テラーノベル
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西の島を離脱した魔導ヘリは、低い雲を抜け、蒼い海原の上を滑るように進んでいた。 機内は、静かだった。
誰もが、まだ言葉にできない疲労と、生き延びたという実感を、胸の奥で噛みしめている。
機体後方では、クルサが静かに身を伏せていた。
「避難先は、ヨナクル島です」
ロスクが、簡易モニターに視線を落としたまま告げる。
「西の島、エルフィオンの住民は、すでに臨時避難所へ入っています。負傷者の受け入れも完了し、王族を迎える準備も整っています」
「父上と、リヴァン首相への報告は?」
イザリオ王子が問いかけた。
「先ほど衛星通信を試みましたが、ノイズが強く、接続できていません。まだ、赤黒い瘴気の影響が残っているのかと……。ヨナクル島到着後、再度試みます」
ロスクが、わずかに顔をしかめた。
イザリオは、静かに頷いた。
「分かった。まずはヨナクル島で被災者を激励する。その後、オルシオンへ戻り、父上とともに陣頭指揮を執る」
イザリオの 眼差しは、すでに次の戦いを見据えていた。
やがて、雲の切れ間からヨナクル島が姿を現す。
魔導ヘリは高度を下げ、島のヘリポートへ向かって静かに降下していった。
潮の匂い。湿った土の感触。遠くで波が穏やかに砕ける音。そこには、戦場の緊張も、瘴気の気配もなかった。 だが、完全な平穏とも、言い切れない。
ヘリポートの周囲には、簡易テントや救護所が設けられ、多くの人々が行き交っていた。魔導ヘリが着陸すると、ローターの風が周囲の草木を大きく揺らし、 やがて機体が停止する。 扉が開いた。
「お待ちしておりました、イザリオ王子様」
真っ先に駆け寄ってきたのは、西の島の女性村長、セレナだった。その隣には、ヨナクル島の村長が立っている。
「ご無事で何よりです」
二人は深々と頭を下げた。
イザリオは、すぐに二人へ歩み寄った。
「お出迎え、ありがとうございます。それより、避難してきたエルフィオンの住民たちの様子はいかがですか?」
ヨナクル島の村長が答えた。
「気分が悪くなった方が数名いらっしゃいましたが、救護所で処置を受けております。重傷者、死傷者は幸い、ありませんでした。食事と水も、できる限り確保しました」
続いてセレナが報告する。
「死傷者が出なかったのは、モンスター使いのサラさんが、特技でモンスターを踊らせたからです。彼女がいなかったら、甚大な被害になっていた可能性があります」
イザリオの表情が和んだ。
「そうですか……。皆さんのご尽力に感謝します」
イザリオは、ほっと息をついた。
だが、その隣で、セレナはわずかに表情を曇らせた。
「ただ……」
その一言に、イザリオの表情が引き締まる。
「何かあったのですか?」
「避難してきた方々の中には、まだ強い恐怖を抱えている方もいます。特に、赤黒い瘴気に憑依された魔物と接近した方々は……」
セレナは、言葉を選ぶように、一度、視線を落とした。
「怯えて眠れない者も少なくありません」
穏やかな潮風が、三人の間を静かに吹き抜けた。イザリオは、避難所の方角へ目を向ける。
「……分かりました」
そして、静かに告げた。
「これから、私自身が皆さんの前に立ちます」
その声には、王子としての責務と、一人の人間としての決意が込められていた。
簡易テントが並ぶ避難所には、西の島から避難してきた島民たちが集まっていた。 毛布に包まり、肩を寄せ合う者。
黙ったまま、海の方角を見つめ続ける者。 誰もが、生き延びたという安堵と、まだ消えない恐怖を抱えていた。
「しばらくしたら、生まれ故郷に帰れるのだろうか?」
誰かが、確かめるように呟く。
「ヨナクル島には、赤黒い霧は来ないのか?」
その声に、即答できる者はいなかった。
イザリオ王子の姿に気づき、島民の間に、静かなざわめきが広がった。イザリオは平な岩に登った。 そして、静かに頭を下げた。
「私は皆さんが、無事にここへ辿り着いてくださったことに、心から安堵しています。また、ヨナクル島の皆さんが、迅速に避難を支えてくださったことに、王族を代表して、深く感謝します」
その声は、大きくはない。だが、はっきりと届いた。
「皆さまの故郷であるエルフィオンで、一日も早く、皆さんが安心して暮らせる日を取り戻せるよう、私たちは全力を尽くします」
イザリオの視線の先には、震える子どもを抱きしめる母の姿があった。 島を襲った災厄の記憶は、まだ皆の心に影を落としていた。イザリオはその親子の前でしゃがみ込んだ。
「大丈夫です。今はもう、赤黒い霧は届きません」
イザリオは、怯える少年の頭を優しく撫でた。
「お城の兵隊さん……?」
「いや、ただの……少しばかり強がってみせる兄だよ」
少年は小さく笑った。 母親は涙をぬぐい、深く頭を下げる。
その横で、エルファーナ王女も膝をつき、泣きそう少女の手を取って微笑んだ。
「怖かったでしょう? でも、もう大丈夫。ここは安全よ」
その微笑みは、まるで小さな灯火のように、不安で凍った人々の胸を温めた。
ひとりひとりの島民に、イザリオとエルファーナが激励の言葉をかけるたびに、
「助けに来てくださったのね……」
「ありがたい……」
小さな声が、あちこちから上がった。
やがて、不安に沈んでいた避難所に、少しずつ勇気と感謝の気持ちが広がっていった。
そして、イザリオはひとりの少女、金髪でポニーテール、腰に小型ホイッスルを下げた“モンスター使い”サラに声をかけた。
「あなたが、住民たちをここへ導いたのですね?」
サラは、びくりと肩を震わせた。
「は、はいっ……! わ、私はただ……!」
「セレナ村長から聞きました。 赤黒い霧に侵された動物たちを……“踊らせて”住民を逃がした、と」
サラの頬が、ぱっと赤くなる。
「え、えっと……わ、私のスキル《心波調律(ハートビート・リズム)》を使えば、多少“ムチャクチャ”でも……動物の動きを少しだけ狂わせられるんです。その隙に人を逃がすのは……得意で……」
言い終えると、サラは恥ずかしそうに視線を落とした。
イザリオは静かに微笑んだ。
「危険を顧みず、あなたの勇気と判断力が、島の人々を救ったのですね」
そして、まっすぐにサラを見つめる。
「本当にありがとうございます。王族として、そして一人の人間として、お礼を言います」
その言葉に、サラの耳まで真っ赤になった。
「ほ、本望です……! イザリオ様……!」
後ろでは、サラに同行した取材クルーが胸を撫で下ろしながら微笑んでいた。
こうして、ヨナクル島に、言葉にならない安堵と希望がゆっくりと満ちていった。
イザリオとエルファーナが、島民を励ましている、その一方で。
ヒロノゼウスとロスク、西の塔地上観測員のエリオとカイは、ヨナクル島通信所で、緊張に満ちた表情のまま、通信装置を操作していた。
「応答せよ。バルティス殿、至急。 至急であります!」
だが、返ってくるのは雑音だけだった。電波は完全に断たれていた。
「くそ……ヨナクル島も通信不能とは!」
ヒロノゼウスが横からパネルを覗き込み、即座に判断を下す。
「セブン、空へ。 お前を“中継塔”にする。上空なら、王都まで電波が届くはずだ」
『了解。高度三千へ上昇する』
セブンは短く応じ、 弧を描いて空へと飛び立った。
しばらくして、通信が回復した。
『こちら王宮秘書室。 バルティス様は今朝より、 国王陛下と共に王研へ随行されており、現在、不在でございます』
「了解した。 では、リヴァン首相に直接伝える。 回線を転送してくれ」
『承知いたしました。転送いたします』
数秒のノイズが走る。
『リヴァン首相補佐官、マラーでございます。 現在、首相は国王陛下の随行中につき、代わって私が承ります。 ご用件を』
ロスクは一瞬、息をのみ、 それでも声を震わせることなく告げた。
「補佐官殿。エルフィオン、西の島、全域が、得体の知れない赤黒い瘴気によって “魔物化”の危機に瀕しています。 バリア塔は崩壊。 島の生態系は赤黒い瘴気に侵され、 急速な魔物化が確認されました。 イザリオ殿下、 エルファーナ殿下ならびに島民は、 近隣のヨナクル島へ避難を完了しています」
マラーの声が、低く沈んだ。不気味なほど、感情を抑えた調子だった。
『……そうか。 至急、リヴァン首相に報告する。 ザルガン博士と、 アルディン技官はそこにいるのか』
観測員エリオが、 一歩前へ出て通信端末に向かう。
「ザルガン博士、ならびにアルディン技官の姿は、確認できておりません。
バリア塔崩壊直前、突然、転送装置《アクア・ゲート》が起動しましたが、転送反応は確認されませんでした」
続いて、観測員カイも端末の前に立ち、声を落として告げる。
「我々はオルシオンへ避難しました。 その後、船内を捜索しましたが、 両名とも、乗船は確認されていません」
エリオは一度、言葉を区切り、慎重に続けた。
「……現場状況から判断して、殉職された可能性が、極めて高いと考えられます」
『何……!? 本当なのか……!?』
マラーの声が明らかに乱れた。
(アルディン……ザルガン……。
そして、王子と王女が生存……。
これは……まずい)
その様子を横目に、 ヒロノゼウスが静かに歩み寄り、 通信端末へ向かって口を開く。
「話の途中で失礼します。 マラー首相補佐官。 私は王研のヒロノゼウスと申します」
『ヒロノゼウス……?』
「私用で来島しておりました。 補佐官、 国家危機レベルの異常であれば、 衛星監視系と、王研の神石検知系の二系統から、 政府中枢へ即時共有されるはずです。 異常アラートは、本当に一切、上がっていないのですか?」
『一度、確認します……』
マラーは、端末に視線を落とした。
国土を覆うバリアの一角、 西の塔は、真っ黒に沈んでいた。 結界率は0%。これにより、全体バリアも均衡を失い、“黄色警告灯”が断続的に点滅していた。
部屋の扉の向こうでは、 首相官邸の職員たちが、 不安げな表情で窓越しに、 首都リュカ街へと、たなびく エルフ・バリアを見上げていた。
「今日のバリア…… なんだか、いつもと色が違わない?」
「朱色が、濃すぎるよね。 ちょっと、赤黒いぽいというか、 今まで、見たことのない色だと思う」
「嫌な予感がするのは、 私の気のせいかな」
その囁きは、 確かに、マラーの耳にも届いていた。 マラーは短く息をのみ、 端末を握る手に、 わずかな震えが走った。だが、 その理由だけは、 誰にも悟らせなかった。
『危機管理システムには、 何も、届いておりません。 おそらく、システム障害かと……。 王研からの報告も未着で…… と、とり急ぎ、状況は首相と国王陛下と共有いたします……』
その返答に、ヒロノゼウスの瞳が鋭さを増す。
(政府も王研も、同時に沈黙。 二重の安全網が同時にすべて機能停止? これは偶然にしては出来過ぎている。 明らかに、誰かの意図が働いているのではないか……)
ヒロノゼウスは一歩前へ踏み出し、淡々と告げた。
「確認ですが……」
声は静かだが、端末越しに冷たい緊張が走る。
「衛星監視は宇宙軌道から。 一方、王研の危機管理は“神石の波動”を検知するまったくの独立システム。 両方が同時にダウンするなど、理論上ほぼ起こり得ません」
マラーは息を呑み、返答が遅れた。
ヒロノゼウスはさらに続けた。
「政府の危機管理は、 有事を想定した“多重防御構造”。のはず。不測の事態にこそ動かなければならないシステムが沈黙している。 障害と呼ぶには説明がつきません!」
マラーは言葉を返せなかった。 その空気を割るように、ロスクが慌てて割って入った。
「ヒロノゼウスさん、 いったん、落ち着いてください。 赤黒い瘴気の影響かもしれません…… この島の通信所も、衛星電波が届かないですし」
ヒロノゼウスはロスクへ視線を向けた。
「すまない、ロスク。 だが、どうしても説明がつかない」
通信の向こうで、 マラーが強引に平静を装った声で応じる。
『原因は追って調査する。まずはあなた方の安全を確保しつつ、帰還してほしい』
その言葉に、ロスクが一歩前へ出た。
声は冷静だが、明確な威厳があった。
「これは国家の危機です。直ちに王研視察を中止し、避難民の支援と軍隊出動のご裁可を! 首相へ進言してください!」
マラーが眼鏡越しに鋭い目線をロスクに向け、次に返ってきたのは、氷のように鋭い声だった。
『ロスク君。言葉を謹みなさい。これは越権だ。国家危機管理は、いかなる状況でも手順に従って行われる。ロスク、言動には十分に注意されるように』
プツン。と、通信が切れた。
ヒロノゼウスは 静かに目を伏せた。 胸の奥に広がるざわめきは、 時間を追うごとに、 濃く、深くなっていく。
(本当に、 緊急アラートが届いていないのか……?)
そのとき、 通信室の扉が開いた。 イザリオとエルファーナ。ルーネ。そしてクルサが静かに入って来た。
「父上には、通じたか……?」
イザリオの問いに、 ロスクは声を落とした。
「いいえ。 陛下は現在、 リヴァン首相と共に、 王研の視察に出られています。 代わりに、 マラー首相補佐官へ、 状況は伝えました」
ヒロノゼウスが口を開きかける。
「イザリオ様。 政権中枢に、異常アラートが届いていないのは……」
その言葉を遮るように、通信室のTVモニターに、ざらついた映像が浮かび上がっていたが、セブンが中継した電波によって、ノイズが徐々に消えていく。
「次のニュースです。本日、イーサム国王陛下が、王立科学アカデミー研究所を視察されます。まもなく、国王陛下による会見が行われる予定です。現場から中継いたします」
「お父様……!」
エルファーナが、思わず声を漏らす。
一同の視線が、モニターへと吸い寄せられた。
コメント
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お疲れさまです、第55話読み終えました。 避難所の空気感がすごく丁寧に描かれていて、胸に迫るものがありました。特にイザリオが少年に「強がってみせる兄だよ」と伝えるシーン、ああいう“余計な肩書きをはずした”寄り添い方がとても自然で、じんときました。 一方で、通信が通じた後のマラー補佐官の対応には背筋が冷えました。衛星系と神石検知系が同時に止まるのは理論上ほぼ起こり得ない――ヒロノゼウスがそこを突いたのが本当に鋭くて。これは明らかに“人の意図”が働いているとしか思えません。王都がどんな空気になっているのか、早く知りたい気持ちと、知るのが怖い気持ちとが混ざってます。次が待ち遠しいです。
桜城
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