テラーノベル
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最終話 名前を失くしたあとで
朝。
結城は、
呼ばれずに起きる。
鏡の中の顔は、
輪郭だけが残り、
目の焦点が合わない。
髪は伸び、
首元にかかっている。
外に出る。
店のあった路地まで、
歩く。
角を曲がる。
何もない。
硝子戸も、
机も、
棚も、
思い出せるのに、
そこに辿り着けない。
足が、
止まる。
戻る。
アパートの前。
階段を上る。
鍵を回す。
開く。
空。
音も、
気配も、
残っていない。
彼女の部屋着も、
カップも、
距離も。
結城は、
立ったまま、
名を呼ぼうとして、
声が出ない。
理由はない。
消えた、
それだけ。
外に出る。
通りは、
いつも通り。
車は流れ、
人は避ける。
誰も、
結城を呼ばない。
仮の呼び名も、
残っていない。
呼ばれないことが、
自然になる。
仕事をする。
買い物をする。
帰る。
結城の背中は、
少し前より、
軽い。
夜。
部屋の灯りをつけ、
座る。
名前を、
思い出そうとしない。
彼女の名も、
探さない。
呼べなかった名前と、
過ごせなかった時間が、
同じ場所に沈む。
それでも、
朝は来る。
結城は、
誰にも呼ばれないまま、
日常に戻る。
名前を失くしたあとで、
それだけが、
確かになる。
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由天。