──夜。
部屋の隅、机の上に置いたノートをぼんやり見つめていた。
その隅に、ちぎれた紙の切れ端。
「もう、話しかけんな」
震えた自分の字が、乾いたインクの中に沈んでいた。
日下部は、何度もその文字を見返した。
書いた瞬間の感情を、思い出そうとしても、うまく掴めない。
怒りだったのか、悲しみだったのか。
ただ、あのとき胸の奥にあったのは
──“これ以上、壊れたくない”という恐怖だった。
遥を責めたかったわけじゃない。
むしろ、あいつのことを誰よりも分かってるつもりだった。
いじめられても黙って耐える姿も、笑って「大丈夫」って言う癖も、全部。
自分と似てると思ってた。
だから、庇った。何度も。
だけど、あの「親のこと」を口にされた瞬間、心のどこかで何かが切れた。
──なんで、そこまで見透かすんだよ。
お前まで、俺の中に踏み込むのか。
そう思ってしまった。
蓮司の言葉が、あとから何度も響いてくる。
「悪気がないほうが、たち悪い」
最初は反発した。でも、あの“優しさ”を思い出すたびに、苦しくなる。
あいつの無自覚な言葉が、時々、息の根を止めるみたいに痛かった。
あのメモは、拒絶じゃなかった。
“逃げ”だった。
自分を守るために、あいつを遠ざけた。
そうしなきゃ、もう立っていられなかった。
窓の外、夜の風がカーテンを揺らす。
その音の向こうで、ふと遥の声が蘇る。
「ごめん」
──その一言が、今も耳の奥で離れない。
喉が焼けるように痛む。
謝らなくていいって言いたいのに、もう何も言えない。
紙を手に取って、丸めようとして、やめた。
しわくちゃになった文字を見つめながら、日下部は小さく呟いた。
「……俺のほうが、ずっとひどい」
そして、机の引き出しの奥に、その紙を静かに押し込んだ。
まるで、自分の弱さごと閉じ込めるように。







