧民街の売春婦たち、そして優しき帝都の人々が、アーカードを褒めそやした。
当のアーカードは涙を流し「すまない。オレの力が至らぬばかりに、発見が遅れた」「もう少し早く気づいていれば、救えていたかもしれない」などとのたまう。
いや、そんなことはないぞ!
アーカードは俺が児童売春をしていることを知りながら、放置していた!
なんというクズだ!!
そう、声を上げて抗議したかったが。
そんなことをすれば自分が群衆に殺されかねないのでやめた。
ちなみに俺はというと、聖堂騎士団たちに両脇を固められ、捕縛されていた。
最近、ずっと捕縛されている。
そうだ。
あの時だった。
群衆の中のアーカードが、俺を見たのだ。
何かにふと気づいたような顔で、俺を見た。
すると、つられるように群衆が俺を見た。
アーカードはさっと目を背けたが、群衆はその意味をすぐに理解した。
顔に憎悪を浮かべ。
群衆が叫ぶ。
「悪魔の館を生み出し、子供に絶望を与えたやつは誰だ!!」
あいつだ! あいつだ! ゼゲルだ!!
「ああ、私があの子を手放さなければ」
「俺が売った奴隷になんてひどいことを!!」
「誰だ! 誰が悪い!」
あいつだ! あいつだ! ゼゲルだ!!
「なぁ、やはり。ゼゲルは悪だ。殺すべきではないか?」
「女神ピトスの名の下に!」
「誰を殺す? 誰を殺す?」
あいつだ! あいつだ! ゼゲルだ!!
アーカードの視線が一瞬。俺に触れた。
ただそれだけで群衆たちに火がついたのだ。
火は瞬く間に燃え広がり、熱狂がうねりをあげている。
「おい、聖堂騎士団が動き出したら足止めしろ」
「あのクズの首を刎ねるのは、わたしだ」
「はいっ! ハガネ様!!」
すでに、殺すか殺さないかではなく。
どうやって殺すかの領域に入っている。
群衆に紛れて、こちらに背を向けるアーカードの顔が見えた。
吐き気をもよおすほどに邪悪な、支配者の顔だ。
奴隷商人の口がかすかに動く。
それは俺に伝わりやすいように、ゆっくりと動いた。
「奴隷魔法を使うまでもない」
「お前ごとき、視線一つで殺せるんだよ」
(こいつ、完全に理解してやってやがる!!)
あの時の感情をどう表せばいいだろう。
まるで、世界全てに否定されるような心地だった。
俺は聖堂騎士団の捕縛を振りほどいて、逃げた。
全力で逃げた。
だって、殺されるから。
その翌日。
帝都中に、凄まじい速度で俺の悪行が流れた。
きっとこの日の為に用意していたのだろう。
アーカードは自費で大量の紙を用意し、そこに俺の悪行を書いては無償で配っているらしい。
しかも、手で書くわけではない。
特別な方法を使って、一瞬のうちに文字を書くのだ。
どうやら、アーカードは板木に俺の悪行を鏡映しに彫り込み、インクをつけて押すという新しい技術を生み出したらしい。
これなら、奴隷が板木にインクをつけて紙に押しつけるだけでいい。
言うなれば巨大で複雑な印鑑のようなものだが、このような使い方を考えた者は未だかつていなかった。
その工程をインサツ。
インサツされた紙をシンブンというらしい。
これだけで凄まじい富を生み出せそうな発明だ。
その発明を、俺を殺すために惜しげも無く使ってきている。
確かに逃げたのは俺だけど、そこまでやる?
いや、よく考えてみれば、俺を殺す為だけではない。
俺の悪行が広まれば広まるほどシンブンも広まり、インサツの価値が高まるのだ。つまり。
あいつ、俺を殺すついでに金儲けをしている。
「うぐぐ、許さん! 許さんぞ!! アーカードぉぉお!!」
月に叫ぶと、アルタイル集合住宅から「うるせえぞ!」と声が聞こえた。
俺は「ひぃっ」と縮み上がって、そのまま寝た。